第三話 プロローグ 天界
ここはどこだ?
少なからずさっきまでいた学校じゃない。
なんでかって何も見えないからだ。
それだけじゃ確信は持てないはずだが、なぜかそんな感じがした。
目を開けようとしても目が開かない、って表現すればいいのか?
いや、目を開けた感覚すらしない。
耳をすませてみる。
......何も聞こえない。
おかしいな? 少なからず何か聞こえると思ったんだが?
まぁ仕方ない。
周りに何かあるか手探りで探してみる。
......あれ?
何もない?
というより、何も感じない。
何も感じないんだ。無重力空間にいるかのように体が空をきる。
自分の体が動いているのかさえも分からない。
マズい。
この状況とてもマズいのでは?
目を開けられず、耳をすませても何も聞こえず、何も感じない。
人は長期間暗闇の中にいると、精神が壊れて発狂してしまうって何かで読んだことがある。
俺は今まさにその状態に陥ろうとしている。
落ち着くんだ。
とりあえず落ち着け、俺。
こういう場合焦ったらダメだ。
とりあえず、状況を整理しよう。
素数を数えるんだ。
1、2、3、5、7、9、......1も9も素数じゃねえ! 既に手遅れだったようだ。
まずは俺の名前から思い出そう。
俺の名前は......
......?
.........⁈
俺の名前は、なんだ?
ちょっと待て、自分の名前くらい思い出せるだろう⁈ ここ17年使ってきた自分の名前だぞ! 今の状況で混乱してしまって思い出せないだけだ。そうに違いない。
他のことを思い出そう。じゃないと、どうにかなってしまいそうだ。
自分の名前がここまで重要だったのかと実感した。
普段から思っている訳ではないが、いつも以上に感じた。
人は自分の名前を忘れるとここまで混乱するものなのか。まるで、自分の存在意義を奪われたかのような錯覚に陥る。
そんな中で、俺がここまで冷静なのは自分の体が分からないという致命的な状態に陥っているからだろう。こんな状況じゃなければ発狂していた自身がある。
とにかく、状況を把握しよう。
確か俺は学校に居たはずだ。最後のホームルームをやったことも覚えている。
その後教室を出て階段を登り何かの償いをするために.......
…………。
あれ?
そうなると1つ疑問が浮かんでくる。
何故、俺は今痛みを感じていない?
たしかに実際に落下して地面にぶつかっても痛みを感じなかったが、こうして意識がはっきりしている状態では流石に痛みを感じないなんてことはないだろう。
もう既に手術が済んでいるのか?
だから痛みを感じないのか?
いや、それはない。即座に自分の考えを否定する。
ここが病院だったら、目が開けられない上に何も聞こえないのはおかしい。
それと、人は起きた直後からこんなに思考できない。それに加えて俺は寝起きに弱い。今こうなっているのもそれが原因だしな。
こんなに意識がはっきりしている以上、俺はたしかに死んだのだろう。
しかし、そうするとここはどこだ?
病院という説は完全に消えたし......
......人は死んだ後、どこに行くのだろう。
世の中で有名なのは天国と地獄か。
良い行いをしたものは天国へ逝き、悪い行いをしたものは地獄へ落ちるというもの。
これは今のところ分からない。移動途中かもしれないから断定は出来ない。
それか、死んだものは意識が完全になくなり無になるという説。
しかし、これは俺がこうして意識を保った状態で考え事をしている時点でありえなくなる。
そしてこれはマイナーだが、精神だけが残り肉体の苦痛を永遠と味わうもの。
これもないな、一切痛みを感じない。むしろそこが不気味すぎる。今はそれに感謝なのだが。
しかしそうすると、だいぶ絞られてくるな。残された可能性としては......
「こんにちは、k...た、sa...、*ひs...i,b...でs、ね...」
...っ!
何処からか声がした。
全体的にノイズがかかったような声だったが今まで音はしなかったはず。聞き間違いということはないはずだ。
瞬時に顔を上げる。
......顔を、上げる?
今まで体を動かした感覚はなかったが、顔を上げることに成功したのか?
......いや、顔は上げられていなかった。
目の前から声がしたから、それを認識しようとしたと言った方が正しいか。ぬか喜びだったらしい。
けれど、目の前を認識できるというのは素晴らしい進歩だ。心に満ち溢れていた不安が押し流されていくのが分かる。
そんなことを考えている場合じゃない。目の前の人に応答しないと。
そう思い、改めて目の前の人を見た。
その人はだいぶ、いやかなりの美人だった。
目の前の人は女神みたいに美しい女性だった。人間とは思えない顔のつくりをしていた。常に無表情なのが、更に顔を際立たせる。俺の知っている女性と比べるのもおこがましい。ただし美沙希は除く。
「お褒めに頂いて光栄ですわ」
目の前の女性が笑いながら喋った。顔の美しさ通りの美声であった。
っていうか、ちょっと待て。
俺が思ってること、全部向こうが分かっているの?
「はい、その通りです。貴方様は今、精神だけの喋れない状態ですので、貴方様の思考を直接私に届くようにしました」
マジかよ。余計なこと考えなくて良かった。失礼にならずに。
その前に、貴方は誰なんですか?
「はい、私はこの天界で死者の案内を務めているアイテールというものです。以後、お見知り置きを」
アイテール? アイテールって、あの天界の神、アイテールか? 神話の世界だけじゃなかったのか?
優大や美沙希とは仲がとてもよかったが、当然常に一緒という訳では無い。
だから俺はその間の暇を潰すために本を読んでいた。
アイテールという名前は、何かの神話関係の本に出てきた。はず。
いや、それ以前に何故俺はここにいる?
どうして、目の前のアイテールさんは俺のことを敬うようにしている?
「はい、それらをまとめてこれからご説明いたします」
あっ、そうか。俺の思ったことは全て直接あの人に送られるんだった。なんか酷い質問攻めみたいになってしまった。申し訳ない。
「大丈夫です。それでは、説明させて頂きますね。貴方様は、この地球は世界に1つだけだと思いますか?」
いや、1つだけじゃないのか?
「その通り、地球は1つだけです。しかし、世界は地球以外にも存在します。この天界は、ちょうどその世界と地球がある世界との境目、クッションのような役割です」
マジか! 世界がもう1つかもしれないっていう話は聞いたことがあるが、まさか本当に実在するとは...!
「その通り、世界はいくつもあります。そして、その世界は互いに干渉し合っています。例えば実例で言うと、片方の世界が魔法があったらなぁと思ったとします。そうしたら、もう片方の世界には魔法という概念が存在することになるのです。逆もまた然り。世界は互いに干渉し合ってより良い方向へと向かっています。極端な例ですけど大まかに説明するとこうなります」
なるほど、なるほど。
それが、さっきの話とどう関係するんだ?
「はい、先程説明したのは、互いの世界がそれぞれ同じことを思った場合のみだけだということです。」
あっ、なんとなく分かってしまった。
「そうです。互いの思ったことが共通していた場合、それはどちらの世界にも現れません。そうした場合、新たな世界が造られます。それがここ、天界です」
なんと、人類が新たな世界を造ったというのか。人類にはそんな力があったのか。
「もちろん、少なくない条件下で、です。しかし、私はここにいます」
なるほどな。だから天国と同じ天界に俺は今いるのか。死んでしまったから。
「いえ、正確に言うとここは天界であって、天国とは無関係です」
どういうことだ? 天界と天国は別の意味ということか?
「その通りです。貴方様の世界でいう、天界はこの世にはありません。しかし、死者を送るための天界は存在しています。」
なるほど、読めてきたぞ。
つまりここは天国ではない。更には天国は存在しない。しかし、死者を送るための天界は存在している。つまり、俺がここに来る前に考えていた、死者はどこに行くのかという最後の説。
輪廻転生か。
「その通りです、素晴らしいです! この短期間で既にそこまで考えが至っていたとは! 流石の一言に尽きます。そうです。輪廻転生がこの世の中の絶対の法則です。死んでしまった人達は、魂の中にある記憶のみが消去され、そのまま魂を器として新しい人として生まれ変わります。この時、どの世界に生まれ変わるのかは完全にランダムですが、必ずどこかの世界には生まれ落ちます」
基本的に無表情だった彼女が少しだけ表情を変えた。表情を変えた方が可愛いのにな。
けどまぁ、やっぱりか。
輪廻転生は宗教にも採用される有名な考え方だ。魂だけが永遠とリサイクルされるという考え方。まぁ、そこに別世界が絡んでくるとは予想外だったが。
しかしそうなると、今まで死んだ人の魂は別世界へと転生していることになる。
......美沙希は記憶を消されて転生してしまったのか。自分への殺意がより高まる。なんてむごいことをしたんだ。
記憶がなくなったというのは死と同意義だ。
美沙希は、やはり俺が殺してしまったんだ。
「大丈夫ですよ。美沙希さんは記憶を保持した状態でどこかの世界に転生しています。」
目の前の人からとんでもない話が飛び出した。
美沙希が...生きている?
何故?
そうすると彼女は少し呆れたように、
「貴方様がそう願ったからじゃないですか。まだ思い 出せていませんか? 無理矢理事実を改変するのはとても大変でした」
なんで......
当然、俺はそんなことを思った。
だってそうだろう? ただの一般人である俺にここまで親切にする必要はないはずだ。
「貴方様は覚えていらっしゃらないようですが、貴方様の転生前には、前世には、少しばかりお世話になったことがありまして、その時の恩返しだと思ってくれれば良いです」
ふぅーん、そんな事があったのか。
まぁ、知らんけど。
そんなことより、俺はこれからどうなるんだ?
今はそっちの方がだいぶ重要だろう?
「あ、そうでしたね。貴方様はこれから、一般人と同じ、特別性のない輪廻転生を受けてもらいます。記憶は残念ながら消去させて頂きます。本当に、申し訳ございません」
......そうか、
まぁ、仕方ないで割り切ろう。
「えっ、いいんですか?」
いいに決まってるだろう。何故ここで反対する必要があるんだ。
俺は本来死んでいたはずなのに、他の世界で転生して生まれ変わることができるなんて感謝しかないな。
それに......美沙希を生き返らせてくれた。
もうこれだけで充分だ。
我が生涯に一片の悔いなし!
「そうですか……分かりました。では、これから貴方様には転生させて頂きます。…すいません」
謝る必要なんてないのに。
まぁ、一切悔いがないと言えば嘘になるけど。
俺、賢者として同窓会とかで語られるのかなぁ。
「何を考えているんですか! 非常に不埒なのでやめてください!」
今までほとんど無表情を貫き通していた彼女が、初めて声を荒げた。
けど仕方なくない? 男の子だったら一回どころか二桁は余裕で思ったことあるだろ? むしろ、そうじゃない奴の方が異常。一種の本能だからなぁこれは。
「...まぁ、だったら仕方ないです。大目に見たいと思います」
なんとか許されたようだ。
まぁ、人生最後に会話した人がこの人で良かったと思うような会話だったな。とても楽しかったし。
...じゃあ、そろそろかな。
「...はい、ではこちらの門をくぐってください。それだけで、輪廻転生は完了します」
そんなに簡単なのか。すごいお手軽。
......じゃあ、さっさとくぐってしまいますか。これ以上ここに残るといくつも未練を思い出しそうで怖い。
死にたくはないが、俺は覚悟を決めて門をくぐろうとする。
最後に、さっきまで会話していた彼女に目を向ける。
彼女は相変わらずの、いや、少し不安そうな顔でこちらを見ていた。
「それでは、さようなら。貴方様の来世に、祝福があるように...」
そんなことを言われた。
全く、その通りだよ。来年の俺には頑張って欲しいね。
しかし、このアイテールさん本当に美人だな。胸も大き...
「それでは、さようなら!」
後ろから突き飛ばされた。
そんなんでいいのか⁈ 仮にも女神だろ⁈
....まぁ、楽しかったさ。
最後の最後にこんな楽しい時間をくれて、感謝しているよ。
次の人生はどうなるのかなぁ。
俺が知ったことではないけど、死にたくはないが少し気になった。
次の人生は、それこそ悔いなく生きたいな。今の俺じゃないように、な。
そんなことを頭の片隅で考えながら、門をくぐった。
アイテールさんの前では強がっていたけど、少しだけ、ほんの少しだけ思ってしまった。
死にたくない......