11.繋がる想い
もうダメだと直感した。目の前で大口を開ける鰐の姿は絶望以外の何ものでもない。せめて俺を食べる事で満足して山口に気づかずに去って欲しいと切に願った。
その時だった。突然発光体が飛んできて鰐の口の中に入って行った。ドン!という音の後に鰐から煙が上がり、ゆっくりと横に倒れた。どうやら食べられる危険性はなくなったようだ。しかし、この出血はもうどうしようもないだろう。
でも一体誰が鰐を倒したのだろうか。ゆっくりと首だけを動かして発光体が飛んできた方向を見れば、涙で顔をぐちゃぐちゃにした山口がそこに立っていた。
「だいじょうぶ!?」
すぐに俺の元に駆け寄って来た山口が俺を抱き上げる。柔らかい身体に包まれて、不思議な安心感を得た。
「ああ」
正直大丈夫じゃないが、死にそうだなんて言えないじゃないか。
「お願いだから私を一人にしないで」
「ああ」
何か言ってやりたいが言葉が出ない。山口が最近覚えた治癒能力を使って俺を直そうとしてくれている。温かい光に包まれ非常に心地良い。しかし残念ながら今の山口では力不足のようで俺の体力を僅かに回復させてくれるだけだ。
身体からどんどん何かが抜けていく。死ぬってゆうのは、こんな感じなのか。どう考えてもヤバい状況なのに俺の頭は妙に冷静でそんなどうでも良い事を考えてしまう。
「やだよ。お願いだから死なないで」
必死になっている山口の眼からは大粒の涙が零れ落ち俺の顔を濡らす。
「だ、いじょうぶ、だから」
言葉が途切れ途切れになってしまう。
「うそつき」
「ご、めん」
「謝らないでよ。お願いだから死なないで……」
せっかく告白したのに、こんな早くお別れがくるなんて思ってもなかった。死亡フラグなんてクソだと思ってたのに本当になってしまうとは情けない。
「や、まぐ、ち」
「なに?」
「す、き、だよ」
「うん。わたしも好き……」
抱きしめてくれている山口の手に力が入る。ようやく山口の気持ちが聞けた。こんな事になるならもっと早く告白しておけば良かった。
「ずっと……だ、いすき、だった」
「うん……私もずっと好きだった。だからお願いだから一人にしないで。これからもずっと一緒にいてよ……」
俺の胸に顔を埋めている山口から嗚咽が聞こえる。
山口は一体何を想っているのだろうか。母親を失った直後に今度は出来たばかりの恋人が死んでしまうのだ。こんな不幸があっていいのだろうか。
ごめん……。喉元まで出掛った言葉を飲み込んだ。違うのだ。俺はそんな言葉を伝えたいわけじゃない。
せめて最後に……。残った力を振り絞り顔を上げる。俺が何をしようとしているのか感づいたのだろう。山口が顔を上げ、こちらに近づいてくれる。
ゆっくりと俺達の唇が触れた。柔らかな感触が伝わって来る。温かい。俺は目を閉じて山口とのキスを心に刻みつける。まるで全身を何かに包まれるような不思議な感覚だった。目を開ければ周りが光っていた。
「え」
驚きのあまり声がでた。俺の身体が光っている。さっきまでの治癒の光とは格段に光の強さが違う。山口を見れば本人も驚いているようだ。
数十秒程で光が納まった後、俺の身体からは痛みが消えていた。ぐちゃぐちゃだったはずの脇腹に触れてみるが、傷が見当たらない。流した血は確かに存在しているのだが、綺麗さっぱり傷だけがなくなっているようだった。
山口と目が合う。驚いて緩んでいた山口の腕に再び力がこもる。
「助かったんだね」
「ああ、ありがとう」
俺は山口の涙を拭い、再び唇を重ねた。
◇◇◇◇◇◇◇
どれだけの時間そうしていたのだろうか。俺達は抱きしめ合い、何度も山口の涙を拭い、何度も頭を撫で、そして何度も何度も唇を重ね合った。
ようやく落ち着きを取り戻した俺達は、お互いに照れて笑い合った。壁際に座り込んでいたおかげで、周りのビルから見えないのが救いだ。
多少ではあるが零が回復していたので転移能力を使って俺の部屋へと移動した。俺の転移能力は自分以外の誰かを一緒に連れて行く場合、相手の同意が必要になる。その為、あの時は使用する事が出来なかったのだ。
部屋に辿り着いた俺達は、とりあえず血を流す為に風呂に入った。本当なら一人で入るはずが、山口が一人になる事を極端に嫌がったので一緒に入らざるを得なかった。だがさすがにこの状況でエッチな事をする気分にはなれず、ただ山口を抱きしめながら湯船に浸かったに過ぎない。
里紗の着替えがなかったので俺のスポーツウェアを着て貰った。明日は山口の着替えを取りに行いかなければ。
風呂から出た俺達は今後の事について話し合う事にした。時計を見ればまだ四時過ぎで、あれからたったの四時間しか経っていなかった事に驚いた。あまりにも色々あり過ぎたせいで時間の感覚がおかしくなっていたようだ。
「それでさっきの事だけど」
山口の眼を見る。まだいつも通りには程遠いが、会話は問題なく出来るだろう。
「さっきの?」
「俺を治してくれた時の事。あれって山口の能力だよな?」
「里紗」
「ん?」
「里紗って呼んで。私も洋一って呼ぶから」
やまぐ……。里紗の頭を撫でる。
「わかったよ、里紗。俺を治してくれたのは里紗の能力?」
「うん。ちょっと自信ないけど」
「そっか。どんな能力なの?この前までは普通の治癒能力だったと思ったけど」
「私もよくわからないけど、特別な能力が関係しているみたい」
「特別な能力?ずっと分からなかったあれが?」
「うん」
適正検査の際に水が光った事で、里紗に特別な能力があるのは分かっていたが、それが何なのかずっとわからなかったのだ。
「どんな能力なのか分かる?」
「たぶん……」
里紗は自身なさげに俯く。
「大丈夫。分かる事だけ教えて」
出来るだけ優しく話しかける。
「うん。たぶんだけど、相手から私が欲しいモノを受け取る事で、その人に対する治癒とか補助系の力が底上げされるみたい」
「欲しいモノ?」
「うん。受け取ったモノが私にとって価値があればある程に効果は大きいみたい。能力を使った時に感覚的にだけどそれがわかったから」
下を向いたまま話す里紗の耳は真っ赤だ。あの時、俺が里紗にした事を思い出して頬が緩む。
「そっか。ありがとう」
俺は里紗を抱きしめた。
腕の中に里紗の温もりを感じながら、話を続ける。
「これからどうするの?」
「とりあえず一晩様子を見て、明日は安全な場所を探しつつ食糧の確保かな?」
「わかった」
ギュッと背中にまわった里紗の腕に力が入るのを感じる。
「大丈夫。どこにも行かないから」
出来るだけ優しく言葉をかける。
「うん」
目の前で母が食べられるのを目にして、気が付いた時には今度は俺が血だらけで食べられそうになっていたのだ。里紗はどんな気持ちだったのだろうか。今の俺では到底わかってあげる事は出来そうにない。だから代わりに少しでも力になってあげたい。
「大丈夫だから」
腕の中で震える里紗にこの日何度目になるかわからない言葉をかけた。
どんな状況でも生きていれば腹が減る。俺達はいつものように夕飯を一緒に作って食事をした。途中途中で普段では絶対しない様なミスを里紗が繰り返したが、それは仕方ない事だろう。こんな状況で食事がのどを通るか不安ではあったが、昼飯を食べそこなっているからか、二人とも残さずに食べる事が出来た。
食事を終えた俺達はさっさと片づけを終わらせて、部屋の電気を付けずに眠ってしまう事にした。この部屋に人がいる事に気づかれたくなかったのだ。もしかしたら他の部屋の住人が電気を付ける可能性があるが、それをやめさせる訳にもいかない。せめて自分達の部屋に注意が向かない事を祈るだけだ。
里紗と二人でベッドに横になる。
「あの時と同じだね」
「そうだな」
一年前、零薬を飲んだ時の事を思い出す。あの時はまだ里紗の事を恋愛対象として意識していなかった。それに今の状況では考えられない程平和ボケしていた。あの頃が懐かしい。たった一年しか経っていないのに、俺達はいつの間にか、随分と遠い所に来てしまったように感じる。
俺の胸に頭を押し付けるようにしている里紗の髪を撫でる。
「洋一」
「ん?」
「ごめんね」
「何が?」
「私のせいで洋一が死んじゃうとこだった。私がお母さんを助けたいなんて言わなければ……」
途中から堪え切れなくなったのだろう。里紗が鼻をすする音が静かな部屋に響く。
「そうかもしれないけど、里紗が俺を助けてくれた」
「でも……」
「大丈夫。結果として俺はこうして生きている」
顔を上げた里紗に向かって微笑んで見せる。
「うん……」
いまいち納得できていない里紗に軽く頭突きをした。
「うっ、いたい……」
「気持ちは分からなくもないけど、考え過ぎだ」
「だからって頭突きしなくてもいいじゃん!?」
「少しは頭がスッキリするかな?って思ってさ」
「もう!」
「まぁ気にするなって事だよ。明日もモンスターに会うと思うけど大丈夫か?」
「うん。頑張る」
「よし、じゃあ明日は一緒に戦おう。な?」
「うん」
少しは前を向けただろうか。
「疲れてるだろ?明日に備えて早く寝ちゃおう」
「うん。ねぇ洋一」
「ん?」
「ありがとう」
「うん。俺の方こそありがとう」
「うん」
「おやすみ」
「おやすみ」
再び里紗は俺の胸に頭を押し付けた。俺の腕の中で小さくなって丸まっている彼女は、ほんの少しでも力を入れれば簡単に壊れてしまいそうな程に危うく感じる。俺は壊れ物を扱うかのように、丁寧に優しく抱きしめた。
そして一人で今日の事を振り返る。あの時、もし自分が冷静に動けていたら里紗の母親は助かったかもしれない。突然の出来事に動揺して何も出来なかった事が悔しくてたまらない。
でも後悔ばかりもしていられない。
突然変わってしまった世界に戸惑いはあるが、俺は里紗を守らなければならない。せっかく繋がったこの想いを決して切らせはしない。
俺は山口の母親に対する謝罪と感謝を心の中で呟いた。