龍との対峙(中編)
──一方で。
「業龍っていうのがなんなのか知らないけれど、少なくとも積極的に集落に攻撃し続けている様子はないわね」
それよりも集落が燃え上がっている方が脅威と言えるだろう。なにやらあの炎からは呪力の気配を感じるし、逃げ遅れたり呪われた人の救助が最優先なはずだ。
「私は逃げ遅れた人を助けに行くからアンタはここで待ってなさい」
「あっ、待って! そんなのはダメだ!」
手を掴まれて止められた。
なんでよ、と聞き返す前に魔物の子が続ける。
「業龍は視界に入った生き物を等しく殺そうとする凶暴な魔物だ。火の勢いを見るに既に時間が経っていて手遅れな人もいるだろう。それに、君が無事で済む保証はどこにもない」
「だとしても、よ」
劣勢だからなんだ。賢者であり貴族である私が我が身可愛さに民を見捨てて逃げるなどあってはならない。体裁もあるが、助かるはずの命はひとつ残らず救い切りたいから。
だから掴まれた手を振り払おうとするが、放してくれない。
「僕の手すら振り払えないのに命を懸けるのかい? だとしたら君のそれは蛮勇だ。褒められたものじゃないはずだよ」
絶対に行かせないつもりだろうか。しかし、魔物の子の目は私の焦りを責めるようなものではない。
魔力を切らしている私の軽率な行動を非難するのではなく、身近な誰かを守るような雰囲気を感じる。
「……魔物のくせに随分と親切なのね」
「魔物だろうと人だろうと、誰かを守ろうと思う気持ちに違いはないだろう?」
手を放せと言っているのだがわかってくれないようだ。
ただ、こうしているうちに冷静になってくると、私の方がワガママを言っているように思えてくる。というか、絶対そうだ。
「アンタの言う通り、か。作戦を考えましょう」
思い直した私はそう言うと、魔物の子は力強く頷いた。
「えっと、アンタは私が業龍を倒しに行くと言ったらどうする?」
当然無理をするつもりはないが、この子を試すために尋ねてみる。すると、間髪入れずにこう答えてきた。
「もちろん君を引き留める。今戦っても勝てないだろう。君は大切な僕の理解者だ。それは、さっき君が僕に問いかけたときに確認できた」
そう言われると恥ずかしいのだが……。
魔物の子は続ける。
「でも、人々を救いたいって君の気持ちには同意するよ。僕だって、犠牲になっていい命があるなんて考えてない」
ああ、やっぱりそうだ。この子も……この魔物の子だってみんなを守りたいんだ。
「……そう。じゃあ、さっそく作戦を考えるわけだけど。アンタ、業龍について知ってることってまだある?」
彼を知り己を知れば百戦殆からず。東国の偉人が残した戦闘における格言だと教わったことがあるが、私は自分については完璧に熟知しているつもりなのであとは敵を知るだけだ。……こんなことを口にすれば、いつもなら辛い正論が飛んでくるのだが今はそれがない。たった二日一緒にいなかっただけでこうなるとは、案外あのいい性格をした彼に依存して──
これ以上考えるのはやめましょう。なんだかとても嫌な気分になりそうだわ。
不快になりそうな思考を頭から追いやっていると、顎に手を添えて何かを思い出していた魔物の子が思い出したように手のひらを叩いてしゃべり始めた。
「業龍は炎龍の一派に属する上位個体なんだ。アイツは人間に虐げられた過去と唯一心を通わせた人間が裏切りに遭って殺されたことで以来人を憎むようになったんだって」
ブレスに呪いがつくようになったのは人間への怨嗟と死んだ人間が抱く怨念を吸い取っているからなのさ。
そう続けた魔物の子は、改めて業龍へと視線を向ける。つられて視線を向けると、依然として集落からは火が上がっているが、上空を漂う業龍は心なしかひどく疲れているように思えてくる。
「業龍はドラゴン種なので強耐性を持ってるけど、特に炎と雷、それから水は全く効かないんだ。いくら上位個体とはいえ三属性に完全耐性を持っている例は珍しい」
「その業龍さんが、心なしか疲れているように見えるのだけれど」
強敵の様子についてなので、気のせいでなければ嬉しいのだが。
「だろうね、暴れまわったあとだろうし。でも、業龍は数百年前に人類と十年以上にも及ぶ戦いを繰り広げた末、大国を一つ滅ぼした災厄の化身だからね。油断は禁物だよ」
なにその凶悪過ぎる生き物。なんでこんな魔物がこの国にいるのだろうか。
「わかってるわ。……はぁ、魔力さえあればなんだってできるのに」
生憎、意識を失っていた間に自然回復した魔力は先ほどの転移魔法で使い切ってしまった。魔力を帯びた物質もないのでいよいよ何もできることがない。
「ねえ。アンタって魔力を人に分けられたりするの?」
魔力を他人に譲渡する魔法など、少なくとも人類が編み出した魔法には存在しない。だが、もし魔力と密接な関係にある魔物にならあるかもしれない。
そんな一縷の望みにかけて口にしたが、魔物の子は首を横に振るだけ。
「もしかしたら、誰かが秘密裏に研究しているかもしれないけど、少なくとも僕は知らないよ。なにより、知っていたとしても僕は魔法が使えないんだ。魔力の流れを一切操れないから」
「そういえばさっきもそんなようなことを言っていたわね」
「……うん」
いくつかのやり取りの末、自信なさそうにうつむいてしまった。
「スクロースみたいに、体外に魔力術式があれば勝手に体から魔力が使われて魔法が発動できるんだけどね」
そのスクロースももう使い切っているらしく、言い終えると乾いた笑いをこぼした。
しかし、これは使えるかもしれない。
逆転の一手になりえるかもしれない期待から、魔物の子の肩に手を置いて口を開く。
「ねえ、術式が人だったとしても魔法は発動できるの? それと、もしできたとして、私が術式を組んだらアンタがどれくらい近くにいれば魔法を発動できる? 詠唱魔法は無理でも術式魔法だったら今からでも地面に魔法陣を描くし、私自身が魔術的意味を持つ術式を動作で再現することもできるわ! ……こほん。答えてちょうだい」
捲し立てるように質問してしまったが、知りたいことは伝わっただろうか。
しばらくポカンとしだした魔物の子だが、我に返ると少し自信を取り戻したような表情で頷いた。
「たぶんできると思う。でも、魔力術式に僕が素手で触れていなければならないけどね」
よかった、これならどうにかできそうだ。
便利な魔法や強力な攻撃魔法がいくつか制限されるが、数人程度の人を守るくらいの魔法は使えるだろう。
「話はわかったし、僕としても救える命があるなら救いたい。それで、どんな魔法を使うんだい?」
先ほどより一段明るいトーンと純粋な目を向けられた私は胸を張って返す。
「まずは基礎的な障壁魔法を張って私たちの身の安全を確保するわ。それから、負傷者を見つけ次第対象を拡大して、治療魔法と念のために解呪魔法も使うつもり。業龍に襲われてもよほどのことがない限り反撃のための陣は描かない。時間もアンタの魔力も、極力救命に使いたいもの」
私の障壁魔法は、とりわけ物理攻撃以外に対して堅牢さを誇る。宮廷魔術師ですら私の障壁を破壊することはできなかったくらいだから、作戦級の魔法やブレスでも来ない限りは守り切れるだろう。反撃しないという部分で驚きの声を上げた魔物の子の頭を撫でて話を続ける。
「私の障壁魔法は絶対に破らせない。最高峰の支援魔法の一角を見せてあげるわ。だから安心してついてきなさい」
何かあったら私が……なんて考えたくはないが、その覚悟は伝わったのだろう。怖いはずなのに、魔物の子は決心がついたように頷いてくれた。
「君を信じるよ。作戦開始だ!」
【作者のコメント】
筆を握れる日が少なくてきちぃ……




