もぐらのドンキー
ドンキーは、もぐらです。土の中に穴を掘って生活するもぐらです。
ドンキーに限らず、もぐらは昼間、ほとんど地上へ出ることはありません。もぐらの目は、明るい太陽の光には耐えられないのです。昼の強い日光など直接あびようものなら、目の奥に鋭い痛みがはしり、それきり何も見えなくなってしまうのです。
「土の中の生活は快適なものさ。寒さに凍えたり、暑くて喉が渇いたりすることがないんだから」
そうつぶやいてみても、やはり地上を走りまわる動物たちをうらやましく思う気持ちは否めません。
ドンキーは、夜になると、やわらかい土を掘り、それを山のように盛って外へ出ます。みんなが眠りについている静かな夜です。
月夜の晩などは、それでもやはりまぶしいと感じます。新月の頃、それがもぐらにとって、一番活動しやすい頃なのです。
新月の晩には、空が晴れていれば、星がひときわ美しく見えます。ドンキーはそれを見ながら、いつも考えています。あの星たちのひとつにでも手が届けばなぁ……と。
たくさんの星を手に入れた夢を見たことがあります。ひとつふたつではありません。十も二十も、たくさんの星々が、頭や胸や手足を飾っているのです。きれいだなぁ……。しかし、そうつぶやいた時、あまりの明るさに目がつぶれてしまうのです。
それは、それは、悲しい夢でした。
「どうして、僕の目は、太陽の光に弱いのでしょう」
もりのふくろうボーアに尋ねたこともありました。ボーアは物知りで、「そうさねぇ」というのが口癖でした。ボーアは、餌の上手なとり方や、人間からうまく逃れる方法などをよく教えてくれるのです。
「そうさねぇ」と、ボーアはその大きな目をぎょろぎょろさせて言いました。「それはやはり習性というものだろうねぇ」
「シュウセイ?」と、ドンキーが訊くと、
「つまりだな、動物にはそれぞれ持って生まれた性質があるものなんだ。鳥は空を飛べるけれども、水の中では生きられない。魚は泳げるけれど、空を飛べやしない。もぐらが太陽の光に弱いのも、それと同じことなんじゃ」
「それはもう、変えられないのかしら」
ドンキーはまた訊きました。
「そうさねぇ。まあ無理というものだろうな」
しかし、ドンキーは納得できませんでした。
ドンキーには、親しい友だちがいます。野ねずみのロンドです。ロンドは、昼間森の中をかけずりまわって、餌を探しています。そして、時折、ドンキーにみやげを持ってきてくれるのです。
「ボーアがそう言うのならそうかも知れないね。僕だって空は飛べないし、土の中では暮らせないもの」
「でも、君はいいよ。昼間外へ出られるんだから」
ドンキーがそう言うと、ロンドはとても悲しい顔をするのでした。
春です……。
森の緑が、まるで息を吹き返すように、日一日と濃くなってゆく春です。多くの動物たちは、一日中野や山をかけまわり、草や花は土の中の水分をぐいぐいと吸い上げてゆきます。やわらかな太陽の光は、それらを大きくつつみこんでいるのです。
土の中のドンキーにも、春は感じられます。すみかの土の壁がぼんやりと暖かくなり、そして何よりも、外が騒々しくなるのです。
ドンキーは、地を走る音で、動物の種類を見分けることができます。
ト・ト・ト・ト・ト……とこきざみで軽い足音はねずみです。スルスルと動くのはへび。カッ・カッ・カッ……というのは、おそらく、きつつきが気をつついている音でしょう。
「ああ、僕も外へ出たいなぁ」
もぐらのドンキーが他の多くの動物を一番うらやましく思うのが、このころです。
春のたよりは、野ねずみのロンドがことこまかに教えてくれます。
「昨日はとても良い天気で、暖かだったよ。ふきのとうの芽がひょっこりと顔を出していたんだ」
「今日は、ついに梅の花が咲いたんだ。甘い香りが、あちらこちらをかけめぐっていたよ」
それらはとてもやさしい言葉だったのですが、やはりドンキーにはつらかったのです。
時折、ドンキーはロンドの話にため息をつきます。
「ごめんよ。偉そうに言うつもりじゃなかったんだ。ただ、君にも春を感じてほしかったんだ」
ロンドは、ドンキーの顔をのぞきこむようにして言いました。
ある日、ドンキーがスープを作っている時、野ねずみのロンドがかけこんできました。
「シーラという名の女の子りすに会ったんだ」
ロンドは息をはずませて言いました。「とっても小さくて、すばしっこくて、何よりも金色の毛がふさふさしているんだ。やわらかくって、やさしくって、……僕に、こんにちは、って言ったんだぜ」
「どこで出会ったんだい?」
「森のはずれにあるおんぼろ小屋で、さ。夕陽が彼女の瞳の中でオレンジ色に輝いて、それはそれはきれいだったんだ」
「夜でもそこへ行けば会えるかしら」
「夜? 夜は眠っているんじゃないかな。それに、夜じゃあ、ふさふさとした金色の毛や澄んだ瞳が見えないじゃないか」
ロンドは本当はとてもやさしい野ねずみなのです。その言葉にも悪意はありませんでした。しかし、誰しも知らず知らずのうちに他を傷つけてしまうことがあります。
「僕はシーラには会えないんだね」
ドンキーがぽつりとそう言った時、はじめてロンドは気がつきました。
「ごめんね、ドンキー。そんなつもりじゃあなかったのさ」
ロンドはやさしく言いました。「夜でも大丈夫、つれてくるよ。……そうだ、明日の昼頃、このあたりまで引っ張ってくるからさ。足音が覚えられるだろう?」
「そうだね」とドンキーはうなづきました。
翌日、ロンドは、約束どおりシーラをドンキーの住む穴の上につれてきました。
ロンドの足音はすぐにわかりました。そして、もうひとつ……あれがシーラなんだな、とドンキーは思いました。
チッ・チッ・チッ……
それはロンドより軽く細かな足音でした。どうやらロンドと追いかけっこでもしているらしく、聞き慣れたロンドの足音とシーラのそれが混じり合って聞こえてきます。ドンキーは、それらを注意深く聞き分けます。
きっと小さな足なんだな、とドンキーは考えました。やわらかい金色の毛、澄んだ瞳、それから、それから、……ロンドから聞いた話を思い出しながら、ドンキーはシーラの姿を想像しました。
「シーラをこの目で見たい。シーラと話してみたいなぁ」
その日の夜、ロンドがやってきました。
「どうだい、シーラの足音がわかったかい?」
「うん、よくわかったよ。小さくって軽い足音なんだね」
「そうさ、とってもかわいいのさ」
ドンキーとロンドは、とても楽しそうにシーラのことを話しました。
「ところで、ロンド。シーラは、夜、来てくれるって言っていたかい?」
「ううん、そのうちにって。……ここのところ、少し眠いらしいんだ」
ロンドは口ごもりました。
実は、シーラにはまだ、ドンキーのことを話していなかったのです。
ロンドは、昼間外へ出られず地面の中でしか生きられないもぐらの友人がいることを、少しだけ、ほんの少しだけ、恥ずかしく思っていました。今までそんなことは考えたこともありませんでした。しかし、シーラと話をし、シーラと遊んでいるうちに、ドンキーのことを忘れてしまったり、覚えていても、話さない方がいいような気になったりするのでした。
それでも、ロンドは、その翌日も、翌々日も、シーラをドンキーの穴の上につれてきました。
ドンキーは、シーラの足音を毎日心待ちにするようになりました。
朝からシーラのことばかり考えて、食物の味もよくわからないほどです。そして、足音が聞こえてくるのが少しでも遅いと、ケガでもしたのではないかと心配し、それがロンドの足音ともに聞こえてくると、立ちすくんで耳をすませました。
「シーラはまだ、眠いって言っているのかい?」
ドンキーは幾度もそう尋ねました。そのたびにロンドは、まだダメだと言います。
ある時、ドンキーは、ロンドに怒って言いました。
「どうしてシーラをつれてきてくれないんだ。眠くたって少しの時間だけだし、夜で何も見えなくたって、君が案内してくれればいいじゃないか!」
「いや、実はね。シーラはねらわれているらしいんだ、うん、コウモリのやつにさ。この前、木の実を探しに行ったら、コウモリがおそってきて、危うくつれていかれそうになったんだよ。それ以来、特に暗くなってから外へ出るのが怖くなったんだな」
ロンドはそう言いながら、ちょっと胸が痛みました。明日こそつれてきてやろう……ロンドはそう思いました。
よし、僕の方から出ていってシーラに会ってやろう。
ドンキーがそう決めたのは、そろそろ桜の花も散り始める頃でした。
ロンドに頼んでいたのでは、いつまでたってもらちがあきません。足音だけではなにやら悲しくなるばかりです。ほんの少しだけ、ロンドと遊んでいるシーラの姿を見れば気がすむのです。
よし、曇りの日がいいだろう。できれば、雲が空いっぱいに広がって、今にも雨が降り出しそうな日、それなら太陽も出ていないし、かなり暗いにちがいない。そして、いつか拾った色ガラスの破片を眼に着けていこう。
それは、真っ青で美しいガラスで、拾ってから一度も外へ出すこともなく、穴の奥深くにしまっておいた宝物でした。
明日の天気はどうだろう、とドンキーは鼻を穴の土壁につけてにおいを嗅ぎました。
天気を知るための一番確実な方法は、土の湿気を探ることです。この方法で、今までに予想が外れたことは、ほとんどありません。
「どうやら、明日はよい天気らしい」
ドンキーはがっかりして、ベッドに転がりました。
それから数日後、ついに好機がやってきました。
その日は、起きた時から湿気が多くじめじめしていました。加えて、地上の様子が妙に静かなのです。雨、そう、雨が降っているにちがいありません。
よし、今日こそシーラに会える。
ドンキーは、幾度も鼻を土壁に押しつけながら、そう確信しました。
シーラがロンドとともに穴の上に来るまでの間が、どんなに待ち遠しかったことでしょう。
ドンキーは、その三時間も前から準備を始めました。ひげを同じ長さに切りそろえ、顔をごしごし洗いました。一本一本の歯をていねいに磨き、お風呂にも二度はいりました。そして、とっておきの服を着け、宝物を入れた箱から、真っ青な色ガラスを取り出して、眼にかけました。
鏡の前に立つと、そこにはちょっと気取ったもぐら紳士がいました。
もちろん、昼間外へ出ることに不安がなかったわけではありません。もし、外が晴れていたらどうしよう。もし、太陽の光で失明してしまったら、これから先どうして生きていこう。
しかし、それらの不安も、シーラに会える時刻が近づくにつれて薄らいでいくようでした。
「たとえ目が見えなくなっても」とドンキーは独り言を言いました。「たとえそうなったとしても、シーラと会って話がしたい」
ドンキーにとって、シーラと会うことが、一生かけても悔いのない一事になっていました。
いよいよその時がやってきました。
今では、ロンドとシーラの足音を他と聞きまちがえることはありません。
それは、いつもよりやや遅くやってきました。
まず、ロンドの足音が聞こえ、少し遅れて、シーラの足音がついてきました。彼らは、いつものように追いかけっこでもしているのでしょう。
ドンキーは、地上への道を走っていきました。道は、もうずいぶん前に掘って準備してありました。走っているせいなのか、シーラに会えるという期待のせいなのか、胸の鼓動は、リズムをはずれたドラムスのように高鳴っていました。
地上に近づくにつれて、少しずつ明るくなっているようです。ロンドとシーラの足音がすぐ間近に聞こえました。
ドンキーは、あと一歩というところで呼吸を整えました。穴の口を覆っている板片を取り除けば、そこが地上です。シーラがいるのです!
えいっ、とドンキーは一息で板片を取りました。その拍子に、真っ青な色ガラスのメガネが落ちました。
まぶしい!
そう感じたのと、目の奥を激しい痛みがおそったのとが、同時でした。
シーラのふさふさとした金色の毛が、一瞬、見えたような気がしました。
シーラ!
急速に目の前が暗くなってゆきました。夢の中で、たくさんの星を手に入れた時と同じだな、とドンキーは思いました……。
さっきまで降っていた雨が、木々の葉に残っていました。土は水を吸い、黒々とぬれていました。やっと雲から出てきた太陽の澄んだ光が、追いつ追われつして遊んでいるロンドとシーラを包みこんでいます。
すぐ近くでごそごそと音がしました。置いてあった板片が動いて、小動物が飛び出してきたのです。
「あっ!」
ロンドが思わず叫びました。
「どうしたの?」
シーラが、不思議そうにロンドとその向こうの動物を見ました。
「もぐらさんだわ。昼間に、珍しいわね」
しかし、シーラはそう言っただけで、立ちすくんでいるロンドの手を引っ張りました。
「ねぇ、今度はあなたがオニよ」
シーラは、ころころと笑って逃げていきました。
(了)