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蟾蜍(ひきがえる)  作者: 鯊太郎
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二匹の虫

 草むらを歩く二人の男。

一人は黒塗りの甲冑かっちゅうに金と朱色の糸で仕立てた垂れをいただき、兜の前立てには里見さとみ氏の家紋でもある二つ引両ひきりょうの飾りを付けている。

それほどに大柄というわけではないが、身体の骨格自体がいかにも戦国の武将たるを物語っているような風貌ふうぼうをしている。


 もう一人は、その男の少し後を追うように歩幅を小さく取りながらついて歩く。

日焼けした顔は浅黒いが、けっして下人げにんというわけではない。それが証拠に甲冑こそつけてはいないものの、月代さかやきを整え腰には大小二本の太刀たちを備えている。


 鎧武者よろいむしゃは東の地が開けた小高い丘の上まで歩を進めると、すでに朝日が十分に昇りきった空と山裾との境界線をじっと見つめる。


 「梅王うめおう殿は如何いたした?・・・」

 なおも東の空を見つめたまま、静かにたずねた。

 供の侍は片膝かたひざをつくと、左の掌で太刀の柄を押さえる。

 「梅王丸殿はすでに安房延命寺あわえんめいじにて剃髪ていはついたし、岡本の聖山ひじりやまに向かった由にございます」

 「信景のぶかげもいっしょか?」

 「はっ」

 「だましおってからに・・・」


 鎧武者は手にした乗馬用のむちで、近くの立ち枯れしたつつじの枝をパシリとひとつ叩いた。

その音に驚いたのであろうか、季節には少しばかり早い一匹のキリギリスが草むらから飛びだしてきた。


 しかし、そのキリギリスはすぐに動くことをやめた。いや正確に言うのならば、それはやめたのではく、やめざるを得なかったというべきであろう。

何故なら、枯れつつじの枝の間に張られた蜘蛛くもの巣にその足を引っかけてしまったからである。

二度ほど足を振ってみたものの、そう易々と蜘蛛の糸からは逃れられるものではない。キリギリスは片足を吊り下げられるような格好で動きを止めたのである。


 一方の蜘蛛も容易には近づこうとはしなかった。それが蜘蛛というものの習性なのか、それとも期せずして自分よりも大きな身体をしたこの獲物に驚いたのか、蜘蛛もまた動くことを躊躇とまどっている。

 それでも自然の摂理せつりとして、蜘蛛は少しずつ縦糸を伝わり獲物へと近づく。そして、あと一歩と言うところまで来たとき、キリギリスはその残った方の後ろ足で蜘蛛を思い切り蹴り上げた。


 弾き飛ばされた蜘蛛は弧を描いて地面へと落ちて行った。

 当たり前で考えるならば、このようなことが起ころうはずはない。しかし、現に今、起ころうはずのないことが起こったのだ。

地面に落ちた蜘蛛でさえ、この事実を受け止めるまでには多少の時間が必要であろう。


 ところでキリギリスはというと、蜘蛛を蹴ったことが反動となったのか、それとも重力に対して自分の体重を支えきれなかったのか、糸に絡んだ一本の脚を残して、これまた地面へと落ちたのである。

 つまりは、片足を失ったものの、キリギリスもまた、この思いも寄らぬ幸運を噛みしめるまでいくらかの時を数えは言うまでもない。


 キリギリスはびっこになりながらも、身体を左右に揺さぶるようにゆっくりと歩き始めた。

 したがって、二匹の昆虫の頭上には、主を失った蜘蛛の巣だけが初夏の風にゆらゆらと揺れている。


 しかし、この摩訶不思議まかふしぎな自然界の営みのことなど、ここに居合わせた二人の男には分かろうはずもなく、また分かったところで少しの関心も示さなかったことであろう。


 「憲時のりときめが、騙しおってからに・・・」


 鎧武者はもう一度そう呟くと、怒りを込めた大きな眼でさらに東の空をにらみつけた・

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