急がば回れ
……さてと、狼達は優の元へ辿りついたのだろうか。
「……ねえ、狼君」
「何だよ?」
まだ辿りついてないどころか、ゆったりと歩いて向かっていた。急がなくていいのか?
「そうだよ。急がないとお優さん、負けちゃうよ」
「何がそうなのか知らんが……。少なくとも、あいつなら心配要らねえよ」
「本当に?」
「ああ。さっきも言ったろ、あいつは最強だって。急いで加勢しなくても、のんびり行けばその頃には終わってるさ」
「お優さんって、そんなに強いの?」
狼は力強く頷く。
「あいつは人間離れしてるというか、そもそも人間じゃないからな」
「人間じゃ、ない……?」
「って言ってた」
彼もよく知らないのか、ただ一言、
「自分は魔女だ、って言ってたんだ」
とだけ言った。
◇
「これは……?」
優は感じていた。少年の周りの空気が、異質なものに変わりつつあることを。
「貴様の力が何なのかは知らないが」
少年は、抜き放たれて空になった鞘を、優に向ける。
「ここからは、俺の間合いダ!」
「!」
刹那、突風が優に襲い掛かった。
「くっ……!」
刀を盾にして止めようとしたが、受け流しきれずに吹き飛ばされてしまう。
「切り裂け」
宙を舞った優に回避する手立てなどある筈がなく、続けて放たれる風の奔流に飲まれてしまう。
「ああっ……!」
風の刃によって、服が、髪が、肌が、刻まれていく。体中に奔る苦痛に、優は表情を歪める。
優の身が血に染まった頃、ようやく風が止み、そのまま地上へ落下していく。
「水天……!」
優は刀を地面に向かって振り、水の塊を放った。塊は地にぶつかって弾け、落ちてくる優を包み込む。
「はぁ……、はぁ……、はぁ……」
水が蒸発し、その中にいた優が起き上がる。服はボロボロで、髪も乱れ、全身切り傷だらけの血まみれだ。
「いかにお前の力が強かろうと、この刀に勝てはしない」
少年は少し余裕が出来たのか、態々自分の刀について説明し始めた。
「こいつは『見えざる刀』。その名の通り、刀身は無く、普通の者には抜刀はおろか、手にとることすら出来ない。しかし一度抜けば、鞘に収められた風を自在に操れるようになる」
「妖刀、ですか……?」
「似たようなものダ」
今の少年には、余裕を通り越して勝利できる確信すらある。それほどまでにこの刀は強力なのだろうか。実際、それまで優勢だった優が、一瞬で逆転されたのだ。少なくとも、それ相応の力は秘めていると思われる。
「そうですか……。それがあなたの真の力と言うならば」
優は、その特徴的な蒼の瞳を閉じ、刀を構えなおす。
「こっちも、全力で相手するわ」
ゆっくりと開かれた目には、今までの碧眼ではなく、白銀の瞳が佇んでいた。
「やってみろ」
少年は、それに気づいてはいた。急な瞳の変化。口調も変わった。だが彼はそれを、光の加減と、単純に優がキレただけだと結論付けた。だが後に、それは大きな間違いだったと知ることになる。
「そうさせてもらうわ」
優は刀を少年に向けた。すると、刀身が見る見るうちに紅く染まっていく。まるで血塗られていくかのように。
「貫きなさい!」
そして刃先から紅い光線が、否、糸状になった紅いもの―――血が、少年に向かって飛び出した。
「……!」
しかしそれは、少年に届くことなく四方に散ってしまう。
「……ふっ、驚かせてくれる。血を放ってくるとはな。だが、俺には効かん」
少年は一瞬身構えていたようだが、それが通用しないと分かった途端、先程の余裕を取り戻した。
「ちっ、攻撃だけじゃなくて防御にも使えるのね……。察しはついていたけど」
「負け惜しみか?」
「まさか」
優はまたもや刀を向けると、もう一度血を放った。今度は糸ではなく、塊にして。どうやら優には、目の色に応じた力が備わっているようだ。蒼い目には水を、白銀の目には自分の血を、それぞれ操る力が。
「無駄ダ!」
だがそれも、風の障壁によって防がれる。
優はそれを見るや否や、少年に向かって駆け出した。
「血迷ったか……!?」
今、少年は自身の周囲を風で守っている。そこへ容易に近づけば、先程と同じ結果を辿ることになる。
「……っ!」
逆巻く風の中に飛び込み、その身が更に傷つく。されど優はそれに構わず、少年のほうへ刀を突き出す。
吹き荒れる暴風の真っ只中を、刀は物ともせずに突き進んでいく。今にも、少年を貫かんと。
「はあっ……!」
刀は少年の手前で止まっている。しかし、その身は紅く染まっていた。
「しまっ―――」
少年が気づいた頃にはもう既に遅かった。剣先から血の糸が飛び出し、少年の腕に絡みつく。優はそれを確認すると、すぐさま飛び退き少年と距離を取った。
「さあて、これで終わりかしら」
「……これがか?」
血は、いつの間にか消えていた。蒸発したのだろうか? だとしても、血の跡が残るはずだ。しかしそれさえない。
「そういえば、まだ言ってなかったわね。今の私はね、自分の血を操る能力が使えるの」
「知っている」
実際に血を操っていれば、誰でも分かる。さっきもそう解説したし。
「この力を使うにはまず自分の皮膚を裂いて、血を体外に出さなきゃならないの。あなたの力のお陰で、その条件は満たせたわ。そして、体外に出た血は私の思うように動かせる。たとえ、ほんの一滴でも」
「それがどうした……?」
優が喋っている間も、少年は律儀に話を聞いている。今の優は隙だらけだというのに。これまでの戦いで、優に不意打ちが通用しないと学習したからだろうか。
「たった一滴でも、それを引き伸ばして好きな形状にして、自在に操れる。これがもし、人の体に入ったりしたら、どうなるかしら?」
「まさか……!」
「そう、そのまさか。あなたの体内に、私の血をほんのちょっぴり流し込んだの。入り口も、ちょっと傷を付ければ作れるし」
血が消えていたのは、蒸発したからではなく、少年の体内に入ったためか。
「どう? 四肢の筋肉全部の動きを封じたから、文字通り手も足も出ないはずよ」
少年がさっきから動かないのも、不意打ちが無駄だと学習したためではなかったのか。
「というわけで、大人しく負けを認めなさい。悪いようにはしないから」
チェックメイト。少年の敗北だ。




