第02話 ロリコンは異世界に降り立つ
寄せては返す波の音。
それはよく心臓の音に例えられる。
思い出すは母の胎内。海が命の母と例えられるのもきっとそういったものが理由になっているのだろう。
目の前の波打ち際を見ながらそんなことが頭に浮かぶ。
ここに来てどれくらいの時が経過しただろうか? 少なくとも一日、いや、それどころか半日すらも経過していない。
今までいた世界がどれだけの娯楽に溢れていたかを改めて実感する。スマホ一つ消えるだけでここまで時間に空きがでるとは思わなかった。
「なーにが信念を貫き通した魂が見てみたいだ。こんな環境に身一つでほっぽり出されたら貫き通す前にまた死ぬわ」
若干のイライラを声に出す。
目の前は海。背後には森。
サバイバル初心者の俺には中々に厳しいシチュエーション。これぐらいの文句は妥当だろう。普通、人がいる場所に降り立たせるのがマナーではなかろうか?
とりあえず、砂浜にSOSの文字を刻み、三角座りをして海を眺める。
「はぁ……」
ため息が波のように繰り返される。
何も教えられず、何も知らない場所に放り出されては、流石にナイーブな気持ちにぐらいなる。
あぁ、こんな時にロリが声をかけてくれれば。
そんな考えがふと浮かぶ。しかし、ロリをそんな都合のいい扱いにしてもいいのだろうか。自分の中で理性と本能が葛藤する。そんな捕らぬ狸の皮算用的な考えをしても仕方が無いのだが、それくらいしかすることがないのだからやるせない。
ただ、空に浮かぶ太陽もそろそろ沈みそうな時間帯。
どうにかこうにかして、寝床だけでも確保をするべきだろう。そう思い、立ち上がろうとした瞬間——。
「……そこで何してるの?」
後ろから声が聞こえた。振り返ると、そこに一人の少女が立っていた。身長から考えるに10歳前後。絹のような白く艶やかな髪は足首付近まで伸び、顔の造形は人形を思わせるくらい不気味に整っており、純白のネグリジェを身にまとっていた。
それはまるで、美を追求した画家が描く少女像を思わせる姿。
そんな姿に幻覚・幻聴を疑うが、それを忘れさせるぐらいの存在感を纏っていた。目の前の彼女は『生きている』。直感がそう叫ぶ。それと同時に、すぐに壊れてしまいそうな脆さが目の前の彼女の中から感じられた。
強さと脆さ。
相反する二つの属性。
にもかかわらず、目の前の少女はその二つを持ち合わせていた。
「……どうしたの?」
「ここで海を見てただけだよ。それよりも君こそここで何をしてるのかな? もう日も暮れるし早く家に帰った方がいいんじゃないかな?」
「……家?」
少女が首を傾げる。その小さな動作が愛らしく感じる。……いや、そうじゃない。
「家だよ、家。ほら、自分がいつも帰ってる場所があるでしょ?」
「???」
少女の頭の上にはてなマークがたくさん浮かぶ。
困った。このままでは埒が明かない。
「名前は?」
「……名前?」
少女が首を傾げる。
「……自分の名前が分からない?」
少女が小さく首を縦に振る。
頭の中に記憶喪失の文字がよぎる。いや、そんなドラマのようなことがあるだろうか。しかし、ロリの言葉を疑うわけにはいかない。
ロリコンの誇りにかけて、何とかしなければならない。が、どうすればいいのだろうか。とりあえずは状況の整理、確認だろう。
その中で最も重要なことはおそらくこれだろう。
「どこからここに来たか覚えてる? できればそこに案内してほしいんだけど」
少女は頷くと、そのまま何処かへ足を運ぶ。その背中を追う。
******
砂浜を越え、鬱蒼とした森の中で少女は足を止める。
「……ここ」
少女が指さしたのは、空っぽの柩だった。
「ここから?」
「……うん。ここからあそこまで歩いてきた」
頭の中で情報が渋滞する。この少女は生きているのか、そんなあほらしい問いにさえ、自分の中にはっきりとした答えが出せない。少し考えていると、何かを察したのか、少女が俺の手をとり、そのまま自分の胸に当てる。
「……ちゃんと心臓は動いてるよ」
彼女の言う通り、確かに心臓は動いている。
「……?」
何の違和感もなく、今のシチュエーションを受け入れていたが、よくよく考える。
自分の手が、少女の胸を触っている。
…………。
……。
『事案』の二文字が頭に浮かぶ。
さっと手を離す。
「な、なにを……」
「……???」
少女は己の行為がどのようなものか理解していないらしい。俺の焦りに対して、少女はきょとんと首を横に傾げただけだった。今回の行為、ロリコン裁判では間違いなく極刑だが、故意ではないので今回は不問だ。
「まぁそんなことはどうでもいい。それよりも……」
ふと空を見上げると少しずつ黒に染まってきている。真っ暗闇の中、森を彷徨うのは危険だろう。少女に今日はここで寝泊まりをしようと提案したいが、どう呼べばいいかが分からない。名前の重要性が身に染みる。
「名前がないと不便だよなぁ」
そう口にすると同時に、自分も少女に名前を伝えていないことに気づく。
「名前を言うのを忘れてたよ。俺は小鳥遊和樹だ」
「……たかなしかずき?」
「そう」
「……ちょっと長い」
「確かにフルネームは面倒くさいよなぁ」
「……どう呼べばいい?」
「どう、か……」
単純に考えれば、苗字or名前のどちらかだ。苗字で呼ばれてることには慣れているが、それだとどうもよそよそしさのようなものが感じられる。たしか、誰かが名前で呼び合う方が信頼度が高まるみたいな研究をしていたような気がする。
だとするならば、名前で呼んでもらった方がいいだろう。決してロリに名前で呼んでもらいたいからという私的な感情によるものではないことは留意して欲しい。
……誰に俺は言い訳しているのだろうか?
「和樹、かな」
「……わかった。かずき……だね」
ロリに自分の名前を呼んでもらう。もうこれだけで天国に行ってもいいような心持ちになる。さっき生き返ったばかりだが。
そんなことはどうでもいい。それよりも彼女の名前だ。できるなら、彼女の身近にあるもので名前をつけるべきだろう。
「……ヒツギ?」
我ながら最悪のネーミングセンスだ。ただ、どういうわけかその名前は少女のイメージに合致した。おそらくこの関係性も一時的なものだろうし、とりあえずの措置としてはいいのかもしれない。
「君の名前、ヒツギはどうだろうか?」
「……ひつぎ?」
「あ、あぁ。嫌なら別のものに」
「……ううん。それでいい。ひつぎ、だね。うん、わかった」
すんなりと意見が通る。すんなりと行き過ぎて不安になるが、まぁいい。これからどうしようか考えていると、隣にいたヒツギの首が振り子のように揺れる。
「眠いのか?」
「……すこし」
「それだったら今日はここで寝よう」
幸い、寝床と呼ぶには不謹慎だが寝床もある。
「……でも、かずきは?」
「大丈夫。俺は何処でも寝られるからさ」
「……本当に?」
「あぁ。だからゆっくりと寝とけばいい。それよりも明日はきっと忙しくなるから、きちんと寝とけよ」
「……うん、わかった」
ヒツギはそう言って、柩の中に入る。俺はその柩に背を預け、夜空を眺める。
前までいた世界と同じような夜空。その夜空の中、流れ星を見つける。
(どうかこれから先の道が安全でありますように)
そう祈り、ゆっくりと目を瞑った。