訪問する。
「それで、何故お前がいるんだ」
ユトリス城、城門前。
軽く睨みながら尋ねると、赤の女騎士は悪びれもなくこう答えた。
「ララが行くと言うから」
「今回は旅行じゃないんだぞ!」
「ま、まあまあ……」
レイラ・フォン・レイゼル。
ジグイス侵攻を共にくい止め、先月行われたローラントの夏至祭でも顔を合わせた。
俺はその場にはいなかったが、ジグイスの連中に攫われた際に起こった一連の出来事により、ラタリーのことを痛く気に入ったようで、何かにつけて絡んでくる。
ローラントではさらに仲が良くなったようで、互いを呼び捨てにするようになったり、最近では頻繁に文通なども行っているようだ。
だがまさか、ここまで着いてくるとは。
「今まで魔法国家を訪ねた事は無かったからな。見聞を広めようと思って」
「こいつには仕事があるんだ。案内なんて出来ないぞ」
「ユウが仕事をするわけでもあるまいに、よく言う」
「お前……」
確かに仕事をするのは俺ではないが、仕事があるのは本当の事だ。そのために帰ってきたのだから。
そばでラタリーがおろおろとしているのを感じつつ睨み合っていると、肩にぽんと大きな手が置かれた。
「まあまあ、オレがちゃんと見てるから。許してやってくれや」
「ギル……」
快活に笑ったのはテレスト王国騎士団副団長のギル。
ラタリーや俺たちの護衛はもちろん、今回は長期滞在になるため、剣術の訓練の相手など、様々な役割を負って共にやって来た。
ローラントでレイラと恋仲になったようだが、
「浮かれて気を抜くなよ。そぞろなようなら叩き切る」
「分かってるよ」
いつも通り、目には強い光が宿っていた。
まあ、これなら大丈夫か。
そんなやりとりをしていると、ゆっくり城門が開いた。
小高い丘の上にあるユトリス城。
地形故に堀や長く複雑な階段などは無いが、かなり強力な魔法防壁があるらしい。
開ききった城門の方から、誰かがこちらに駆けてくるのが見えた。
あの二つの影は、もしや……。
「お帰りなさいませ姫様! じゃなかった女王様!」
「女王様!」
「ただいま帰りました。リト、テト。えーっと、呼びにくければ、別に前の呼び方でも……」
『ダメです! もう女王様は女王様なんです!』
「は、はい……」
やってきたのは顔のよく似通った男女。
ユトリス城に仕える双子の兄妹。兄のテトと妹のリトだ。
確か俺より1つ上の19だと聞いたが、どうにもそう見えないほど落ち着きが無い。
雰囲気に気圧されたのか、レイラも隣で少し体をのけぞらせていた。
ふと、きゃっきゃと並んでラタリーにあれこれ話している2人に、大きな黒い影が多い被さる。
そして次の瞬間。
ゴッ
『いたあああああああああい!!』
何か重たい物が落ちるような音と共に、二人が頭を抱えて崩れ落ちた。
「フィリットさん……」
「お帰りなさいませ、ラタリー様」
双子とは違い流れるような所作で一礼したのは、同じく城に仕える執事長のフィリット氏。
2メートルあるギルと同じくらいの高身長で、執事服を着ていても、見る者には分かる身体をしている。
実際かなり腕が立つらしく、以前来たとき一度手合わせ願ったのだが、
「私は一介の執事ですので」
と断られた。
今もそうだが、時折分厚い本を二冊携えており、どうやら双子が何かをしでかしたときの制裁用のようだ。
「馬鹿二人が失礼いたしました。お部屋にご案内いたします」
「お願いします」
やってきた他の給仕たちに荷物を預け、俺たちは城に入る。
ラタリーはすぐに仕事部屋の準備を整えるというので、ひとまず自分たちに割り当てられた部屋に腰を落ち着けようと、その場は解散になった。
それから数日、俺たちは各々ユトリスでの日々を順調に送っていた。
俺はラタリーを出来る範囲で手伝ったり、ギルやレイラと稽古をしたり、レイラに連れ出されて城下町を歩き回ったりしていた。
我ながら珍しく書庫に籠もった日もあった。
やはり魔法関連の本は面白い。
ある夜のことだ。
俺はラタリーのいる執務室に向かっていた。
歩いてきた廊下に並ぶ扉の中で、一際重厚な雰囲気を漂わせる両開きの扉。
ノックをすると、中からどうぞと返事があった。
紅茶をこぼさないよう、何とか扉を開けて、中に入った。
「ユ、ユウ……」
執務机に置いてある書類や本の間から、ラタリーが顔をのぞかせ、もごもごと言いよどんだ。
俺はふっと苦笑して、そちらに向かう。
別に何かやましい事がある訳じゃないのは分かっている。
ただ、少し慣れていないだけだ。
「紅茶を持ってきた」
「ありがとうございます」
夕食後、特にする事も無く書庫にでも行こうかと廊下を歩いていたら、フィリット氏に届けて欲しいと頼まれた。
ラタリーはやはり忙しいようで、1日のほとんどを執務室で過ごし、食事の時にも顔を出さない日もあるほどだった。
聞いたところによると、昨年までは前ユトリス国王と女王が行っていた事のようで、初めての仕事に戸惑うことも多いようだ。
「だからこそ、息抜きが大切なのです」
と、フィリット氏は言った。
それには、俺も同意し、頷いた。
息抜きの話し相手にでもなって欲しいと、2人分の紅茶を渡され、俺はここにやって来たのだ。
「そうですか。フィリットさんが」
「ああ。だが、みんなそう思っている。あまり、無理はするなよ」
「……はい」
紅茶の入ったマグカップを両手で持ち、何処か噛みしめるように、ラタリーは頷いた。
と、その時だ。
開け放たれていた部屋の窓から、1羽の白い鳥が滑るように入ってきた。
これはもしや……。
見ていると、鳥はラタリーの手元へやってくると、ぽんと小さな音を立てて一通の手紙へと姿を変えた。
やはり、魔法の鳥か。
以前俺がラタリーから受け取ったものは黄色い布切れ(後から聞いた話では、あれはラタリーが着ていたドレスを裂き、切った指の血で書いたものだと聞いた)だったが、今のそれはちゃんとした手紙だ。
ラタリーが封を切り、中身を取り出す。
文字を追って左右に動く黄緑色の瞳は、手紙を読み進めていくに連れ、段々と影を持ち、最後は苦しげに閉じられてしまった。
「どうした」
「いえ、その……」
ラタリーが俯く。
ちらりと手紙を見たが、見たこともない文字が書かれていて、読むことは出来なかった。
俺は、ラタリーの肩に手を置いた。
少しかがんで、目線を合わせる。
「何かあるのならば、言え。言っただろう。無理はするなと」
軍事国家と魔法国家は、基本的に線を1本引いたような関係だ。互いに干渉し合うことはまず無い。
軍事国家からは魔力を持った人間がほとんど生まれない、生まれたとしても極微量であること。
魔法には人の触れてはいけない『禁忌』が多く存在すること。
故に、資料を多く残さず、口頭での術の伝承が多く、理解できない部分が多いなどの理由で、相互理解が進まないのだ。
でも、それではいけない。
先の戦争では、ラタリーの指揮する魔術部隊に助けられた部分は多くあった。
共に大きな脅威に立ち向かうことは、可能だったのだ。
それが進めば、世界の結束は、より深まる。
……いや、今の俺にはまだ、世界のことは語れない。自分の存在は、まだまだ小さすぎる。
けれど、1歩を踏み出すことは可能だ。踏み出さないことには何も変わらない。
きっと解決は出来ない。でも、聞くことは出来る。
大切な人の苦しみを、少しでも和らげることが出来るのなら、これに勝る1歩は無い。