若干忘れてました
そういえば、紗佐はどうしたのだろうか?
◆
……少し前。
「もしもーし、生きてるー?」
誰かの呼びかけに、紗佐はうっすらと目を開いた。
「あっ、気が付いたんだね。よかったぁ~」
まず最初に映ったのは、女性の顔。焦点が定まるにつれて、細かいところまで捉えられるようになってきた。目はぱっちりとしていて、鼻はやや高い。唇には口紅が塗ってあるのか、鮮やかに光っている。顔は小さめで丸顔。まだ二十代前半、といったところか。
「……あれ? 私、一体―――」
「ほんとによかったよ。呼びかけても反応しないし脈と呼吸はあったけどあちこち擦り剥いてたし頭打ってないか心配したんだよ。あっ、救急車呼んであるんだけど乗る? 怪我は大したことないみたいだしどこも打ってないなら名前と住所だけ聞いて帰ってもらってもいいよ。それとも送っていこうか?」
女性は正しく立て板に水といった感じで紗佐に語りかける。
「あ、あの……、何でしょうか?」
一方の紗佐はまったく聞いていなかった様子。
「あ、でもやっぱり事情を聞いておかないと後々面倒な事になりそうな予感がするけどあんまり覚えていられるのもそれはそれで面倒な気もするけどだからといって職務怠慢はよくないしというかそもそも市民の平和を守るのが仕事だけれども今回は私たちにはどうしようもない訳でそれを職務怠慢と呼ぶのは果たして適切なのかという自問自答をしている時間があったらまず話を聞いてみるのが道理だと思うんだけどどう思う?」
「う、うぅ~」
長々とした独り言が一体いつから問いかけに変わったのかとか、言ってることが訳分からんのとか、その他諸々が綯い交ぜになったためか、紗佐は目を回してしまっていた。起き上がる間もなく、またもや意識が途絶えてしまう。
◇
……紗佐が落ち着いて、一方通行だった会話がどうにか成り立つようになった頃。
「という訳で、私は刑事さんです」
その証拠と言わんばかりに、警察手帳を開いて見せる女性。
「小宮間……舞奈さん、ですか?」
「うん。小宮間舞奈。舞ちゃんって呼んでいいからね」
「それはちょっと……」
なんと馴れ馴れしい刑事だろうか。
「それで、紗佐ちゃんはどうしてこんな所で倒れてたの?」
こんな所、つまり『虹化粧』の真ん前である。入り口の戸は粉々で、テーブルと椅子がひっくり返ってしまっているが。
「……そうだ」
紗佐は立ち上がり、ふらふらと店の中へ入っていく。
「あ、まだそこ立ち入り禁止なんだけど」
入り口には『KEEP OUT』と書かれたテープが張られている。しかし紗佐は、それを潜って中に入る。
「どうしたの?」
「……いない」
辺りを見回す紗佐。しかし、そこにいるのはフレンドリー刑事だけだ。
「確かに、お優さんたちいないね」
「……え?」
「あれ? 違った?」
どうやらこの刑事、優の知り合いらしい。
「私ここの常連なの」
なるほど、道理で。
「お優さんだけじゃなくて、向坂君や、闇代ちゃんも……」
「向坂君って狼君のこと? そう言えばあの子の名字って向坂だっけ。それで闇代ちゃんって誰? お友達?」
「友達って程でもないんですけど……。これも全部、私が悪いんです」
紗佐は、今までの経緯を舞奈に話した。無論、霊が云々の話は除いて。
「つまり紗佐ちゃんは、自分のせいで闇代ちゃんがピンチになったんだと思ってるの?」
静かに頷く紗佐。彼女の目には、今にも零れんばかりの涙が溜まっていた。舞奈は何を思ったか、紗佐をそっと抱き寄せ、彼女の頭を優しく撫でた。
「大丈夫だよ。お優さんがいないってことは、今は多分闇代ちゃんに付いてるはずだから。狼君も一緒のはずだし、あの子も頼りになるから、絶対に大丈夫。それに、紗佐ちゃんは何も間違ってないよ。お優さんも狼君も、勿論闇代ちゃんも、誰も紗佐ちゃんを責めたりしない。だから安心して」
何の根拠もない慰めだったが、今の紗佐にはそれで十分だった。今まで堪えていたものが、一斉に溢れてくる。涙も、声も、全部。
舞奈は、紗佐の嗚咽が止まるまでの間、あやすように紗佐を撫で続けていた。そして紗佐が落ち着いてくると、一つの問いを口にした。
「それでね紗佐ちゃん、闇代ちゃんの名字、教えて」
「えっと……。確か、飾って言ってました」
「……そう」
舞奈は暫し逡巡すると、再び口を開いた。
「紗佐ちゃんは、どこまで知ってるの?」
「……え?」
何の脈絡もない話を振られ、きょとんとする紗佐。
「あれ? 幽霊の話とか、聞いてない?」
「幽霊……」
勿論聞いている。というか、だからこそ意図して話さなかったのだ。
「とにかく、この問題はとっても難しいの。知りすぎたら、もう後戻りできないくらいに。紗佐ちゃんには……、その覚悟がある?」
そんなもの、あるはずがない。普通に生まれて、普通に生きてきて、何の前触れもなく出くわした事態に、いきなり覚悟しろというほうが無茶だ。
「その覚悟がないなら、もう帰ったほうがいいよ。送っていくから」
そうして紗佐は、家まで送ってもらうこととなった。
……それにしても、この舞奈という刑事は、一体何者なのだろうか。




