踏み出せる。
「実は、今回の祭事の参加国に、脅迫文が送られているんです」
「脅迫文……?」
随分と穏やかでない言葉に、眉を顰める。
ラタリーは頷いて、机の上に置いてあった黒い封筒を手に取った。
中の便箋も真っ黒で、開いてみると、白い塗料で読めない文字が書いてあった。
「これは」
「この文字は魔法国家共通で使われている古い文字です。いわゆる古典ですね。
どこの国にもこの文字で表記された古い文書があるので、私たちの祖先は、元は一カ所に寄り集まっていたのではないかと言われているのですが、今重要なのはそこではなくて……」
さっとラタリーの指がそれほど長くない便箋の上の文章を撫でる。
ふるりとまつげが震えた。
「『祭事を中止しろ。さもなくば首を刈る』」
いつもより低く沈んだ声で紡がれた言葉。
「……そう、書いてあるのか……?」
「…………」
ゆっくりと、頷いた。
「……祭事が行われるのは来月の中頃。
これも魔法国家共通の古い暦で、今の立秋に当たる日に行われます。もう1ヶ月を切っているのに、どうしたら……」
クシャッと紙の歪む音がする。
彼女の手は震えていた。
「祭事を延期したり、中止することは出来ないのか?」
「それは……出来ないんです。祭事はただのお祭りではなくて、ある儀式が行われるので」
「儀式……」
「はい。ご存じかもしれませんが、魔法には様々な区分けがあります。その中に、属性魔法と無属性魔法と言う分け方があるんです」
「属性。それはお前に借りた本で読んだな。確か、火、水、風、土、光、闇の6つ」
言うと、ラタリーは嬉しそうに笑った。少しだけ、顔に光が射したようだった。
「はい。属性魔法というのはその6つのいずれかが関与している魔法のことで、基本的に魔法使いは1つから2つ、『自分の属性』を持っています。
無属性魔法はそれ以外、例えば、透視や、鳥が手紙に変化するものも、無属性魔法に当たります」
「今回のその儀式には、その属性無属性が関係しているのか?」
「はい。正確には属性魔法が重要です。
6属性は、魔法界では世界を構成する最も基本的な要素であり、特に混じり気の無いその力は、人智を越えた事象をも引き起こすとされています。
祭事での儀式は、人に宿ったその混じり気の無い力の一部を天に返し、この先の安全と豊穣、魔法国家の発展を願うものです」
それを聞いて、俺は納得した。
「なるほど、大きな儀式は日取りが重要になる。だから、延期や中止は出来ない」
ラタリーも頷く。
……? だが、待てよ。
「混じり気の無い力のほとんどは自然界にのみ存在し、人に宿ることはほとんど無いと、本で読んだが」
混じり気のない力そのものを、またはそれを持つ人間を『純属性』というらしい。
純属性を持つ人間は、遙か昔、初めて魔法使いになった12人の男女だと言われている。
属性と言うのは基本的に遺伝により決定し、違う属性が混ざることは決して無いが、共存することもあるため、両親がそれぞれ違う属性の場合、その子には属性が2つ宿ることも多い。
また、属性を持つ者と持たない者の子は、属性を持つ場合と持たない場合があり、また持ったとしても、力がほんのわずかだが弱まる。
両親が同じ属性ならその子に宿る属性も1つだが、祖先の代で別の属性や無属性が混ざる事も多い。
その12人の男女の事を考えても、純属性を持つ人間はもう存在しない。
そう、思っていたのだが。
「いいえ。純属性を持つ人間は、存在します」
「何?」
「確かに、普通の属性は遺伝によって決定し、人々の間を巡ります。ですが、純属性は違う。
純属性は付与されるものなんです」
「付与、される……?」
「……ある決まった血筋の人間に。生まれた瞬間付与されます」
「決まった血筋……。! まさか……!」
顔。彼女の顔を見て、はっとした。
ラタリーは少し困ったように笑って、頷く。
「風の純属性は、代々ユトリスの王家に、受け継がれています」
そう言ってから、ラタリーはますます困ったような、また悲しそうな顔をして、ある物語を話し始めた。
知っていますか? 一番最初に魔法使いとなり純属性を手に入れた12人の男女は、それぞれが同じ属性のもの同士で結婚し、子を授かったんです。しかし、2人の力を受け継いだ子供たちは、あまりの力に耐えきれず、皆、死んでしまいました。
嘆き悲しんだ彼らは、二度とこのような事が起こらないように、力を半分ずつ天に返すことを決め、それに心を打たれた天は、毎年少しずつ力を返す事を約束に、彼らの家系に純属性の力を与える事を決めたのです。
「その1つが、ユトリスの」
「ええ。毎年行われるこの祭事と儀式は、一種の契約でもあるのです。純属性を存続させること。ひいては魔法国家を支える礎を存続させることの」
「………………」
俺は、何も言うことが出来なかった。
自分が考えていたことよりずっとずっと重たい物を、彼女は背負っていた。
この小さな身体で。
ふっと、彼女の顔に影が差す。
「だから、祭事を遅らせることは出来ません。でも、もし、手紙の通りなら……」
『さもなくば首を刈る』
身体がカタカタと細かく震えているのが見えた。
俺は逡巡の後、そっと、ラタリーの肩を掴んで、少しだけかがんだ。
「……落ち着け。今来た手紙は、その事に関してか?」
先ほどのように目線を合わせ、問いかける。
「え、あ、はい。そうです。犯人探しに進展はないが、今のところ脅迫文以外に目立った動きはない、と言うような内容で……」
「ユトリスでも犯人探しを?」
「はい、もちろん。あまり諜報に長けている訳ではありませんが、出来る角度から」
「ならば堂々としていればいい。お前はやるべき事をこなしている。それに、ユトリスも、他国も犯人を探し出し、祭事を行おうと動いている。
お前は、決して一人ではない」
「!!」
魔法国家と軍事国家が相容れない理由の1つに、『力の大きさと、方向性の違い』がある。
膨大な力は、一歩間違えれば破滅を生む。それが得体の知れないものならばなおさら、歩み寄ることは難しい。
今、目の前でそれが明白になった。
しかし……。
俺は、ゆっくりとラタリーを抱き寄せた。
頭を押さえて、顔を胸に軽く埋もれさせる。
「……どうも、精神論に走ってしまうな。だが……」
「ユウ……?」
胸元から、くぐもった声が聞こえてくる。
「良いか、ラタリー。お前は決して1人ではない。フィリット氏も、リトもテトも、他にも、お前を信じ、この城に使えている人たちがいる。共に立ち向かっている他国の人々がいる。ユトリスの人々だって、お前が呼びかければ必ず力を貸してくれる。
テレストもそうだ。父も母も、兄も、ギルも、俺もいる。レイラだっているんだ。レイゼルも、きっと手を差し伸べてくれる」
ラタリーは黙って聞いている。
俺は、少しだけ抱きしめる力を強くした。
「それでも怖いのなら、不安なら、俺にぶちまければいい。全て、受け止めるから。思う存分、泣けばいい」
少し前まで、テレストのことだけを考えがむしゃらに突き進んできた俺に、泣くことを教えてくれたのはこいつだった。
泣いても構わない。必ず拭うからと。
同じ事を、俺が出来なくてどうする。
彼女がいかなる存在であろうと関係ない。
踏み越えろ!
「ユウ……!」
ぽろぽろと、ラタリーが涙を流す。
俺はその間ずっと、ゆっくり頭を撫でていた。
いつだったか、彼女がそうしてくれたように。
数日後、長いこと執務室に籠もっていたラタリーの元に紅茶を持って行くと、彼女は窓辺に立っていた。
ちょうど、メッセージを発信したところのようだ。
「順調か?」
カップを差し出しながら聞く。
「はい。来月の頭には、開催地に向かいます」
「そうか。……脅迫文の犯人の目星は?」
「残念ながら、まだ……。ですが、分かったことがあります」
「何だ」
尋ねると、ラタリーは机の上に置いてある束ねられた数枚の紙と、脅迫文の便箋を取った。
「この手紙は、手書きではなく活版印刷の物のようなんです。そこで、インクの成分を調べてみたんですが……」
そう言いながら、パラパラと資料をめくっていく。
「インクの白は、植物由来のものでした。『メレネ』と言う低木で、葉を絞ると白い液体が出てくるんです。
枝や幹はそれほど丈夫ではなく、使い道もほとんど無いのですが、根は強い催眠効果があるようで、一部の地域では睡眠薬の材料にもなっているようです」
「一部の地域? 公的なものでは無いのか」
「はい。わずかですが、取り出しにくい毒素があるみたいで、死ぬことはありませんが、頭痛や倦怠感におそわれることがあるようです。
それで、このメレネの原産地なんですが」
「ああ」
また、パラッと紙がめくられる。
「ここからずっと西。前ジグイスの領土内なんです」
「!」
俺は驚いて目を見開いた。様々な情報が頭の中を駆けめぐる。
封筒や便箋の黒。
あの時に見た黒光りする鎧と刃。しかし、これだけ分かりやすいことをするだろうか?
催眠成分のあるジグイス原産の植物。
あの時、3人が連れ去られた時部屋に撒かれたのは、催眠ガスじゃなかったか?
「ジグイスの、残党……?」
「ジグイスが解体されてしまっている以上、明確なことは分かりません。偽装と言ってしまえばそれまでです。ですが……」
ラタリーが持っていた物を机に置き、俺の正面にやって来た。
こちらを見上げ、黄緑色の瞳が真っ直ぐに俺を見る。
「何にせよ、全て無事に終わらせるためには、手を拱いている訳には行きません。ユウ。お願いがあるのです」
「……何だ」
「魔法のルーツは人々の探求心です。時代により魔法の使われ方は変化していきましたが、魔法使いは基本的に好奇心旺盛な探求者です。……騎士や戦士ではありません」
「…………」
「ですが、その探求心が、我々のルーツが脅かされるというのなら、立ち上がらなくてはならない。戦わなければなりません。
どうか、未熟な我々に、力を貸していただけないでしょうか」
お願いします! と、ラタリーが深々と頭を下げる。
俺は、見えなくなってしまった頬に手を添えて、そっと顔を上げさせた。
「ユウ……」
「言ったはずだ。必ず、力を貸すと」
断る理由など、はじめから無いのだ。
「ありがとうございます!」
知恵を働かせる人数は多い方がいい。
それに、ここには攻守についてのスペシャリストがまだ居るのだ。
今回の件についてギルとレイラの2人に話すと、二つ返事で協力を得た。
それから1週間後、俺たちは開催国、『レーテル』に旅だった。