校舎に突っ張る
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふーむ、また近くの小学校同士が合併。前の学校が廃校になる、か。
いやはや時代の流れとはいえ、学び舎がなくなってしまうのは寂しいものだね。そこを卒業した子たちにとっては、自分のふるさとのひとつがなくなってしまうことだ。
いつか自分に子供ができたとき、運転する車に乗せてさ。「ここがお父さん、お母さんの通った学校なんだよ」と、過ぎ去りざまにいう。そんな夢のひとつが、壊れてしまうような気がしてね。
義務教育の一環として、まず誰もが足を踏み入れるであろう学校。その年月、その通う人の総数は、運動場などをのぞけば屈指の長さと多さを誇る施設だ。怪談の舞台としては、うってつけの場所だ。
かくいう私も、学生時代に不思議なものを見かけてね。その時の話、聞いてみないかい?
その年の新学期は、三日とあげず強い風の吹く日だった。
空はほぼ灰色だが、真ん中だけぽっかりと大きく青空がのぞいている。まるで台風の目のごとし。天気としてはこの状態でも、晴れと認められるらしかった。
傘がいるかいらないか。ほぼ毎日、判断に困る私たちだったが、もっと気が散らされることがある。
しばしば、この校舎が揺れることだ。
当初は地震だと思ったが、教室のテレビをつけてチャンネルを回しても、速報のたぐいは流れてこない。そしていずれも強い風が吹きつけたとき、震えるように身体を揺らすことに、私たちは気づいたんだ。
当時、最新式の鉄筋コンクリートを用いた校舎だと、私たちは聞いていた。なのに風に吹かれて揺らされるとは、下手するとそこらの木造建築に劣りかねない。
「実は手抜き工事なんじゃねーの?」
笑い飛ばすネタにはなったが、4階にいるときなどに揺らされると、ちょっと心配になる。
植物の茎みたく、いつ校舎が「ぼきっ」と折れてしまうか。気が気じゃなかったんだよね。みんなも同じ心配をしていたのか、休み時間に校舎へとどまろうとする生徒の数は減る。そして校庭でボール遊びをする子の数が増えていったのさ。
ある休み時間のこと。
外野としてキックベースに参加していた私は、ホームランされたボールの回収に出向いていた。落下したボールは、勢いのままどんどん転がり、校庭の反対側にあったフェンスに直撃。校舎の裏手へ向かってしまう。
「面倒だなあ」と後を追いかけて校舎を曲がりかけた私に、先ほどのボールが勢いよく飛んで来た。警戒していない私は、反射的にかわすのが精いっぱいだったよ。
――誰か投げ返してくれた?
ボールが飛んで来た方向を見る私は、校舎の壁の近くでかがむ少年の姿があった。
知らない顔だが、だいぶ図体が大きい。先生たちか、下手するとそれを上回るかもしれない。彼は校舎の足元をじっと見つめたまま、手も足も動かさなかった。
ひとまずお礼をいい、ボールを拾いに向かう私。どうにか押さえ込んで振り返ると、彼は立ち上がって、校舎の壁を両腕で突っ張るような姿勢をとっていた。
足を引いて力を入れるその背丈は、やはり2メートル以上はあるように思えたよ。
それ以後、改めてお礼をいおうと私は他学年のフロアへ行ってみる。けれど、彼の姿を見かけることはなかった。
あれだけの背なら、見た目でわかりそうなものなのに、それらしい人影はない。
だが、休み時間になるとどこからともなく、ふっと姿を見せる。件の校舎裏手でだ。
観察できたのは、たまたま校舎の3階にいたとき。どうも人の気配に敏感らしく、一定の範囲内に誰かが入ると、すぐに裏門から出ていってしまう。足はかなり速い。
それらがないと、たいてい彼はじっと地面にかがんでいる。ときどき思い出したように立ち上がっては、ここの校舎を押しにかかる素振りを見せるんだ。その繰り返しだった。
最初はまさかと思ったが、彼が壁を押すタイミングと、校舎が揺れるタイミングは合っていない。
「さすがにひとりで校舎を揺らすのは無理だろ」と踏んでいた私だが、帰りがけに彼がいた場所を見て、思わず目を見張る。
彼の押していた壁の足元に、数センチ足らずだが湿り気のある土がのぞいていたんだ。周りの土はすっかり乾いているから、色の差は歴然だ。
あの彼が土を継ぎ足したのかもしれない。だがそれにしては、湿った土がこの裏手の壁伝いに長々と姿を見せるような、手の込んだ真似をするだろうか。
私の頭に一抹の不安がよぎる。そしてここから反対側の校舎の壁、そことフェンスの間を測ったんだ。
予想は当たった。彼を見かけた日、長さを測り直してみると数ミリ程度だが、校舎がフェンスに寄っている。
彼はこの校舎を揺らしはせずとも、動かしていた。そのものの重さはもちろん、何百といる中の人の重ささえも、上乗せされたものをだ。
いよいよ不審さを増していく、彼の動き。先生方は気づいているのかいないのか、彼を拘束しようとする動きが見られない。そもそも、彼の引き際が素晴らしすぎるのもあるが。
そうこうしているうちに、校舎はとうとう、私の握りこぶしひとつ分ほど動いてしまった。
放課後。ひとけがなくなった頃を見計らって、私は改めて観察に入る。
色の変わった土ははっきりと姿を見せていた。しかもこの土、何度も鍬を入れられたようにすっかり柔らかくなっていたのさ。
私はぴんと来たよ。「あの子はここに何かを埋めてるんじゃないか?」とね。
その日も空はまた雲がいっぱいで、頭上の一角だけが青をのぞかせる妙な天候。長い傘は持ってきている。その先っちょで、私が件の土をほじくり返そうとしたときだ。
「やめろ」
むずっと、後ろからシャツの襟をつかまれたかと思うと、後ろへ思い切り投げられた。
あっという間に校舎が前へ飛んでいくや、私のすぐ横を、あの背の高い彼が通り過ぎる。もちろん、私が前を向いたまま後ろへ吹き飛んでいるからだ。
途中で渡り廊下のすのこに足が引っかからなかったら、そのまま背後の体育館の壁に叩きつけられていただろう。かといってすのこも勢いを止められず、私と一緒にひっくり返って倒れ込む羽目になったがね。
「もうすぐ『芽』が出るんだ。そうすればすぐ終わる。邪魔をするな」
こちらに背中を向けたまま、野太い声を出す彼。
その言葉通り、かがんだ彼の身体の脇から、「ぽん」と音がしそうなくらい、勢いよく双葉が地面から飛び出した。
にんまりと、彼の横顔がほころぶ。双葉は見る間に茎をのばし、その身体はわずか数秒で彼と遜色ない高さにまで至った。
「ようやく帰れるな」
彼は成長した茎にしがみつく。
そこからはまさに電光石火の動き。一瞬で茎は校舎を、周りの建物を置き去りにして、天空へと伸びあがったんだ。
わずかにのぞく青空の中へ飛び込んだかと思うと、今度はまばたきひとつで、ぱっと姿を消してしまったんだ。
ほどなく、校舎全体がブルブルと震えるのを私はこの目で見る。この体育館の渡り廊下は揺れていない。
本当に校舎だけが振動していた。中から小さく叫び声をあがるのも聞こえたが、十秒ほどで揺れはおさまる。音だけ聞くに、物などは落ちずに済んだようだ。
身体を起こした私は、先の双葉が生えた箇所へ近寄るが、そこにはもう湿った土の姿はない。校舎の反対側もまた、フェンスとの間隔がちゃんと元に戻っていたんだ。
それ以降、あの妙な天候が続くことはなかったよ。ひょっとしたら学校が揺れていたのも、あれを芽吹かせるために、特大の農具の役割を果たしていたのかなとも、いまになって思うんだ。