5.恋の季節
『秋は恋の季節だ』
高校生の頃に学校に内緒でしていたバイト。そのバイト自体は面倒臭いだけだったのだが、そこで一緒に働いていた先輩が非常に印象的で今でも思い出す事がある。今日もふと、その先輩に言われた事を思い出した。
その先輩によれば、物寂しい秋こそが最も恋愛に適しているのだそうだ。情熱的で熱い夏が終わり、涼しくなったどこか物寂しいこの季節。人恋しくなるのは自然の摂理だと彼は言った。さらには都合が良い事にクリスマスなんてイベントが少し先に控えている。だから、ほんのちょっとの勇気を出せば上手くいく。かもしれない。
そんな言葉を俺に押し付けて、当時俺が憧れていた女性の前に強引に押し出されたのは良い思い出だ。人生初の告白はそんな先輩のお蔭でかなり印象深いモノとなった。結果については……今はもうどちらでも良いか。
土曜日の夜。いつも通りに練習が終わった後で、山口を家まで送る為に車を走らせている。今日は少しお疲れのようで助手席の山口はとても静かだ。だからだろうか。不意に昔の事を思い出して少しだけセンチメンタルな気分になってしまった。
でも、恋の季節か。
秋だからなんて関係なく、俺は今、山口に恋をしている。あっ、ダメだ。キモイ。
三十路のオッサンに、恋なんて言葉は似合わない。
だけど。
好きなのは事実。アピールしてみるくらい良いかもしれない。十近い年齢差のせいで自信が持てないが、何もしないよりはマシだろう。
「なぁ」
「なに?」
山口がこちらを向く。ちらりと横を見て話を続ける。
「零の練習ばっかりで少し飽きないか?」
「うん。実は少し飽きてきた」
つかみは良し。これならいける。自分に言いきかせて言葉を続ける。
「だよな。明日は気分転換にどっか出かけないか?」
「あー、それ良いね」
よし!食いついた。ここからは慎重に、相手の出方を探るように。
「山口はどっか行きたい所はある?」
「んー。どうだだろう。そう言えばパフェが食べたいかも」
「おっパフェか。じゃあ明日はパフェを食べに出かけてみる?」
「良いの?」
「もちろん。話したら俺もパフェが食べたくなってきたし」
「そっか。ありがと」
作戦成功。
パフェを食べに行く事が決まったからだろうか。急に饒舌になった山口の話を聞きながら、俺はまた少し車のスピードを緩めた。
通い慣れた道をゆっくりと走る。
どうしてこんな時ばかり信号は全て青なのだろう。遠くに見える青信号に念を送る。赤になれ、赤になれ、赤になれ……。結局、通ると同時に黄色に変わる。バックミラー越しの赤信号に内心で腹を立てた。
◇◇◇◇◇◇◇
雲がほとんどない青空の元、俺達はフルーツをふんだんに使った美味しいと評判のパフェの店へと向かっている。
少しだけ開けた車の窓からは秋特有の乾燥した空気が流れ込んできて、山口の髪を揺らす。デートには持って来いの今日のような天気を秋晴れというのだろう。
ナビを頼りに辿り着いたのは、住宅街の中にひっそりと佇むカフェだった。人気店らしくそれなりに広い駐車場がほとんど埋まっていた。ネット情報によれば元々ただの果物屋だったのを改装して、カフェと兼営しているらしい。山口に説明しながらカフェのすぐ隣の店を見れば、美味しそうな果物が所狭しと並んでいた。
秋のフルーツと言えば何を思い浮かべるだろうか。実りの秋なんて言葉があるくらいだから、旬のフルーツがたくさんあると思っていた。しかし残念ながらパフェに乗せるようなフルーツはそんなに多くはなかった。
桃やメロンはすでに旬が去っており、苺はまだ少し早い。主役級のフルーツは何れも旬から外れていたのだ。
とはいえ、全くないわけではない。リンゴにブドウ、キウイに柿が旬のフルーツとしてメニューに載っていた。
この店ではパフェに乗せるフルーツの種類を好きに選べるらしく、山口がキウイと柿、俺がリンゴとブドウをそれぞれ選んだ。
前言撤回。
主役にはなれないと思っていたフルーツ達だったが、俺の間違いだった。
「食べる?」
チラチラとこちらを伺う山口にブドウをのせたスプーンを差し出す。
パクリ。山口は躊躇なく食い付いた。今までなら何でもなかった癖に、一度意識してしまってからは妙にドキドキしてしまう。たかが間接キスごときで、いい大人が情けない。
「美味しい!はい」
今度は山口の方からキウイの乗ったスプーンが差し出される。先ほどの山口を真似てそれを頂いた。その行動に急に恥ずかしくなってしまう。いつもの俺なら、ふざけて『はい、あーん』なんて言葉を言ってしまうような場面で恥ずかしがって言葉が出てこないのだ。
まるで付き合っているみたいだ。そんな事が頭を過ってしまうあたり、かなり重症だ。早々にどうにかする必要がある。
そんな事を考えつつもパフェを最大限に満喫した。その後、山口の要望で軽くドライブをする事になった。
俺達が住んでいる地域は、少し車を走らせればすぐに海に出る。坂道を下りながら、キラキラと日の光を浴びて輝く海面を眺める。幾人かのサーファー達が波と戯れる様子が見て取れた。
「石田はサーフィンはやらないの?」
「どうして?」
「似合わなそうだなって思って」
「おい、どうゆう意味だ!?」
「無駄に肌が綺麗だからね」
「無駄で悪かったな」
俺は山口の頭にでこピンをした。デコじゃなくて頭にあたったけれど……。
どうでもいいような話をしながら俺達はどこまでも進んで行く。なんて事が出来ればいいのだが、残念ながらそんな訳にもいかない。いつの間にか太陽はゆっくりと傾いて、もう少しすれば空が赤く染まる事だろう。
せっかくのドライブが終わってしまう事を残念に思いつつ隣を見る。
山口がとても楽しそうに笑っていた。
たったそれだけの事で胸中の寂しさは霧散して、嬉しくなってしまう。これ程単純で不思議な事はないだろう。
◇◇◇◇◇◇◇
帰り道。いつものように山口に夕飯を作って貰う為、食材を買いにスーパーに寄った。通い慣れた家の近くの店とは異なり、随分と大型のスーパーだった。
俺の持つ買い物かごに山口はテンポよく食材を入れていく。家主である俺よりも冷蔵庫の中身を熟知しているのだから驚きだ。これでいて付き合っていないのだから、俺達の関係は随分と歪なモノに思えてくる。
きっと山口も多少の好意は持ってくれている。普段の行動からそれは十分以上に伝わって来る。告白さえすれば、付き合う事が出来る気がする。
でも、もし振られたら?
たった一言口にするだけで俺達の関係は大きく変わるだろう。それが良い方向に向かう保証なんてどこにもないのだ。随分と臆病になってしまっている自分に嫌気がさす。勇気を出さなくてはいけない。
でも、やっぱり……。
家に帰り、さっそく夕飯の準備をする。最近では俺も手伝うようになり、一緒にキッチンに立つことが多くなった。
野菜を切る時、包丁を零で覆えば驚くほどよく切れる。野菜を切る俺の隣では山口が物質操作を使用して洗った野菜の水切りを行っている。少しでも時間があれば意識的に使用して来た零は、いつの間にか随分と上達しているようで日常生活の中で大いに活躍してくれている。
もうそろそろ自分たちの能力取得の為に属性を定着させるのも良いかもしれない。
食事をしながら、先ほど思った能力についての話をすれば山口は快諾してくれた。
「うん。やろうよ。私もそろそろ良いと思ってたんだよね」
食事中でなければ踊り出してしまいそうな程に山口のテンションは上がった。
「山口は、どの属性を定着させるのか決まってる?」
「実は迷ってる。石田は?」
「俺は重力にするつもり」
「あれ?雷は?」
「正直迷ったんだけどね。能力について考えてたら重力で良い事を思い付いちゃってね」
「良い事って?」
「まだ秘密」
俺の回答を聞いた山口はやや不満そうだ。
「ケチ。じゃあ私が雷選んじゃっても良い?」
「良いよ。それに能力が完成したら一番に見せるから」
「ほんとに?」
俺が頷くのを確認した山口は「じゃあ良し」と言って、お手製の漬物を頬張った。
「それで山口は雷にするの?何かで迷ってたんだろ?」
「うん。火と氷と雷で迷ってた。火は適正が低いし雷は石田が使いたいって前に言ってたから、ほぼ氷だったんだけどね。でも石田が雷やらないなら雷にしようかと思って。本当に良いの?」
「もちろん良いよ。もう能力も決めてたりする?」
「一応ね。でも私も秘密にする」
山口はわざと視線を逸らして見せた。
「ケチ」
先程の山口を真似る。
「仕方ないなー。完成したら石田に一番に見せるから」
「本当に?」
「うん」
大きく頷いた山口と少しだけ見つめ合った。
「じゃあ良し」
お互い同時に笑った。
能力が完成するのは、いつになるのだろうか。少なくてもそれまでは一緒にいられる。だったらその時までは、今のままで。
問題を先送りにしている癖に、これで良いと自分に言い訳をした。
目の前の山口を見れば、食後に淹れた温かいお茶に息を吹きかけている。少しだけ厚いその唇に思わず目を取られる。どうにも頭の中が山口の事でいっぱいになってしまっているようだ。
少し冷静になろう。そう自分に言い聞かせ、零の能力について頭を切り替えた。
山口の淹れてくれたお茶に口を付ける。
「熱っ」
舌をやけどした。
簡単に冷静には、なれないらしい。