執事ジョージ
鼠亜人の討伐から帰還した俺たちは、ギルドで報酬を受け取るついでに夕飯をとっていた。
「鼠亜人が一匹百シルバー、プチガルダが百五十シルバーか。たいていのパーティは四人以上で編成するって聞いたし、その基準で行くと一人当たりの日給は百九十シルバー弱」
溜息がでてくる。
帰りがけに大通りを歩いていた時に目に入ったが……
「パン屋のバイト募集ですら時給十五シルバーって書いてあったのに、命かかっててこれじゃ割に合わなくないか?」
余談だが、街の物価を見た感じ、一シルバーがおおよそ百円くらいのイメージで間違いないだろう。歯ブラシや鉛筆といった商品たちが一シルバーだったし。
ちなみに、今俺が食べている魔鳥の卵焼き定食も十五シルバーだ。つまり千五百円。
……馬鹿じゃねえのかこの国は。
「今回、私はほとんど見ていただけだったし、前衛職だっていなかったもの。仕方ないわ」
さも当然のように言い切ったソフィアだが、コイツだって俺と同様追い詰められていたんだ。その涼しげな表情を浮かべられるメンタルがいったいどこから湧き出てくるのだろうか。
「そもそも、命がけってほどアンタ追い詰められてなかったじゃない」
「追い詰められてたわ! お前だって『どうしてくれるのよ!』とか泣き叫んでいただろう!」
コイツの目は節穴なのか⁉
いや、確かに魔法のエキスパートであるソフィアなら、あの状況をどうにかできたとも考えられるが、少なくとも俺は次の瞬間に息をできているかわからなかったんだぞ。
「泣いてないわ!」
顔を真っ赤にして反論してきたが、ツッコミを入れたいのはそこじゃない。
プチガルダとかいう、初心者パーティじゃ逃げるだけでも精一杯な魔物の討伐報酬がたったの百五十シルバーだということだ。五人パーティだと一人当たり三千円。命からがら帰ってきたというのに、ゲームのガチャ十回分というのはあんまりだろう。
「ああもう、どうでもいい。なにはともあれ助かったんだ。礼は言っておく」
この少女のことは未だによくわからないが、助けられたのは事実だ。
ソフィアがいなければ死んでいたかもしれない。それがお互い様であったとしても、筋は通すべきなのだ。
「……うっふふ。アンタでもお礼とか言えるんだ」
ソフィアはというと、口元を手で押さえながらクスクスと笑っている。
こ、このメスガキ!
「世の中、筋を通しておかないといらんアヤをつけられるものだからな。よし、今からお前に筋を通すことの大切さを身をもって教えてくれようか!」
掴みかかろうとテーブルに乗り上げた瞬間、誰かに軽く肩を抑えられた。
振り向いてみると、昼間話したきりのスーツの老人だった。老人はひとつ咳払いを挟むと、厳かな表情でこちらを見て一言。
「周りのお客様のご迷惑でございますぞ」
思いのほか目立っていたことに言われて気づく。
人が羞恥心を抱いているのを、目の前でクスクス笑っているこのメスガキはあとでシメることにしよう。
それよりも、この老人のことだ。
ソフィアのお付きのような人物だが、鼠狩りには同行していなかった。いったい何者なのかと聞いてみると。
「わたくしはしがない執事でございます」
ソフィアとは言動通りの関係性のようだ。
驚かされることがなかった反面、危険が伴う討伐依頼へ同行しなかった点が気になる。
そんな考えが表情に出ていたのか、ソフィアが食器を持つ手を止めて口を開く。
「……言っとくけど、執事はもういい歳なんだから戦闘なんて任せられないわ。まあ、その辺の暴漢には負けないと思うけど」
いい歳とか任せられないとか酷い言い様だな。
いや、白髪のほうが多い執事さんがゴリッゴリの剣士だというのはフィクションだけか。常識的に考えてみて、自分の祖父がヒグマより凶悪な魔物に棒切れ一本で勝つ姿は想像できない。
そりゃ、執事さんだって街や街道から外れた場所には行かないよな、と納得できた。
「まあ執事さんだって若いころは……って、いい加減にそろそろ名前で呼びたいんだが。この国は労働者を役職で呼ばなきゃなんない決まりでもあるのか?」
さすがに執事さん執事さんと連呼することの違和感と多少の申し訳なさに耐えられなくなったので提案してみたのだが。
「わたくしには名前がございませんゆえ」
「……辛いことを言わせてすいません」
まさかこの爺さんにそんな事情があったとは。
やすやすと踏み込んではいけない話だったのかと執事さんともども気まずくなっていると、ソフィアが補足を入れてくれた。
曰く、ソフィアのところの雑務をすべて一人でこなすほどの仕事人で、次第に役職名が愛称になっていったらしい。
「だったら、俺たちで呼び名を決めないか? 例えば、ライアンとか」
名前というのは個人を特定するため、一人ひとりが与えられた一意性のあるものだ。それに加え、その人を一人の人間として特別たらしめるものでもある。一部の地域や古い時代には名前を名乗れない人もいたらしいが、現代日本では違う。
お節介かもしれないが、これから行動を共にする仲間なのだから、個人を尊重するための名前は付けておいてやりたい。
驚いた様子で目を見開く執事さんがいる一方、渋い顔のソフィアが顎に手を当てて熟考している。
「ライアンってファーストネームではあまり聞かないわ。でも、確かに名前はつけてあげるべきよね」
そう言って再び熟考する彼女の表情は真剣そのもので、執事さんのことを大事に想っている証拠と言えよう。日頃から身近な人を大切にできる人はそう多くなく、この子への印象が変わったなと思う。
ツンデレじゃないか、とからかってやろうかと考えていると、ピッタリな名前を思いついたらしいソフィアがバッと顔を上げた。
「ジョージなんてどうかしら!」
いいんじゃないかと思う。
執事さんも納得しているようで深く頷く。そして、孫にプレゼントをもらったように喜んでいるようだ。
「では、ジョージ・ライアンと名乗らせていただきます」
執事さん改めジョージさんは、テーブルの横で膝をついて言う。
下を向いているので表情は見えないが、わずかに声が震えているのは嬉しさ故の感動だろうか。つつくのも野暮なので気づかないフリをするが。
「となれば、改めてよろしく。ジョージさん」
「これからもよろしくね、ジョージ」
なぜ名前がなかったのかなんて関係ない。
俺たちにとって、ジョージさんはジョージさんで、それ以外のなにものでもないのだ。
「……さて、湿っぽい雰囲気になっちゃったけど、あまり遅くなるといけないし今日は帰りましょう。ケンジローもうちで寝泊まりすればいいわ」
話も落ち着き食後の休憩もぼちぼちいいだろうと思っていたところにソフィアがそんなことを言った。時計がないので体内時計に委ねるしかないが、おそらく九時くらいだと思うので良いころ合いだろう。