3.適正判別
連休明けの一週間は非常に怠かった。どうして休み明けのやる気がない時に限ってトラブルが連発するのだろうか。だがしかし、大変だった仕事は終わった。
金曜の夜、自宅へ向かって車を走らせる俺の心は非常に軽い。仕事をしながらも、この一週間はしっかりと基礎練習を続けてきた。明日は待ちに待った適性判別が出来るはずだ。
土曜の朝は、普段の平日よりも早くに目が覚めた。遠足当日の子供みたいだと思わず自嘲してしまう。日課になっている寝起きの基礎練習を終わらせてのんびりと準備をした。
余裕を持って家を出たはずが、着いたのは約束の時間よりほんの少し早いだけだった。山口の家に着いた時、ちょうど山口の母親が家から出てきた所だった。
「おはようございます」
「あら、おはよう。今日も里紗とデート?」
山口の母親は土曜日だというのにスーツを着ていた。出勤には随分と遅い時間だが、休日だから問題ないのだろうか。
「はい、今日も娘さんをお借りしますね。土曜日なのにお仕事ですか?」
「うん、本当は休みだったんだけどね。急に呼び出されちゃって」
そう言って笑う山口の母親は、すでに五十近い年齢のはずなのに随分と若々しくて色っぽく見える。
「それは辛いですね。頑張ってください」
「はい、頑張ります!」
ビシッと敬礼して見せてくれた。いつもの事ながら随分とノリが良いなと思いつつ、俺も敬礼を返した。
「お気を付けて」
「うん、ありがとう。洋一君は里紗とのデート楽しんでね。いってきまーす」
「いってらっしゃい」
車の中から手を振る山口の母親に、手を振り返した。
「おはよう。待たせてごめんね。何してたの?」
「おはよう。そんなに待ってないよ。山口のお母さんを見送ってた」
「石田ってうちのお母さんと仲良いよね」
「おっ!?もしかしてヤキモチ?」
「もう、なんでそうなるのー」
文句を言っている山口を車に乗せて、俺の住んでいるアパートへと向かった。
我が家に到着したら早速、適正判別の準備を始める。準備と言っても洗面器に水を張るだけなのであっという間だ。
「山口からやってみる?」
「いいの?」
犬のような尻尾があれば千切れんばかりに振っているだろう雰囲気で、山口はこちらを見ている。
「もちろん。じゃあ早速やってみてよ」
「わかった」
座布団の上に正座しながら洗面器に向かい合う山口は、驚くほど真剣な表情をしている。
山口が洗面器に手をかざす。その手からは少しずつ零が放出されており、ゆっくりと水に染み込んでいく。三十秒程かけてその作業を終えた山口は顔を上げると、盛大に息を吐き出した。
「おつかれ」
「うん。後は血を出すだけなんだけど、ちょっと怖いよね」
「だよな。できそう?」
少しだけ迷ったような仕種の後、山口はパッと顔を上げて真っ直ぐに俺を見た。
「怖いけどやるよ」
俺は頷くと、準備してあったカッターナイフを山口に手渡した。
洗面器の水に零を染み込ませた時よりも遥かに時間をかけて山口は自らの指先を切り裂いた。滴になる程に血を出すのは思っているよりずっと深く傷を付ける必要があるみたいだ。
山口の指先に集まった血の滴はゆっくりと水面に落ちていった。真っ赤な鮮血は水中で不思議な形を作り出し、やがて霧散して全体がほんのり赤く染まった。
失敗かと思った次の瞬間、水面はまるで渦を巻くようにゆっくりと回り始めたのだ。その様子に見入っていると、だんだんと色に変化が現れ出した。それらは一、二分で変化を終えるとそこには円グラフのように四色に別れた水が光っていた。
「あっ!光った!」
「やったな」
「うん」
満面の笑みを浮かべる山口は、いつも以上に幼く見えた。
適正判別の際に水が光るのは、特別な能力を手に入れた事の証だ。長谷川教授の発表した研究結果によれば、このように光るのはだいたい一パーセント程度なのだそうだ。
ただし、どんな能力を得たのかを知る術は確立されていないようで、自力で見つけるしかない。
「零を覚えて二週間経ったけど、心当たりはある?」
「それがさっぱりなんだよね。だから特別な能力があった事に自分でも驚いているんだよ」
「そっか。まぁいずれわかるさ」
「そうだよね。所で私の適性どう思う?」
洗面器に視線を戻す。青と緑が四割ずつで赤と黄が一割ずつと言った所だろうか。
「水属性と風属性の適性が高い標準型かな?」
「どう見てもそうだよね。火の玉を飛ばしたりしたかったんだけどな」
山口の表情に僅かに落胆の色が見て取れる。
「残念だったな。でもあくまで適正値だから。山口の能力が水と風に向いているだけだよ。もしかしたら山口の一割の火の適性が、他の人の五割より優れてる可能性だってあるんだから」
「そうかもしれないけど」
「それにどうしても火の玉を飛ばしたければ、そうゆう能力にしたらいいんだよ。俺達のこれは、ただ趣味なんだから多少弱くても大丈夫」
「うん。そうだよね。ありがとう」
どうやら少しだけ元気を取り戻したようだ。その事に安堵しつつ再び洗面器を見る。適正判別では他にも見る所がある。はっ!?俺は驚きのあまり一瞬固まってしまった。
「増幅回路が五つもあるじゃないか!」
「え!?あっ、本当だ!」
一転して喜色満面。
「凄いじゃないか」
「うん。羨ましいでしょ!?」
あっさりと元気を取り戻した山口は自慢げに胸を張った。強調された胸は、幼い顔つきに似合わず攻撃的だ。
四色に分かれた水には、所々色のない空白地帯が存在しており、その数が増幅回路を示している。
山口が五つも持っていた増幅回路は、自分の能力を作る上で必要不可欠なモノだ。
零を扱える者は適正の差はあっても誰もが火、水、風、土の属性を持っており、それぞれの能力を使う事ができる。
しかし増幅回路に能力を固定しなければ、使用できる能力は適正の高さに関わらず極めて低い。
例えば火ならライター程度だし、水ならコップ一杯程度の量をちょろちょろと出せるだけだ。しかも増幅回路一つに付き固定できる能力は一つだけだ。
だからこそ増幅回路の数が重要になってくる。俺達が調べた長谷川教授の研究結果によれば二個または三個が最も多く全体の八割を占める。残りの二割程が四個と言った所で、それ以上の数を持っているのは、一個だけしか増幅回路がないのと同様にとても珍しいのだそうだ。ちなみに現在の最高保持数は七個らしい。
つまり増幅回路が五個あるという事は、とても希少な上に、かなりのアドバンテージを得た事になるのだ。
山口が使った水は五分程で元に戻った。どうやら水に込めた零が時間経過で消えてただの水になったようだ。
「今度は石田の番だよ」
上機嫌な山口はすぐに水を取り替えて俺の前に持ってきてくれた。
「りょーかいっ」
軽く言葉を返して、洗面器の水に向かって零を放出する。一週間前に比べて随分とスムーズに出来るようになったのではないだろうか。山口の半分程の時間で作業を終了させて顔を上げれば、不満げな表情の山口と目が合った。
「上達が早いのは気のせい?」
「気のせいじゃないかも」
「何をやったの?」
「実は俺も特別な能力を得たみたいなんだよね」
「どんな能力なの?」
「落ち着け」
ぐいっと顔を近づける山口に軽くチョップをする。
「痛いなー」
ちっとも痛くなんてない癖に頭を押さえる姿が滑稽で可愛らしい。
「わるい、わるい。同時にいろんな事を考えられるようになったみたい。並列思考とかマルチタスクってやつかな?」
「何それ?ずるい!一度にどれくらいの思考ができるの?」
「たぶん五つ」
山口の興奮がすごい。
「やっぱりずるい!」
「羨ましいだろ?それで仕事中も零の基礎練習が出来たってわけ。まぁ気づいたのは仕事が始まって二日目だったんだけどな。もう少し早く気付ければもっと差を付けれたのにな」
「意地悪なんだから」
山口がわざと頬を膨らませてみせたので、片手で挟むように掴んでやった。
ぷっ!という間抜けな音がなって溜まった空気が抜けた。俺に頬を掴まれたままの山口は不細工な顔でこっちを見た。
「ぶさいくー」
「やーめーてーよー」
頬を掴んだままのせいで上手く喋れないようだ。一音一音ゆっくりと喋っている山口に妙に和んでしまう。
ふざけていたら随分と時間が経ってしまった。先ほど水に染み込ませた零はとっくに霧散してしまっているだろう。仕方がないのでもう一度零を放出して水に染み込ませる。
「石田のせいだからね」
腕を組んで怒っているように見せているが、山口の眼は完全に笑っている。結局似た者同士、子供みたいなやりとりをお互いに楽しんでいるのだ。
準備を終えた俺は、カッターナイフを受け取った。山口の前で情けない所を見せる訳にはいかない。勢いでサクッとやってしまおうと力を入れたら、予定以上に深く切ってしまった。一、二滴で十分なはずの血はポチャポチャと過剰に洗面器に落ちていった。
慌てた山口からティッシュを受け取り指に巻きつけた。どうにも締まらない。
何はともあれ条件は満たしている。山口の時と同様に渦を巻くようにゆっくりと回った後で、四色に別れた。水を見ればしっかりと光っており俺が手にした能力が零によるモノだと証明された。
「おっ、これは」
「調和型だね」
山口が言う通り、洗面器の水は綺麗に四色に等分されていた。良く見ればやや緑色が多い気がするが、誤差の範囲だろう。
「火と風が高い標準型が理想だったんだけどな」
「石田も火の玉を飛ばしたかったの?」
「それもあるけど、俺は雷の属性を狙ってたんだよ」
「あー、雷かー。でも調和型でも使えるよね?むしろ使えない属性ないと思うけど?」
「そうなんだけどさ。やっぱり少しでも適正が高い方が能力の質が上がるだろ?」
「確かにそうだね。でも私は石田の調和型が羨ましいな」
「ありがとな。ところで属性の組み合わせ表って持ってたよな?」
「うん。ちょっと待ってて」
属性は火、水、風、土の四つだけではない。この四つはあくまでも適性を測る為の基準に過ぎない。これらの組み合わせ次第で属性は変化するのだ。山口が持ってきてくれた組み合わせ表を改めて確認すると、可愛らしいが綺麗な文字が並んでいた。
・火+水→氷、水+風→治癒、風+土→重力、土+火→錬金、火+風→雷、水+土→植物
・火+水+風→光、水+風+土→闇、風+土+火→召喚、土+火+水→使役
・火+水+風+土→時空間
組み合わせて出来た属性の適性は、組み合わせる前の属性の適性値の平均になる。
例えば山口のように水と風が四割、火と土が一割の場合は、氷なら二割五分、治癒なら四割、錬金なら一割といった具合だ。
ただし三つ以上を組み合わせる場合は、基本属性の適性値の差が一割以内でなければいけない。その為、光、闇、召喚、使役、時空間に限っては使えない人の方が多い。
「せっかくの調和型なら、やっぱり時空間能力の取得を目指すべきかな?」
「え?目指さないの?調和型って珍しいみたいだからもったいないよ」
「だよな。組み合わせる属性が増える程難しいみたいだけどやってみようかな?」
「そうだよ。それに増幅回路も四つあるんだから一つくらい失敗しても大丈夫」
「そうだよな。一つぐらいなら……っておい!失敗するの前提かよ!」
「おおー!素晴らしいノリツッコミ!さすが石田だね」
「お褒めに預かり光栄です。でも弄られ役は山口の仕事だと思うけど?」
「そんなー。でも偶にはいいでしょ!?」
「仕方ないなー」
顔を見合わせて笑い合う。連休の間、毎日を一緒に過ごしたせいか一気に距離が縮まったような気がする。
出会って二年も経つのに、これまでの俺は山口を零の研究仲間としか見ていなかった。それがたった二週間程度一緒に過ごしただけでここまで仲良くなれるなんて、正直驚きだ。
隣で嬉しそうにしている山口の横顔を見ると、不思議と俺の頬も緩んでしまう。どうしてだろうか。よっぽど山口と一緒にいるのが楽しいらしい。