とりあえずほのぼのと
◇
「あ、狼君。どこ行ってたの?」
数時間振りに闇代と顔を合わせた狼は、心身ともに磨り減っているかのようにボロボロだった。
「……特訓」
「特訓?」
それだけ返すと、狼は畳の上に寝転がった。闇代に頭をつんつんされるが、最早気にする余裕もない。
「闇代、そっとしておいてあげなさい」
「あ、パパ。今まで何してたの?」
「特訓です」
一緒に戻ってきた風化も、同じ言葉を返すのみ。そして、座っていた優の方を向くと、
「折角来てくださったのに、碌に持て成すことも出来ず、それどころかお待たせしてしまって、申し訳ありません」
「いえいえ、闇代ちゃんと楽しくお話できましたから」
頭を下げる風化に対して、優は穏やかにそう答える。
「遅くなりましたが、部屋を用意しましたから、ご案内します」
風化は優を部屋(この場合は客室だろう)に連れて行った。残されたのは、狼、闇代、一片の三人だ。
「……狼君。もしかして、パパに何か言われた?」
ふと漏らした闇代の問いに、狼は気怠そうに問い返す。
「何でだよ?」
「だって、パパのことだから、『お前なんぞに娘はやらん!』とか言って、フルボッコにしてないかなって……」
「……まあ、フルボッコにされたのは事実だが」
「そうなの!?」
まさか本当にやるとは思っていなかったようで、闇代は思わず飛び上がった(五センチほど)。
「寧ろ、逆のことを言われたな」
「逆のこと?」
「ああ」
それっきり、狼は黙ってしまった。というか寝ていた。その『特訓』とやらが、余程凄まじかったのだろう。
「……もう。こんな無防備に寝ちゃって」
確かに、狼が闇代の前でここまで無用心に眠るなど、初めてかもしれない。闇代は、そんな彼を眺めながら微笑んだ。
「だけど、そんな狼君の寝顔も可愛いよ」
「……見ていられんな」
一人空気扱いな一片は、懐から文庫本を取り出して、空気らしく静かに読書に勤しむのだった。
◇
……夕刻。
「大したものではございませんが」
飾邸のダイニング(だだっ広い和室)にて、来客の歓迎を兼ねた夕餉の会が開かれた。風化は『大したことない』と言っているが、テーブルに並んでいるのは寿司(しかも特上)、鰻重(これも特上)、すき焼き(肉は松阪牛)と、かなり豪勢であった。
「いただきまーす」
掌を合わせてから、鰻重に箸をつける闇代。一口食べて、途端に驚嘆の声を漏らした。
「おいしい……さすがは特上」
「確かにな」
「……って。狼君たら、もうそんなに食べちゃったの?」
見れば、狼の鰻重は既に半分もなかった。
「うまいからな」
「んもう、そんなにがっつかなくてもいいのに」
呆れながら、ふと狼の顔を見た闇代。すると、彼の口元に米粒が引っ付いているに気づいた。
「狼君、お米ついてるよ」
「ん? どこだよ?」
「口元」
「ここか?」
手を口の周りに這わせてみるが、何故か米粒を取れないでいた。まあ、左側についてるのに右手で取ろうとすればこうなるわな。
「もう、ここだよ」
それを眺めていた闇代は業を煮やしたのか、彼の口元に触れ、米粒を摘んだ。
「ほら、取れた」
そしてその米粒を、何の躊躇いもなく自らの口に入れた。
「悪いな」
狼の方も、特に気にした様子もなく食事を再開する。……このくらいのやり取りが軽快に出来るくらいには、二人の仲は進んでいると見ていいのだろうか? それとも単に気にならない人?
「ほら狼、ちゃんと野菜も食べるんですよ。野菜、野菜、野菜、肉、野菜、卵です」
その傍らでは、優が鍋奉行と化していた。振舞われる側が鍋奉行なのは珍しい。というのも、
「ほらほら、マグロにサーモン、ウニにイクラにアワビもどうぞ」
「いや、俺は卵でいいのダガ……」
「遠慮しないでほらほら、大トロ全部いっちゃってください」
酔いが回った(何故か一人でウイスキー飲んでた)風化が、一片に絡んでいるからだ。一片に高いネタばかり勧めて、彼を恐縮させてしまっている。
そんなこんなで、彼らの夜は更けて行く。




