01.拷問
人の不幸は蜜の味。「シャーデンフロイデ」というドイツ語でも存在することわざ。
「サクサク、処刑」
鼻歌、独り言どっちだっていい。俺は上機嫌でつぶやく。
リフニア国の衛兵の首に人差し指をかざして喉をかき切るそぶりを示す。実際に衛兵の首には横に一本の赤い線が走る。
血の線。痛みを感じたときには雫が喉を伝うだろう。あわあわと口を開きかけた衛兵。
もう遅いんだよ。
じわりと傷口が口を開けて広がっていくのが見てとれる。首を跳ね飛ばすほどの切断魔法もある。
でも、俺はじっくり処刑するのが好きだ。だってほら、俺は拷問されて処刑された。あのときの痛みが、幻肢痛みたいに全身に蘇る。
俺って一度死んでるんだ。でも、今の俺って新品の身体。この細い指だって、ちょっと女臭くなったのを除けば生前の俺そっくり。
俺の指は人体破壊魔法の一つである切断魔法でメスの切れ味を持っているが、急いでいるときでない限りじわじわと処刑する。
「俺は優しいから、全員、死の自覚を与えてやる。即死級の技を出すと自分が何故死んだのか分からなくなって可哀そうだろう?」
衛兵が喉からほとばしる血を両手で受け止めようともがくのが滑稽だ。
助けを呼ぼうと振り向いてももう遅い。
どっと俺の足元に転がって赤い絨毯にその血を塗り広げる。
「エリク王子様に早く会いたいもんだ」
俺が生き返る前――。つまり、死んだときの話。
「今日もエリク王子様の遊びが過ぎるのではないか?」
リフニア国の王国騎士団長ヴィクトルが血まみれの俺を憐れんだ目で見るのが許せない。地下牢の拷問部屋で俺はこいつに剣で腹に穴を開けられ、両腕を縛られて天井から吊るされているが、この程度で泣きつくほどやわではないつもりだ。仮にも魔王を倒した勇者なのだから。
「銀髪の勇者、いや、貴様はただの異世界人。そうだろうキーレ?」
俺を拷問しているのは、恐れ多いことにこの異世界ファントアのリフニア国のエリク王子様だ。この王子、拷問好きで潔癖症という矛盾した性格をしている。金髪の美しい二十代ぐらいの青年だ。
彼の愛用する鞭は幾度となく俺の肩を砕いた。今日は背中のみみず腫れにも飽きたのか、俺に面と向かって正面から振り下ろす。乾いた高音と、肌の裂ける音。俺はもう悲鳴を上げることはやめているが、今日はいつもと勝手が違ったので押し殺していた声が漏れ出てしまった。
エリク王子は気をよくして、一旦、手を洗いに行った。再び戻ると今度は愛用の竹でできている鞭を用意していた。
「これはね、この国にはない植物でなかなか探すのに苦労したんだよ。何でも東方の地に生息する木材に似ていて、加工品としても優れているんだよ。それをわざわざ、君のためだけに取り寄せたんだ。そう、君の肉を打つためだけに」
これは正直、何度も心を折られた。しなる鞭は鞭としての効果だけでなく、ささくれとなって棘が打たれたところに残った。皮下に食い込んで、その上からまた同じ軌道で鞭が届いたときなんかは赤黒くなって肉に埋まっていく。
俺は血反吐を吐いて、泣く泣く今日はこれぐらいにして下さいと頼み込むしかなかった。涙だけは出さなかった。だけど、自分の声が非力で、それがエリク王子に快感をもたらすことが分かっているだけに、喉が焼けるみたいに辛かった。
「今日も勇者様には泣き叫んでもらわないといけないからね」
俺は半目を押し開けて睨んでやった。王子のその傲慢な態度を見ると、抵抗しなければという意識が自らの頭を殴りつけてくる。
「誰が泣くか」
ぼそりとつぶやいた俺の腹を容赦なく王子は鞭打つ。声を殺したが、竹の先端が腹を裂いたので思わず叫んだ。今度は胸を容赦なく叩きつけてくる。声にもならない声がまたしても押し出される。悶絶していると、エリク王子は薄ら笑いを浮かべてまた俺を嘲笑った。
「これで、このファントアの世界を魔王の手から救ったとか笑わせてくれる。魔王亡き今、この世界は僕の手にあるというのに、何を英雄気取りしているんだか」
俺は別に英雄気取りなどしていない。ただ、周りの民が俺を誉めそやしただけだ。
俺は、喜入 晴彦。異世界ファントアのリフニア国による召喚の儀で、銀髪の勇者として召喚された。ここの人間は俺の名前が上手く発音できずキーレと俺のことを呼ぶので、好きに呼ばせておいた。
転移したことで、俺の外見は銀髪に変わり、勝手に運動神経もよくなった。
俺の倒した魔王は人の三倍はあろう大きさの毛むくじゃらのおっさんで、野獣と呼ぶに相応しかった。理性を持ち魔術を使い俺を苦しめたものの、数々の苦難を乗り越えた俺にとって、討伐することは仲間がいたこともあり、余裕だった。ただ、案外話の分かる奴だった。最期に奴が言い残した一言が、今になって思い起こされる。
『勇者よ。お前は我を倒し、全世界が貴様を絶賛し称賛を浴びせるであろう。だが、貴様は所詮異世界の人間だ。我とは本来、戦であれ交わらない存在。汝が求める幸福はこの世界にはあるまいて。我を圧倒するその力でさえ、汝は持て余しているのではないか?』
こと切れる前に魔王はこうも告げた。
『勇者よ。この世界から去れ。ここはお前のいるべき場所ではない。お前は元の世界ではクズ同然だったではないか? この世界は汝を受け入れてくれると思うか? そう思っているのならば貴様は戯け者よ』
確かに魔王の言う通り、俺は所詮このファントアの世界には不要な人間だったのかもしれないな。元々、俺は友達が少なく、クラスの隅っこで座っている、いわば陰キャラだ。俺の後悔を読み取ってか分からないが、エリク王子の猛攻はその後十時間にも及んだ。
「さあ、泣け! その命がある限り、お前は僕のために泣き続けるしかない。分かるか? お前は僕の所有する新しいおもちゃだ。壊れないおもちゃだ。壊れないよね?」
王子としての、職務を放棄してもなお俺を拷問することには畏敬の念さえ抱いたものだ。だが、俺は叫んでばかりで、もう自分の意思や、王子に対する不平、不満はもう告げることができないくらいに痛めつけられていた。
王子は返り血がついたときに、決まって情けない悲鳴を上げる。だったらシルクのブラウスなんかを拷問部屋に着てくるなよ。
「ま、またかけたな? 僕はお前のために何回、服を新調してると思ってる?」
そう言い残しては俺を鞭打って、手を洗いにいく。
王子がやがて俺をいたぶることに飽きたのは、深夜を過ぎたころで俺は天井に吊るされたまま、気を失ったり痛みで覚醒したりを繰り返した。
あの、拷問好きの変態王子め、絶対に殺してやる。いや、一度や二度殺したぐらいでは満足できない。後悔させて、懺悔させた上で殺してやる。
俺は、己を不幸だとは思わなかった。ただどうしても許せないことが一つある。今こうして俺が苦しんでいる間、もしかしたら俺の恋人のマルセルはエリク王子の帰りを首を長くして待っているんじゃないだろうか。
俺じゃなくて、エリクを。
俺は、マルセルに捨てられた。でも負け犬なんかじゃない。俺のどこが間違っていたんだ。俺と王子の何が違う。容姿? 権力? それとも力か?
俺と王子はどちらもクズだろう。マルセルは回復師として、俺と約一年も魔王討伐の旅を共にした。
何度身体を重ねた? それなのに、あいつは俺を裏切った。俺が地下牢で何週間も命でもてあそばれている間、エリク王子と寝ているのか。
あいつは、俺のことなんてすっかり忘れて栗色の髪を王子に触らせているのか? 白い肌も? 太すぎず細すぎない張りのある足も? なだらかな丘のような腹も? 包み込む優しさを持つ二つの胸の谷間も?
俺は何度か覚醒したときにマルセルの甘い声を思い出そうと喘いだが、最後に目覚めたときには首輪をつけられて処刑場へと引きずられていた。
エリク王子、そのほかリフニア国中の晒し者となって火あぶりにされた。処刑場にはかつての魔王討伐の旅を共にした仲間たちと、マルセルの姿があった。
マルセルは王子に肩を抱かれていた。俺は焼けただれていく皮膚の痛みや、朽ちていく己の身を嘆いて叫んだんじゃない。
マルセルの緑色の瞳が、俺をもう愛していないことに絶望したんだ。
生贄の英語が本来「サクリファイス」です。
この作品では勇者は、「サクリファイス」を自分への生贄として「処刑」という言葉に当てはめて使用しております。