ニッジの決意
畑も順調にすすんでいた。畑を任せているニッジもうまくやっているみたいで、孤児院の子供たちから慕われている場面によく遭遇するようになった。ニッジも心なしか、にやけ面……いや、笑顔が増えたような気がする。ララの鉄拳は最近、ニッジに炸裂していないようでなによりだ。
ニッジに頼まれた肥料とか虫殺しとかは、師匠にお願いをして作ってもらったりした。最近は師匠の出番が少なかったから拗ねてたけど、頼みごとをしたらあっさりと受けてくれた。それがなんだか不気味な気がして、しばらくは警戒の目を緩めることが出来なかった。
その時初めて、酒瓶が肥料に化ける姿を見て驚いた。ずっと嘘だと思っていた事が、本当に酒瓶が錬金に材料になるとは。
「前々から言おうと思っていたが、私はぐうたらではないぞ? 力を抜いた生活を目指しているだけだからな」
ちょっと何を言っているのか分からなかった。 本人に違いがあっても、周りから見て違いがなければ一緒なのではないだろうか? もうちょっと人生に力をいれてもいいような気もするけど……
「師匠はいつまで、こんな生活を続けるつもりですか?」
「私が本気になったら、世界が大変なことになってしまうぞ」
酔っぱらいはいつも話が大きい。世界が大変になる前に家の掃除から始めてほしいものだ。
それはともかく、肥料とか虫殺しとかは師匠が用意してくれることになった。おかげで、ニッジの知識と子供たちの頑張りで、教会裏の農場にはたわわに実った野菜が一面に広がっていた。残念ながら、一種類しか栽培には成功しなかったけど。
「ロラン君。今日も早いんですね」
「今日は教会に魔法薬を持ってきたんです。最近の師匠は結構頑張ってくれて、しっかりと納期を守ってくれるので助かってます」
「それもこれも神のご意思でしょう。そして、ロラン君のお導きなのです」
マリアは僕を担いで、どこに行くつもりなのだろうか? 僕の導きに全力で抵抗している師匠なら簡単に想像がつくけど。マリアと話していると農作業を終えた孤児院の子供たちが教会に戻ってきているところだった。中にはしっかりとニッジがいて、なにやら子供に農業の事を教えているようだ。
「ニッジ。すっかりみんなのお兄さんになったな」
「うるさい!! あいつらが色々と聞いてくるから答えているだけだ」
ニッジの返事と表情が一致しない。明らかに子供たちにデレている様子だ。マリアもニッジの変わりように少し驚きながらも、嬉しそうな表情を浮かべていた。いい場所だな……ここは。
「ところで、ニッジ。畑のほうがどうかな? 収穫の時期を知りたいんだけど」
畑についてはニッジに一任している。僕も畑作業は手伝っているが、収穫のタイミングとかはニッジが差配している。僕としてはそろそろ収穫をしてもいいのではと思っているけど。
「もうちょっと、と言いたいところだけど、そろそろ収穫を始めないと最後の方は腐っちまうかな。だから、明日から熟したものを採っていくかな」
ついに収穫か。あの畑で初めての収穫だ。なんだかワクワクしてくるな。そこでちょっとマリアに相談。
「シスター。実は考えていたんですけど、畑はニッジとみんなのおかげで豊作の雰囲気があるんです。シスターも薄々分かっていると思うんですが、孤児院だけ食べ切れる量ではないんです」
「そうですね。私もこんなに実が付くとは思っていないかったので、あまり考えていませんでしたが、なんとかしないといけないですね。腐らせたら勿体無いですし、そんな事は神の目の前では出来ませんから」
そうだろう。そうだろう。本当はもう少し先の話になると思っていたけど、今でも十分にやることが出来ると思うだ。
「僕からの提案なんですけど、スラムの人達に炊き出しをしてみませんか? きっとお腹を空かしている人も多いと思うんです。それに僕はあまり知らなかったけど、畑作業を手伝ってくれた人もいたとか。そのお返しをするといいと思うんです。もちろん、手伝ってない人だからって食べれないってことはないですよ」
するとマリアがなぜか僕の前に跪き、祈りのポーズをしだした。目には薄っすらと涙が浮かんでいるように見える。この状況は何?
「やはりロラン君は神の御使いだったのですね。そうでなければ、その優しい言葉が出るはずもありません。ああ、この街にロラン君がいることだけで皆幸せになるでしょう。神に感謝します」
本気だ。この人はふざけていないぞ。どうしよう……ニッジに助けを求めたが、ブツブツと何かを言っているだけだ。
「ニッジ?」
「そうなると収穫量の計算を見直さないとな……炊き出しか。一体どれくらい必要になるか……じゃあ、ロラン。またあとでな。そうそう、炊き出しはいい考えだと思うぞ。ただ、忘れていないだろ? 最初に食べるのはオレだからな」
そういって、考え事をしながら、その場を離れていった。考え事をしながら歩いたら、危ないと言おうと思ったが、今はそれどころではない。マリアの距離がさっきより近くなり、顔が僕の胸に密着しているほどだ。なんだかいい匂いが鼻をくすぐるが、そういうことではない。
「シスター? ちょっと離れてもらっても?」
「はっ!! ごめんなさい。神に少しでも近づこうと」
いや、僕は神じゃないからね。マリアの中で僕の地位がどんどん上がっている気がする。
「ロラン様。それで炊き出しの件ですが……」
様? 誰だ? そんなことを言ったのは。って目の前にマリアしかいないか。
「様って何です? 変な呼び方をしないでくださいよ」
「ダメ……ですか? 神の御使いに対して、様をつけるのは当然かと……」
そんな潤んだ瞳で見上げてくるのは、なんだか卑怯じゃないですか? というか、マリアはそんな技をどこで習ってきたんだ? 僕の心が大きく揺らぐ。様、云々と言うよりマリアの頼みを断りづらい雰囲気だ。
「もう、シスターの好きにしてください。でも、皆に広めるのは止めてくださいね。シスターが言っていると真似する子供が絶対にいますから」
マリアはニコッと優しい笑顔で返事をしてきた。分かってるのかな? なんだか、怪しいんだよね。次の日、ララが僕に駆け寄ってきた。
「ロラン様お兄ちゃん!!」
うん、おかしいね。お兄ちゃんの前に様付は変だよね。誰だろうね? こんな風に言うように強要したのは。マリアが柱の陰から満足気に頷いているのが視線の端に映っている。ここで目線を合わせたら、良くない結果になりそうだ。知らないふりをしよう。
「ララ。様はいらないんだよ。今まで通りに呼んでくれたほうが僕は嬉しいんだ。ララは素直な子だから分かってくれるよね?」
「うん!! でも、シスターが皆にロランお兄ちゃんを様で呼ぶように言ってたよ」
やはりマリアが仕組んでいたか。僕が柱の方に目をやると、そこには誰の姿形もなかった。逃げられたか……マリアが最近わからないな。
僕は子供たちに会う度に呼び方を訂正させて回った。それだけで一日が終わってしまったよ。それでもちゃんと炊き出しの準備を進めていた。マリアに聞くと、炊き出しというのは大きな教会では年に何度も行われているらしいが、ここでは初めてのようで、炊き出しの道具が用意されていないというのだ。
「じゃあ、シスターにはこれを用意してください」
「はい。ロラン様」
様づけされるとなぜか、ゾクッとする。なぜか分からないけど、マリアが別人に変わったような感じがしたんだ。そういえば、挨拶が変わったんだ。いままで、抱きついてきたのにそれが無くなった。普通の挨拶なんだけど、どこかかしこまった感じなんだよな。
他の用事を孤児院の子供たちにも頼み、それぞれ炊き出しの準備にかかってもらった。残るは僕の仕事だ。炊き出しで最も重要な料理担当だ。今回の料理は……麦飯のトマト煮だ。たわわに実った赤い実はトマトと言われる野菜で、かじると瑞々しく、酸味を感じる味だった。
どうやら、この辺りでは一般的な食材のようで、スラムに長く住む人に料理方法を聞いて、トマトを食べるならトマト煮が一番うまいというのだ。僕としては生で食べるのも嫌いではないから、サラダも捨てがたいが、腹に貯まる料理となると不向きだな。
僕は包丁を手にし、ひたすらトマトを切る。切る。切る。切る……。
うん。無理だな。こんな量を一人でやろうとしたことが間違いだった。助っ人が欲しいところだが、全員で払っていて手伝ってくれる人が……いた。これみよがしで目の前の木の上で居眠りしているニッジが。
「ニッジ。手伝ってくれないか?」
「やだね。オレは畑でくたくたなんだ」
嘘だな。今日は畑仕事は子供たちだけでやっているはずだ。なるほど……
「子供たちだけで畑仕事が出来るもんだから、落ち込んでいるんだな?」
「そんな訳あるか。仕事がなくて清々しているくらいだ」
じゃあ、なんでそんなにつまらなそうな顔をしているんだ?
「ちょっと手伝ってくれ」
「なあ、ロラン。お前はこれからどうするんだ?」
ほお。興味があるのか。いいだろう、教えてやろう。
「トマト煮のコツは……」
「そんなことじゃねぇ」
なんだ、違うのか。ちょっと寂しいな。
「じゃあ、なんだ?」
「オレ達は今は畑なんかで土まみれで楽しんでいるけどよ」
なんだ。ニッジはなんだかんだで楽しんでたんだな。僕は凄く嬉しいぞ」
「なんだよ、その顔は。まぁいいや、話を続けるぞ。オレはここにずっといる訳にはいかないんだ。シスターはあと何年かは大丈夫って言うけどさ、これから王国もどうなるか分からないし……スラムを出るにしても、オレじゃあ、仕事も見つかるか分からないしな。ちょっと考えちまってな」
そんなことを考えていたのか……ニッジなら農業の知識があるのだから、なんとか仕事は見つかるんじゃないかと思ってしまうけど、甘いのかな?
「その点、お前はいいよな。魔法が使えるんだからな。しかも、その歳で使えるっていうのは、将来はすごい魔法師になるかもしれない。そうなれば仕事なんていくらでもだろ? 実はさ、オレは騎士になりたいんだ。貴族に仕えてさ、戦場で活躍したいんだ。でもスラム出身でそんな事は無理だしな……」
騎士か……確かに憧れる仕事ではあるな。活躍すれば、家を興すことが夢じゃない仕事だ。男だったら一度は夢見る仕事だよな。僕はどうだろう? あまり興味はないな……むしろ、農業とか楽しそうだな。
「そこで考えたんだ。オレはロランの子分になる。そして、ロランを貴族にするんだ。魔法の才能があれば、そんなに難しくないはずだ。それでオレはロランの騎士になる。どうだ?」
どうだ? って言われてもな。僕が貴族? とても想像できるような話ではないよな。たしかに魔法が使えれば、もしかしたら、ってあるけど。魔法もこれからどうなるか分からないし……ニッジの野望は叶えてやりたいけど、僕にそれをやる気持ちがあるかって言われると、今はないかな。
「ニッジには悪いけど、僕は貴族にはならないよ。僕はスラムを出たら旅に出たいんだ。世界を回って、色々なことを学ぶんだ。そこからはまだ考えてないけどさ」
「だったら!! その先に貴族になることを考えたら、なるための努力をオレにもさせてくれないか? それで騎士に取り立ててくれたら……それだけで満足なんだ」
ニッジの言葉は本心からのように感じるし、僕にいい加減な答えをさせない迫力のようなものを感じた。
「分かったよ。だけど……貴族になるかなんて保証は出来ないよ? それでも、いいの?」
「ああ。どうせ、騎士になるなんて夢のまた夢。ロランのついていくのが一番確率が高いって思っただけだ」
確率か。計算高いニッジの言い出しそうなことだ。僕はニッジに手を差し伸べた。一応は、約束の証のつもりだ。ニッジはそれを強く握ってきた。ニッジはこの握手に人生を掛けているのだろう。僕も生半可なことはできないと、気が引き締まった。
「それでこれからなにをするつもりだ?」
ニッジの言葉で、自分の仕事を思い出した。
「もちろん。トマトを切ることだ」