両雄動く
このように北条家を軸に、上総の里見家とも微妙なバランスで保たれていた関係は一年半にもおよんだ。
ところが天正八年四月、最初に仕掛けたのは以外にも義頼が安房勢であった。
義頼率いる安房里見家は二万の軍勢を持って梅王丸の居城でもある佐貫城へと進軍したのである。
義頼にとってみれば、最大の敵は大多喜城の正木憲時であることは疑いもないことである。しかし、あえてその矛先を大多喜城ではなく梅王丸が待つ佐貫城としたところに、この進軍の真意がある。
それは幼い梅王丸の身を案じている義頼が、一刻も早く事の収束を図ろうとした苦渋の選択でもあった。
当初、義頼は安房の全軍勢を佐貫城へと引き連れてきたかに見せた。しかし、二万の軍勢の中には安房の百姓五千が含まれていたのである。
彼は残りの精鋭五千を岡本頼元に預け、東平安芸守が千本城へと向かわせた。勿論、虎の子の鉄砲隊二百は堀江頼忠の指揮のもと全軍頼元の軍勢に与していた。
つまり敵の本城を攻める軍勢には鉄砲隊はおろか、侍以外の者まで動員されていたことになるのだ。
それでも義頼には勝利の確信があった。
それは、この二年もの間ひたすら画策してきた相房盟約によるものである。つまりは、義頼の動きに呼応するかのように、今では水面下で義頼と盟約を結んだ北条勢が、下総の生実城や志気城より上総にある里見家の各支城を牽制するというものであったのだ。
勿論、梅王丸が当主を務める里見家と北条家の間にも和睦が結ばれているわけであるから、北条が兵を動かさなくとも仕方がない。その時は潔く房州の土とならん覚悟はできている。
それでも義頼はこの日のため、北条氏政が妹を継室とし、何度も安西忠正を使者として氏政がもとに使わして来たのである。
しかしてその結果、義頼が久留里城までわずか二里と迫ったとき、下総より、北条の軍勢が三船山を越えたとの知らせが入った。
このことは、すぐに安房方の間者によって佐貫場内の知ることとなる。
その知らせに、佐貫城の加藤信景は驚愕した。もともと思慮深さとは縁遠い信景にとって、北条の参戦は予想だにしなかったことであろう。そのうえ、今や東平安芸守の千本城とは連絡が取れなくなっていたのである。
そう、その千本城はすでに、岡本頼元率いる安房勢五千によって蟻の這い出る隙間もないくらい完全に包囲されていた。
義頼は信景に対し、次なる矢を放った。つまりは、彼を調略によって取り込もうとしたのである。
こうすることで、味方の勢力を温存できるばかりか、何よりも梅王丸を無事に救い出すことができるとふんだわけである。
義頼はその使者に板倉実臣を立てた。
今度ばかりはただ書状を読み上げればよいと言うわけにはいかない。ことの利、不利を説かなければならないのだ。謹厳実直な秋本弥七よりも応用力のある実臣にすべてを託すことにしたのである。
この命を受けるや、早速板倉実臣は使者として佐貫城へと馬を走らせた。
一方、千本城での戦はあっけなく終わりを告げることとなる。
堀江頼忠率いる二百の鉄砲隊の一斉射撃に肝をつぶしたのか、あるいわ死おも恐れぬ安房勢の気迫に押されたのかは分からない。しかし、城内の上総勢は一戦も交えることなくことごとく離散していったのである。
城落後、頼忠はすぐさま地下牢へと向かった。そこには、あの竜崎六郎太がいるからだ。
「六郎太ーっ」
堀江頼忠の声は暗い地下牢の中で幾重にも反響する。
「頼忠殿、わしはここじゃ」
見ると、すでに竜崎六郎太は布で眼を覆い、牢屋番の茂吉に手を引かれて牢外へと歩いて来る。
「六郎太、よう頑張ったの」
頼忠は六郎太の身体をきつく抱きしめた。
「頼忠殿、殿は何処じゃ?・・・」
言いながら、布で覆った顔で辺りを見回そうとする。
「六郎太、眼は如何した?」
日の光の元で暮らしている頼忠には、この竜崎六郎太のさまが異様に感じられたのだろう。
茂吉はことの次第を話すと、日よけの傘を所望した。
頼忠と合流した岡本頼元も、この二年もの間地下牢で辛苦を味わってきた六郎太の肩を抱かずにはいられなかった。
「竜崎殿、よう戻られた。ほんとによう戻られたのお・・・」
日の光のもとでは、今はまだ何も見えぬ六郎太の眼からも涙があふれ出し、それは彼の目を覆っている布を濡らすこととなった・・・