悪役令嬢はヒロインを陰で守った後、川辺で黄昏れました
「はぁ……はぁ……。わ……わたしの……勝ち……です……わね……」
明道院蓮は、ダラリと下がった左腕を右腕で抑えながら、白目をむいて横たわっている巨漢の男を見下した。
制服にできてしまった無数の裂け目の下からは、ところどころ赤く染まった白肌が露わになっている。
トレードマークであるリボンもほどけてしまっており、縦ロールの長い金髪もクシャクシャになってしまっていた。
蓮は、足を引きずりながら横たわる男へと近づく。完全に意識を失っているようだ。
男の猛攻を掻い潜って放った明道院流奥義“朱撃掌”。それも、カウンターのタイミングで男の急所を目がけた一撃だ。その衝撃は想像に余りある。
男に起きてくる気配がないことを確認した蓮は、ようやく息をつき周囲への警戒を解く。その時、背後から、パン、パン、パンとゆっくりとした拍手の音が聞こえてきた。
「お見事でございました、蓮お嬢様。さすがは明道院流の後継者、といったところですかね」
その聞き馴染みのある若い男の言葉に、蓮は苦々しい顔で応える。
「ふん、来るのが遅いのよ。もうアッサリ終わらせたところだわ。そんなことでは守り役は失格ではなくて?」
「これは手厳しい。しかし、私もなかなかお嬢様の下を離れられないものでして……。蓮お嬢様に動いて頂けまして、本当に感謝しております」
能面のように張り付いた笑顔を見せて、若い男が頭を下げる。
青年の名は大須匠。川名家の令嬢に仕える執事兼守り役を務める者だ。
川名家と明道院家は共に古那屋の街を中心とする財閥家であり、何かにつけてライバル関係と目される間柄だ。
人望に厚く常に周囲を思いやる川名家が“太陽”と慕われているに対し、力と策略であらゆる障害を捻じ伏せるイメージを持たれている明道院家は“北風”と恐れられていた。
しかし、これは表向きの姿に過ぎない。その実、川名家と明道院家は表裏一体のものとして緊密に結びついていた。古那屋の地の“表”は川名家が治め、その“裏”では明道院家がしっかりと抑える ―― 古の時代より連綿と続いてきた役割分担により、三方を山に一方を海に囲まれた“半孤島”ともいえる地理的には決して恵まれていない古那屋の地はその権勢を保ってきたのである。
しかしながら、勢力が高まれば高まるほど、その恩恵を奪い取ろうとする輩は増える。
現に、今日も川名家の令嬢であり“お人よし”として名高い綾を誑かし、川名家を、そしてこの古那屋の地を危機に陥れようとするものが現れていた。
その危機をいち早く察知した蓮は、すぐさま行動に移る。
明道院家の手の者を使って、情報収集と末端を壊滅。そして、中心人物を人目がつきにくい川原へとおびき寄せ、一気に決着をつける。いつも通り、十分に結果が見えている“仕事”であった。
一つ誤算があったとすれば、目の前に倒れている“中心人物”の抵抗が思いのほか激しく、危うく不覚を取らされるところだったことぐらいであろうか。何かしらの武術の心得があったと思われるこの男の攻撃にてこずらされたのは偽らざる思いであった。
そして、蓮は、再び大須匠を見据える。
本来であれば、今回の事態には川名家の“守り人”である大須匠が積極的に動いても良いはずだ。そして、彼もそのことをしっかりと自覚しているのは間違いない。
しかしながら、結果として動いたのは自分 ―― いや、彼に動かされたともいえるであろう。
本当に、食えない男だ。蓮はこの表向きは穏やかな好青年を装っている男のことを苦々しく想っていた。
その想いを知ってか知らずか、匠はしれっと声をかけてきた。
「さて、後片付けは私めにお任せくださいませ。すぐに手のもの駆けつけてまいります。蓮お嬢様は少しそちらの橋のたもとででも休まれてはいかがですか?」
「では、そうさせていただこうかしらね。さすがに少し疲れましたわ。それに、貴方にも少しは働いてもらわないとね」
「多少はお役目を果たさないと私も放逐されてしまいますからね。では、後に……」
連の皮肉交じりの言葉に、匠はおどけるようにして応える。
……まあいい、少し休ませてもらおう。蓮は、橋のたもとへと移動し、ゆっくりと腰を下ろした。
橋の間を風が吹き抜ける。日は傾き、地平線へと吸い込まれ始めている頃合いだ。流れる空気の冷たさが身に染みる。
蓮は、しばらくの間ぼんやりと川面の煌めきを眺めていた。
蓮の想いは、川名家の令嬢、綾へと向かう。同級生であり、本来であれば良き友人であるはずの二人。しかし、周りからはそう思われていない。いや、むしろそう見せていないと言った方が正しいかもしれない。
幼き頃から同じ学校に通う二人であるが、おっとりのんびりしたところもあるが誰に対しても優しく皆から慕われる綾を、取り巻き従えた蓮がいつもちょっかいをかけているというのが、周りが感じている二人の関係だ。
まるで乙女ゲーの悪役令嬢のような役回り。手を差し伸べたいときに素直に差し伸べることができず、心が辛くなることもある。
一方で、今日のようなことがあれば綾に知られることなく事件そのものを闇へと葬る。綾の気を煩わせないために必要なことと頭では理解しているが、心のどこかでは感謝を求めてしまっているのかもしれない。
その心が醜く鎌首をもたげ、普段の“演技”の時に強く出過ぎてしまっていないか……蓮は孤独であり、不安であった。
見つめていた川面の輪郭がぼやけ、視界が揺らぎ始める。思わず顔を俯ける蓮。
その時、蓮はふぁさっと何かが背中にかけられる感触を覚えた。その感触に驚いた蓮がはっと後ろを振り向く。
そこには、先ほどと同じように、目を細め、感情を抑えた微笑みを見せる大須匠の姿があった。
「その服では風邪をひいてしまいますよ。どうぞこちらを羽織っていてください」
匠の言葉に、蓮はそっと肩へと手をやる。先ほど背中からかけられたのは、まだ温もりが残る匠のブレザーだった。
普段であれば投げ捨てるところであるが、その温もりがやけに愛おしく、蓮はそっと手元に引き寄せる。
しばらくの間、二人の間に静寂の時が流れる。風により揺らされた枯草の擦れる音だけが、辺りに響いていた。
先に言葉を発したのは、蓮の斜め後ろに、控えて立つ匠だった。
「お辛いですか?」
短い言葉だ。しかし、この短い言葉の中に匠の想いが伝わってくる。
「……そうね、時々何のためにこんなことしているのか、分からなくなることはあるわね」
蓮の口から、心の澱が自然に吐き出される。
「重い役回りを担わせてしまっております」
匠が言葉を続ける。その言葉が、蓮の心に突き刺さる。
「こういう時にお酒でも飲めると少しは気がまぎれるのかしら?」
蓮が茶化したように尋ねる。
「私たちはまだ未成年です。世間の目と立場を考えると、あと数年、きちんと二十歳になるまで待たなければなりませんね」
匠が、わざわざ立場を強調するようにしながら、肩をすくめ至極残念そうに答える。
「世知辛いものですわね。そんなことでは煙草も吸えないじゃありませんか」
大げさなため息をつきながら言葉を重ねる蓮。
「そういえば、ちょうどここに棒付きキャンディがございます。頂き物で恐縮ですが、こちらを差し上げましょうか?」
匠はポケットをまさぐり、恭しくキャンディーを差し出す。手作りの品なのだろうか、透明なセロファンに包まれた琥珀色の飴はずいぶんといびつな形をしていた。
蓮はそのキャンディーを手で制しながら、匠に上目づかいで言葉をかける。
「お子様ではあるまいし、結構ですわ。それよりも、匠様、いえ、川名家の力をもってすれば、煙草やお酒の一つぐらい、どうとでもなるのではございませんのでして?」
「ははっ、蓮様が強くご所望されるであれば仰せの通りにしなければなりませぬな。では、まずは裏から手をまわしてすぐさま法を改正するよう働きかけましょう」
どんどんと芝居がかってくる匠の様子に、蓮は耐え切れずにぷっと吹きだしてしまった。
蓮の口元からクスクスクスと笑い声が零れ落ちる。ついでに、瞼からは雫が一滴だけこぼれたようだ。
一連のやりとり本心の言葉ではないことはわかっていた。お酒や煙草程度のことなど、その気になれば“誤魔化し方”などいくらでもあるのだ。
でも、自分の何気ない一言から、心中を理解し、“言葉遊び”で気を紛らわせてくれる。そんな匠の気遣いが、蓮にはとても心地よく感じた。
舞台の上では常に演じることを強いられる蓮。その“舞台裏”を見せられるのは、匠だけ。
彼の前であれば、少しだけ素直になってもいいのだ。
「やっぱり先ほどのキャンディー、頂いてもよろしくて?」
蓮は微笑みながら、おそらくは匠の手作りであろう不揃いな形をしたキャンディーを求める。
その飴の甘さを感じながら、せめて日が暮れるまでの間、こうして二人だけの時間を過ごしたい ―― そう願う蓮であった。
お読みいただきましてありがとうございました。飯テロ度は過去最低となっております(笑)
アマラ先生の某所での発言に着想を得た作品です。掲載を許可いただきましたアマラ先生、ありがとうございました。
マイページには、第3回オーバーラップWeb大賞1次通過作品である『異世界駅舎の喫茶店』をはじめ、様々な作品を掲載しております。こちらも合わせてご愛読いただけましたら大変幸いです。
なお、本作に出てくる大須匠と拙作『異世界駅舎の喫茶店』に登場するタクミは何ら関係がございません。こっちの匠は悪人(断言)ですが、あっちのタクミは善人の塊です(笑)
ブックマーク&評価&感想&読了ツイートなど、ご声援はいつどのような形で大歓迎です!
これからも他作品ともどもご愛読ご声援いただけますようよろしくお願い申し上げます。