前回の目標は達成できず……
……狼たちは。
「げほっ……!」
咳き込んだ拍子に、盛大に吐血してしまう狼。口から飛び出した赤い液体は、正面にいる闇代の顔面に付着した。ドロドロとした体液に顔を汚された闇代は、それを咎めることはない。彼女も同じく、端正な唇から血を垂れ流しながら、喘ぎ苦しんでいるからだ。
「うるふ、くん……!」
動悸は激しく、呼吸すらままならないというのに。それでも闇代は、狼の名を呼んだ。既に視界がぼやけてしまっている彼女にとって、彼の存在を確かめる術は、体を通して伝わる体温と感触のみ。それをより感じたいのか、狼を抱き締める力を強くしながら、必死に名前を呼び続けている。
「や、みよ……!」
闇代の呼びかけに応える様に、狼も彼女の名前を呼んで、彼女を抱き締める腕に力を込めた。もう音などまったく聞こえていないであろう状態ながら、耳を介さずとも分かると伝えるかのように。
二人の命が、急速に失われようとしていた。それを押し留めているのは、彼らの執念か、或いは、彼らの周囲を漂っている、この白い何かだろうか? 煙とも、霧とも、布地とも違った、ひらひらと揺らめく白いもやもや。それはまるで、狼たちを守るかのように、二人に纏わりついていた。優はこれを見て、何か希望を見出したらしいが……一体、どういうものなのだろうか、これは?
……一方、優たちは。
「炎天―――燃え盛る炎の如く!」
優が刀を振るうと、宙に描かれた無数の輪が炎に変わり、『原始の聖剣使い』に向かって飛んでいく。『原始の聖剣使い』はそれを片手で受け止めると、もう片方の腕を前へ突き出し、開いていた手を握り締めた。
「爆ぜよ」
「……!?」
直後、優の周りが突然爆発し、地面が弾け飛んだ。優は驚きながらも飛びずさり、爆風から逃れようとする。―――が。
「きゃっ……!」
地に足をつけた途端、そこも爆発してしまった。ここは地雷原になっているらしいから、これは寧ろ当然だと言える。
「くぅ……むっちゃえげつないやないの」
幸い、優はそれほどダメージを負っていない様子だが、それでも掠り傷程度は出来てしまっている。ただでさえこれまでの戦いで溜まった累積ダメージが残っているというのに、更に傷を負うのは地味に痛手だ。
「円弧斬熔!」
高らかな声と共に、バチンという音が響いてきた。それはまるで、冬場のドアノブに触れたときに迸る静電気のような、放電による破裂音。果たしてそれは、空を切り裂いて、『原始の聖剣使い』に襲い掛かる。
「っ……」
側頭部に衝撃を受け、さすがに少しだけ怯む『原始の聖剣使い』。振り返れば、そこには『聖剣』を構えた美也の姿があった。どうやら、先程の一撃は彼女が放ったものらしい。多分、弓のグリップ部分の突起から高電圧の電流を発生させて小規模爆発を起こすことで、その衝撃を矢のようにして飛ばしたのだろう。
「お前も、爆ぜよ」
「きゃっ……!?」
美也の周囲でも地雷が爆破され、土煙が舞い上がる。彼女の小さな悲鳴も、辺りを覆い尽くす轟音に掻き消され、まともに聞き取れなくなってしまう。
「青炎……!」
優が援護するように炎を放つが、『原始の聖剣使い』は腕を薙ぎ払って、それを掻き消してしまう。
刹那、優の周囲がまたも爆発。その衝撃で砕けた石の破片が飛び散り、優の皮膚を切り裂いて、抉っていく。
「まったく……。いい加減にして欲しいわね」
さすがに傷を放置できなくなったのか、優は瞳を白銀に戻した。するとたちまち途端に体中の傷が塞がってしまう。やはり、回復力はこの状態が一番高いのだろう。
「美也ちゃん、大丈夫よね?」
「……なんとか」
土煙が晴れると、そこから無傷の美也が姿を見せた。弓形になった『コネクト・アーク』を携え、『原始の聖剣使い』を真っ直ぐに見据えている。
「いい加減にするのはそちらだと思うのだが」
それぞれの武器を構える二人に、『原始の聖剣使い』は肩を竦めてそう言った。
「そろそろ気づいているだろう。汝たちでは、我に対抗できぬと。ならば、できるだけ苦しまないようにするのが利口だぞ」
「ふん……。生憎、私はあんたを倒す気なんてないわ」
え……? 何言ってんのこの人?
「だってあんた、やたらと硬いじゃない。これじゃあ、いくら私でも対処できないわよ」
だからね、と優は続ける。
「あんたを倒すのは、私じゃなくて―――愛しの我が子たちよ」
「何を世迷言を……ん?」
馬鹿げているとでも言いたげな『原始の聖剣使い』だったが、台詞の途中で、ふと何かに気がついた模様。その視線の先、優や美也の遥か後方には、白くてぽわぽわした淡い光が漂っている。これはもしや……。
「……なるほど、丁度いいタイミングね」
そんな彼の様子を見てか、優も振り返って、その白い何かを眺めている。そしてどうやら、優にはそれが何か見当がついているらしい。
「美也ちゃん、今すぐ離脱するわよ。ここにいると巻き込まれるわ」
「何を言って―――」
優の台詞を『原始の聖剣使い』が遮ろうとしたが、それは更に、別の理由によって中断させられてしまう。
「あ、あれって……!」
美也が、思わず声を漏らした。それもそのはず、彼女たちの目線が集められているのはその先にある影なのだが、それは影と呼ぶには大きくて、光輝いていた。高さはおよそ数十メートルで、それに応じた太さも持っている。その形は、都市部にある十数階建てビルにも似ていた。ただしその表面を覆うのは、この上ないほどに白い輝き。一切の不純を許さない、完全な無垢。そんな巨大円筒が、突如として現れたのだ。
「さ、あとはあの子達に任せましょう」
優は美也にそう言って、『原始の聖剣使い』に背を向けるのだった。