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蟾蜍(ひきがえる)  作者: 鯊太郎
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安房の国主

 年も明けた天正六年正月。

 安房あわは岡本城の一室に複数の侍が集い、義頼よしよりと供に囲炉裏を囲む。その誰の顔にも笑みはなく、ただ無機質な面もちでもちを頬張っている。

 その中で、義頼だけは時より思い出したように笑みを浮かべ、若い家臣達が食う餅を自ら焼いているのだ。


 「それにしても良くできた話じゃったのう。特に正木まさき殿の最後のくだり、『方々、梅王丸うめおう様が御前ごぜんでござるぞ』は憲時のりとき殿にしては上出来じゃな」

 餅を返しながら義頼が呟く。

 それを皮切りに、若い家臣らはせきを切ったようにしゃべり始めた。


 「何故、まだ年端としはもゆかぬ梅王丸様に上総をお任せになさろうとしたのか。おそらくは・・・」

 板倉実臣いたくらさねおみは言いかけて言葉を飲み込んだ。

 実臣は義頼の若手家臣の中でも一際ひときわ頭の回転が速く、またひとつひとつの所作においても機微きびを弁えている。

 この時も、実臣には加藤信景(のぶかげ)や正木憲時をはじめとする上総かみふさ方の政略などは百も解っている。同時に、それを言葉にすることが、これから先、里見家にとって何を意味していくことになるのか、そしてその言葉を自分の立場で言うべきではないことも承知していた。


 「それにしても、あちらが上総八郡に対して、こちらは安房一国とは。どうにも釣り合いがとれません。」

 秋本弥七(やしち)は餅を半分に割ることもせずに、一気に口へと放り込む。

 心根がまっすぐな秋元弥七は、心の底にあることをそのまま言葉にしてしまうところがある。時として、それは同僚の反感を買うことにもなるが、まず持ってこの男の語ることに嘘という文字は見あたらなった。


 義頼はなおも笑みを浮かべている。

 若侍の中では一番年長の安西忠正あんざいただまさ眉間みけんしわを寄せると、手の中で餅を半分に割り、その片方を口へと運んだ。

 「それにしても不思議なのは、大殿のお考えじゃ。里見の家を正木殿に譲るつもりなのでしょうか・・・」

 思慮深さにおいて忠正はひいでていた。

 話の核心をついていても、必ず話し相手にことの結末を決めさせる。それ故、自分の考えを多く語るというよりは、疑問を投げかけるような話し方となることが多かった。


 義頼は焼けた餅をなおも返すと、今度は火箸ひばしを火鉢の灰へと突き刺した。その顔に、もう今までの笑みはない。


 「信景には、おそらくここまで事を運ぶ度胸はないであろう。とすると、やはり画策かくさくしたは憲時殿ということになるか」


 義頼は評定ひょうじょう場で皆を制した、あの正木憲時の皺ばんだ顔を思い出す。

 激情型の秋本弥七などは正木憲時と刺し違えんがため、今から大多喜おおたき城へと攻めこまんとする勢いである。

 義頼はそんな家臣達を頼もしくもあったが、代わりに安房へ帰るときから心にしまっていたもう一つの疑問を口にした。


 「あの若い国人こくじん竜崎りゅうざきと申したか、本当にすまぬことをしたの」

 これには、堀江頼忠ほりえよりただが答える。

 堀江はもともと義頼が抱える若侍の一人ではあるが、先日久留里城での評定には出ることができなかった。

 そればかりか、その評定の席で上総方より責めをおわされた竜崎六郎太とは無二の親友でもある。堀江は評定の後このことを知るや否や、密かに竜崎の処遇を探らせていたのである。

 「六郎太は・・・、いや竜崎は今、千本せんぼん城に幽閉ゆうへいされている由にございまする」

 「では、生きておると申すのか?」

 義頼の顔がにわかに紅潮していくのが分かる。


 「憲時めが、今度ばかりはしくじりおったわ」

 義頼は火箸をもう一度灰に突き刺した。

 「殿、餅が・・・」

 秋本弥七が声をかけたときには、すでに網の上の餅は真っ黒く焦げその体をなしていなかった。



 それから数カ月が経ち、季節の早い房総ぼうそうには早くも初夏の日差しがまぶしいほどに降り注いでいる。

 それに呼応こおうするかのよう、ここ安房の各城では、いつに増して戦の訓練に力が入っていた。

 そんな矢先、火急の知らせが里見家当主義弘(よしひろ)の居城久留里(くるり)城よりもたらされた。それは一見して誰の目にもただならぬことように察しがついた。


 早馬の使者は四人。

 どの使者の胴巻きにも黒い帯が巻かれ、背中に担いだ里見家の旗もいつものそれとは異なり白無地に『久』の文字だけが染め込まれている。

 直ちに義頼の岡本城でも評定が開かれることとなった。

 それでもどこから伝わったのであろうか、当主里見義弘の訃報ふほうは評定よりも早く、城内の誰もが知るところとなっていた。


 義頼は評定にて、まず家臣一同冷静に対応することの必要性を説いた。

 次に、使者に対しては礼を尽くし、安房里見家の名代として岡本頼元(よりもと)を使わすこととした。

 頼元は何事にも性急に判断することなく、また争いごととならないよう万事の所作をわきまえているからである。

 同時に義頼は、安西忠正をあの宿敵でもある北条氏政(うじまさ)の元へと使わした。

 勿論、現在の里見家が交わしている相房和睦そうぼうわぼくに対する、相房盟約(めいやく)とでも言うべきものを取り付けるためである。


 義頼はまた、目の前の敵でもある加藤伊賀守(いがのかみ)信景にも使者を送ることを忘れない。

 これにはあの木訥者ぼくとつものの秋本弥七をあてた。

 弥七には義頼からの書状だけを読ませることとした。その意味を理解できなくとも、文章に感情を込めて読む弥七には、ただこの書状を読むだけでも、義頼の真意が相手方には十分伝わるからだ.。

 あとは万が一、この期の混乱に乗じて上総方が安房に攻め込んでこないとも限らない。上総と安房との郡境には幾つもの馬防柵ばぼうさくを築き、義頼手持ちの乱波らっぱを随所に放った。


 この時の義頼のとった行動は、それをあらかじめ予想したうえで計画していたことなのか、それとも戦国武将として天性の素質なのか、一両日中に四方八方へと使者を送り、また安房にある各支城にも的確な指示を与えたところなどは、やはり抜きに出だ資質と言っても過言ではあるまい。

 義頼は板倉実臣に房州国内の通行印書ともなる胡桃くるみの木札を渡した。木札きふだには紫色の房が付けられている。それは安房里見家を表す色でもある。


 「実臣、仕上げは上総の各支城の情報じゃ。その方、すぐさま頼忠と上総へ移り情報を集めて参るのじゃ。特に大多喜城の正木憲時殿が動きには注意いたせ」

 「御意ぎょい

 言うが早いか、板倉実臣は堀尾頼忠を引き連れ岡本城を後にした。

 

 まもなく、義頼の元には久留里城にて梅王丸が里見家第七代当主の座についたと言う知らせがもたらされた。


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