せせらぎのガルダ【一】
「暑い! 暑すぎるわ! もう限界よ!」
屋敷の食堂で昼食をとっていると、突然立ち上がったソフィアが弱音を上げ始めた。
貴族院のあれこれが落ち着いてから数日が立っており、確かに日々秋の便りを感じるのは俺だけか。
「別に過ごしやすいと思うのだが」
屋敷の中に限って言えば魔法学に基づいて作られた空調器具が設置されているおかげで夏場でも快適だ。そうでなくとも、日本より涼しいせいか朝晩こそ肌寒いものの日中は過ごしやすい。
そう思っていたのだが、他二名の反応を見るに俺の方がマイノリティらしい。
「確かに、今年は夏も暑う日が続いておりました。この時期になっても涼しくならないのはそれが原因でしょう」
「今年は規格外の暑さでしたからねえ」
そうだったのか。
俺がこっちに来たのが九月初頭で、その時点ではすでに茹だるような暑さには感じなかったのだが。地球温暖化で昼間に出歩くと死ぬかもしれない現代日本とは大違いなので文句はないのだが、地元民としてはそうではないのだという。
「そもそもアンタの恰好がもう暑いのよ! ジョージを見習ってクールビズに努めなさい!」
あーあ、ついに暑さに対する怒りが俺に飛び火した。
「仕方ねえだろ。俺はここに来る前に着てた学生服と、最近倉庫で探し当てた使用人服しか持ち合わせてねえんだから。どっちも長袖長ズボンだよ」
ただでさえ、ここでの暮らしは無給なのだ。
経理担当を任されてからは経費である程度欲しいものが手に入るようになったのだが、ただでさえ破産一歩手前の当家に私物に無駄遣いする余裕はない。
衣食住が満足に手に入っている今、薄手の服まで望むのは欲張りというものである。
そう考えて口にした返事なのだが、ソフィアにとっては気に食わなかったらしい。そんな彼女はついに自棄になったのか、ビシッと指をさして宣言した。
「今日は水浴びができる依頼を受けに行くわよ!」
「おー!」
間髪入れず賛同するマキに、俺はジョージさんと顔を見合わせる。そして、
「……ケンジロー殿。こうなったお嬢様は止められぬでしょう」
なんとなく、そんな気はしていた。
──そういうわけで、食後の片づけを終えてすぐに冒険者ギルドへとやってきた。
「今日はジョージさんも一緒なんですね」
普段通りであれば、屋敷にいて仕事に余裕があるとき限定で依頼現場まで馬車を走らせてくれるのだが、今回はそれだけではないらしい。
「今回のところは近くに宿泊用の山小屋があるのよ。周辺に住む魔物も開拓が進んで強力な魔物が住処を作れるほど自然が残っていないわ」
「その分掲示板に貼りだされる依頼の数も少ないんですけどね。今日は運よく三件も残ってました」
ソフィアとマキが剥がしてきた依頼書がテーブルに並んでいる。
説明してくれた二人の対面からすさまじい興奮を感じるのでそれほどすごいことなのだろうと考えておこう。
特に深く疑うこともせず、手近な依頼書を無造作に手に取り読み上げてみた。
「どれ。……渓流にてプチガルダの群れが川魚を捕食している様子を目撃。群れは夫婦とその子ども二体で計四体と思われる。群れは、特に母親と思われる個体の気性が荒く、周辺の釣り人への被害を想定し速やかに討伐してほしい」
手に持っていた紙を丸めたくなる衝動をグッとこらえて、裏返して机に叩きつけた。
「強力な魔物がいないんじゃなかったのか?」
プチガルダといえば、こっちに来て初めての依頼中に遭遇した魔物だ。
とりあえず初心者が相手できるような敵ではなく、ソフィアと二人して苦戦したことを覚えている。
「ま、まあ。周辺地域には住んでなくてもよそから迷い込んでくることはあるわよね」
冷や汗たらたらじゃねえか。
ソフィアもソフィアでプチガルダには相当嫌な思いをしているようだ。
「じゃあ、これなんてどうですか? 魔物に襲われて置いてきてしまった投げ網を回収してきてほしいそうです。かかった魚は好きにしていいみたいですし、壊れてしまっていても報酬は貰えるみたいですけど」
頭を捻っていたらマキが自信満々に依頼書を見せつけてきた。
依頼現場は先ほどのヤバいヤツからそれなりに距離があるし、報酬量は難易度にしてはいいのでケチをつける点はないと思う。
「ちなみに、もう一件はプチガルダに住処を追われたイノワシの討伐ですな」
「イノワシは飛翔速度が遅いうえに、地上でも直線以外での速度が遅いっていう弱い魔物よ。でも、周辺環境が危険なうえに相場より報酬が安いし、受ける理由はないわ。騎士団行きの案件ね」
三枚目の依頼書についてジョージさんとソフィアが説明してくれた。
こうなれば一択だろう。言葉を交わさずとも意見が一致しているのは容易に理解できた。
「これにしましょう」
そうして、思いがけず夏らしいことをすることになった。
夜。
満天の星空のもと、依頼現場からほど近いところにある山小屋に来ていた俺たちは、夕飯がてらバーベキューをしていた。
「やっぱ夜になると肌寒いな」
そんな肌寒さも火を起こせば軽減されるもので、ついこぼした言葉ほど気分が落ち込んでいるわけではない。むしろ。
「アンタがそれ言う⁉ はっ倒すわよ!」
「ケンジローの血が何色か、アタシ確かめてみてもいいですか?」
女性陣の怒りの眼差しすら、今の俺には心地いい。
なぜなら、こいつらは俺の命令で水着を着せられているからだ。
「この前言っただろ。貸し一つだと」
余談だが「だからってこれはないでしょ」とか「アタシまで巻き込まれるのは理不尽なのです」といった抗議は一蹴させてもらった。
とはいえ、この俺にも身内に対する良心くらいは持ち合わせている。このまま薄着で過ごして体調を崩されたら誰も幸せにならないし、このまま放っておいても仕返しされるレベルで恨まれるだけなので、小屋を指さして一言。
「嫌なら着替えてきていいぞ」
その言葉を聞いた二人が駆け足で小屋の扉へと手をかけ、なぜか静止。そのまま、壊れたおもちゃのようにこちらへ振り向いた。
こいつらまさか!
この小屋は外から覗かれることを想定していないようで、窓はすべて透明で着替えスペースなどないので屋内が丸見えなのだ。
なんかもう色々察せてしまったのだが、自分が蒔いた種とはいえこれ以上関わって女性陣の逆鱗に触れたくないので耳を塞いで背を向ける。
俺はもうなにも知らないので片手で耳を塞ぎつつ雑音を聞き流し、焼きあがった肉を頬張る。あーおいしいなー。
それが気に障ったのか、ダンダンと足音を立てて誰かが背後へ寄ってきたようで、次の瞬間目を覆われた。
「やめろソフィア。そのまま魔法で何か悪さする気だろ」
「しないわよ! あと手の感触だけで誰か特定するな変態!」
誰が変態だと抗議すべく振り向こうとしたら、瞼に鋭利で硬質な感触を覚えて体を制止させる。
「今マキが着替え中よ。振り向こうとしたら目に爪を食い込ませるから」
「こええよ! やめろよ妖怪マカロン飲み女」
この女は本当にやりかねないから恐ろしい。
「あら、なにか言ったかしら」
一言余計だったかもしれない。
上機嫌な時と声のトーンがあまり変わらないのに、身が凍るような冷気を感じる言葉に全身に怖気が走った。
まずい。ここ一ヶ月で培った勘が、これ以上変なことを言ったらヤバイと警鐘を鳴らしている。
「……いいや、なんにも」
そんなくだらないやり取りをしていると、後ろのほうで扉が開閉する音が鳴った。
どうやら着替え終わったらしい。見習いたい早着替えである。同時に目が解放された。
「次はソフィアが着替える番なのです。ちなみに見ようとしたら瞼の隙間に爪を食い込ませます」
考え方の程度がソフィアと一緒なんだが。
「見ねえっつの。外見で人を判断してないつもりではいるんだが、さすがの俺も覗き見するならもっとスタイルのいい女性がいい」
溜息を吐きながらそう溢す。
今のところ、俺の周りの女性たちはみんなロリっ子みたいな容姿をしている。美少女なのでまだそれでも華があるのだが、やっぱり女性らしい柔らかさというものは大事だろうと主張したい。人間の本能を利用したリラックス効果を期待できる人材が欲しいものである。
「それ、ソフィアの前で言っちゃダメですよ」
俺の考えなど微塵も察せていないらしいマキが、まるで自分は関係ないかのように言ってのける。
それがあまりにもおかしく感じたので聞いてみると。
「だってアタシ、まだ成長してますし」
「お前ナチュラルにひどいな。まるでソフィアにはもう未来がないみたいな言い草じゃないか」
この辺の容赦のなさは年相応と言うべきか。
矛先が俺に向いてないので気にしないが。
「ケンジローもたいがいですよね。アタシあえて言わなかったことを全部言い切るんですから」
言いながら、二人そろって笑い合う。
気を利かせたジョージさんがごみ捨てに行ったのをいいことに言いたい放題である。自分でこんなことを考えるのもなんだが。
「もしかしたら、ソフィアに聞かれてるかもしれませんよ?」
ひとしきり笑ったマキが、恐ろしいことを言い出す。
「やめろマキ。おっかないこと言うんじゃない」
「聞こえてるわよ」
瞬間、場が一瞬にして凍り付いた気がした。
正確には、気がしたのではなく本当に足元から冷気に包まれ始めたのだが。
これは終わったわ。
マキと顔を見合わせ、どう言い訳しようか考えていたその瞬間だった。
「──大変ですお嬢様! プチガルダの群れが現れましたぞ!」
初めて見るジョージさんの焦り方に、お仕置きモードだった雰囲気が一転した。
【一言コメント】
いっけなーい、遅刻遅刻!
※本シリーズは毎週金曜午前一時投稿予定です。