梅王丸
ことの発端は3年前にさかのぼる。
この年、上総と安房、そして下総南部を所領とする里見義弘は、相州の北条氏政と和睦を結んだ。同時にそれは、父義堯の代より築き上げた下総の地より里見が撤退することを意味していた。
里見家六代当主でもある里見義弘は、関東に勢力を伸ばしつつある北条と手を結ぶことで、上総以南の内政の充実を図ろうとしたのでる。
しかし、これには義弘の子でもある里見義頼はじめ多くの家臣が反対をした。
家臣一同は下総南部を失うことよりも、仇敵北条との和議の無意味さを懸念したのである。
しかし、義頼らが意義を唱える暇もなく、結局相房の和睦は瞬く間に成立してしまうこととなった。
そのうえ上総では、こともあろうか北条との和睦を祝う席までもが義弘の居城久留里城で執り行われると言うのである。
これには義頼以下安房出身の家臣と下総を故郷とする一部の家臣は、異を唱えるという名目で、この宴席を欠席することとした。
激怒した義弘は、宴席上でこのことを取り上げると、義頼の為の設けられた祝いの膳を、小姓の持つ太刀を抜き払うや真っ二つに割ってしまった。
「義頼めが、わしを小馬鹿にしおって・・・」
酔いも手伝ったのか、義弘はその場にへたり込むように座った。すぐさま、重臣の加藤信景が後ろから義弘の肩に寄り添う。
「これは伊賀守か、そちはよう気が利くのお」
義弘はすがるような眼で、この加藤伊賀守信景を見上げる。
「大殿がなさりたきことはこの信景、すべてお察し申しまする」
加藤信景もまた、一段と目を細める。
「殿が今北条と手を結ぶは、すべてこの里見家の為。そして梅王丸様の御為になさっているのでござりましょう。北条と結ぶことで時間を稼ぎ、その間に国の力を蓄える。そして、しかるべき梅王丸様がこの里見家を継ぐ時の基盤をお作りになられようとしているのではありますまいか」
信景は舌も滑らかに、義弘の心根を言い当ててみせた。
「さすが伊賀守じゃ、なのに義頼めは少しもわしのことを理解しようとはせん」
義弘は右手を横に伸ばす。
信景の目配せに、多賀是之がすかさず朱色の杯をその手に持たせる。
合わせるように信景がその杯になみなみと濁り酒を注ぐと、義弘はそれを一気にその細い喉へと流し込んだ。
「大殿、すべては御嫡子梅王丸様が御為にございまする」
そう語りかけながら、信景はもう一度、溢れるほどに濁り酒をその杯へとうつした。
一方、この出来事よりも少し前、里見義頼は彼の居城でもある安房岡本城でこの相房和睦の知らせを聞いたのである。
義頼は取るものもとらずに馬を走らせると、その日のうちに義弘の居城久留里城へと入った。
ここで今回のいきさつを義弘より聞くためでもあったが、むしろ自分に何も相談せず和睦を進めたことに少なからぬ憤りをも感じていた。
「行く行くは大殿の跡を継ぎ,房州を治めるこのわしに一言も無いとはどういうお考えなのじゃ。」
義頼は何度も心の中で舌打ちをした。
この時代、いくら親子とはいえ一国の殿様の決断にその子が真っ向から異を唱えることなどありえるものではない。つまりはこの時も、義頼はどのように義弘の心を掴もうかと思案していたのである。
しかしそう言う義頼は、もともと義弘の実子ではなかった。
義弘とは同じ父を持つ義堯の子であったのだ。つまりは、義弘と義頼とは本来義兄弟ということになる。
ところが当主の義弘に子ができなかったため、父義堯は彼を義弘の後、里見家を継ぐ者として義弘の養子としたのである。よって親子とはいえ、二人の間は歳もそれほど離れてはいなかった。
そのことが、ともすると今回の騒動の発端となったのかも知れなかった。
久留里城に入った義頼は、すぐに義弘に会おうとはせず、城内にある自室に安西忠正、秋元弥七、板倉実臣らを呼び集めた。
「こたびの仔細について申し述べよ。」
義頼は討議するときも、元来多くを語るタイプではない。
安西忠正は一礼した頭を上げずに答える。
「こたび、大殿は我等家臣とは何もご相談されることなく北条との和議をお進めになったようでございますが、これはいかがされたことでしょうか?」
「我等も先の評定にてこのことを初めて知り、すぐに殿の下へ早馬を走らせたしだいでございます」
秋元弥七は、その目に涙すら浮かべている。
「下総には未だこの知らせが届いておらぬ城もあり、臼井城では兵五百が孤立したまま篭城しておりまする」
板倉実臣は憤懣やり方無いといった表情でこぶしを握った。
「先代の義堯公がみまかわれて以来、大殿も随分と気弱になっておると聞いておったが、何故これほどまでに北条との和睦を急がれるのか・・・」
義頼のため息交じりの言葉に安西忠正が答える。
忠正はまだ頭をあげようともしない。
「あるいわ梅王丸様とご関係があるのでは・・・」
「梅王殿と?・・・」
先刻、里見義弘には子ができずに義頼を養子にしたと記したが、五年前古河公方家足利晴氏の娘との間に男の子が生まれたのだ。名を「梅王丸」とした。
つまりは血のつながりが無いものの、義弘にとって養子の義頼とこの梅王丸とは共に我が子であり、二人は歳の離れた兄弟ということにもなる。
義頼は三十以上も歳の差があるこの幼き弟のことを、いつも親しみを込めて梅王殿と呼んでいる。この時も義頼の脳裏には梅王丸の無邪気な顔が鮮やかに浮かんでいた。
義頼は半分笑みを浮かべながら、忠正に面を上げて話すよう促す。
「近頃、頻繁に加藤伊賀守殿が大殿に目通りを申し出ているとのこと。また、大多喜城の正木憲時殿も久留米城へ足しげく通っているとのことにございまする。」
「信景が大殿に・・・」
もちろん、このことを聞いただけでも義頼にはことのいきさつが手に取るように見えてきた。
つまりは加藤伊賀守信景をはじめとする上総勢が、里見義弘の実子である梅王丸を担いで次の政権を我が物にしようとしているのであろう。そこへ大多喜城主の正木憲時や造海城主の正木時盛らが加担しようとしているのだ。
当然、彼らにとって養子とはいえ義弘の子である義頼は邪魔な存在であり、その勢力が及ぶ安房の家臣団にも相談が無いということはしごく当然の話であった。
事実、北条との和睦の件は、義弘と加藤信景をはじめとする上総の家臣達の間だけで進められてきた。
そのうえ、信景らは安房の家臣団に対し、必要以上に情報統制を行っており、その結果、安西忠正らにはことの詳細は何も伝わってこなかったのである。
義頼は立ち上がると、襖の間から見える二の丸の造り屋に目を移す。
「それにしても、幼き梅王殿が不憫じゃのう・・・」
そう言うと、もう一度梅王丸の顔を思い浮かべ悲しい顔をした。
ゆえに、義頼が北条との和睦を祝う宴席を欠席したのも、その義頼の考えに安房の家臣達が習ったのも、単に和睦に反対する意を表すためだけでなかったのである。