ぼくはそちら側だった
おかしな同級生がいた。
体形は小太りで、会話の時に反応が鈍かった。ぼくは、大学のクラスの大半を占める活発な同級生の友人の側にいて孤立はしていなかった。その同級生は、いつも一人でいて、たまにしか会わなかった。同級生と話すとき、まるで彼の年の離れた兄弟のような話し方に自然となっていた。
彼は、大学の授業で、女性教師に授業に出ないことを咎められて、いつの間にかいなくなった。
そんなコミュニケーションが下手な彼をからかう側に、ぼくはいた。
大学も二年目になる頃、やたらと丁寧で古めかしい言葉遣いをする同級生に出合った。彼もやがてからかいの対象になった。そして中々大学に来なくなっていつの間にか消えていた。
わたしもなんとなく、彼をからかう側の友人たちと一緒になっていた。先頭に立ってからかう側ではなく、心の中に後ろめたいもやもやしたものを感じながらすごしていた。確かに個性的な彼と一緒に行動することは勇気がいる事だった。ぼくにはその勇気がなかった。
そのうちに、一緒にいる友人たちから、「お前は変だ」「変」という言葉を続けざまに投げつけられるようになった。
数十年後、ぼくは発達障害との診断を受ける。
大学時代、ぼくが積極的にかかわろうとしなかったせいで、大学を辞めていった人たち、果たしてぼくが友人になったからといって、あの時代に何ができただろう? 発達障害という概念がない時代で、何かしてやれただろうか。それでも、ぼくが友人になることで、彼らに居場所ができて大学を辞めることはなかったのではないだろうか。ぼくは非力でどうしようもないから、読んでる人からは「自惚れるな」とお叱りの言葉をうけそうだけど、彼らのために何もしてやれなかったぼくは、心の中に何とも言えない残念な気持ちを抱いて生きている。