実際のバリケードテープってどんなのなんだろうか?
……一方、美也は。
「……何、あれ?」
私は街中を歩いていた。勿論、狼君たちの元へ戻るためだ。けど、その途中で妙な光景に出会った。まず、目に映ったのは沢山の人たち。これは多分、あの隕石衝突(と、みんな思っているはず)に引き寄せられてきた野次馬だろう。そしてその奥、道路を遮るように張られた黄色のテープ。警察が使うバリケードテープ(刑事ドラマでよく出てくる『KEEP OUT』と書かれたテープ)だと思う。更にその奥には、地面に寝かされた人が十人くらい並べられていた。その人たちの周りでは、青い制服の人(言うまでもなく警察官)と白いヘルメットとマスクをした男の人(多分救急隊員)が忙しなく動き回っている。
気になって(というかこのままだと通れないし)近づいてみると、野次馬たちの話し声が聞こえてきた。それによると、先程の隕石衝突で負傷した人たちがここに集められて、一斉に応急処置を受けているらしい。ただ、誰がここに集めたのかはよく分からないみたいだった。因みに、封鎖は落下地点に続く全ての道路で行われているらしく、人の目に触れずに戻るのは難しそうだ。
「どうしよう……」
このままだと、狼君たちの元へ戻るのは困難だ。かといって、ずっとここで突っ立っているわけにもいかない。私はとりあえず、野次馬たちを掻き分けて、バリケードテープの手前まで行ってみることにした。
まるで通勤ラッシュ時の満員電車を連想させる人だかり(単なる比喩表現で、実際はそんなに酷くない)の合間を縫って進むと、集められた負傷者の姿がよく見えた。数はざっと十数人。三十代くらいの大人が殆どで、子供や、私と同じくらいの子はいないみたいだ。その奥では、スーツ姿の女性と、高校生くらいの男の子が何やら話をしていた。
「じゃあ、これで全員だね? ……分かった、それじゃあ君は戻ってあげて。なるべく人は近づけないようにするから」
女性の声は大きくて、喧騒に包まれたここからでも辛うじて聞き取れた。そして、彼女と会話していた少年が立ち去り、その女性もどこかへ行ってしまった。けどそれによって、今まで二人に隠れて見えなかったものが見えた。いや、正確には人だ。男性が二人と、女性が一人、他の人たちと同じように、地面に寝かされている。―――ただ、その人たちには見覚えがあった。というか、絶対に見間違えるはずがない人たちだった。
「伯父、さん……? パパ、ママ……?」
そこにいたのは紛れもなく、伯父さんと、私の両親だった。一緒に暮らしている伯父さんはともかく、もう六年も会っていない両親の顔がすぐに分かったのは、ちょっと不思議な感じがしないでもない。けれど、今はそんなことはどうでもいい。重要なのは、この三人が何故、ここにいるのかという一点だけ。
ここは確か、隕石衝突で負傷した人たちが集められているはずだ。それはつまり―――伯父さんたちも、あのとき怪我を負ったということだ。
「……っ!」
気がつくと、私はバリケードテープを潜り、伯父さんたちの元へ駆け出していた。
「君! ここは立ち入り禁止だよ!」
途中で警察官らしき人に止められるけど、必死にもがいてそれから逃れようとした。思わず、能力を使ってしまいそうな勢いで。
「伯父さんが……! パパとママが……!」
半ばパニックだったけど、無意識に力を抑えようとしていたためか、能力が暴発するようなことはなかった。代わりに、そうやって叫んで、どうにか通してもらおうとする。けども、警察官の人たちは中々通してくれなくて。いい加減本気で力を使おうかと思い始めた頃に、さっきの女性が駆け足で寄ってきた。
「何? もしかして身内の方?」
よかった、まともに話を聞いてくれそうな対応だ。私は焦りながらも、この女性に出来る限りのことを伝えた。向こうに寝かされている人たちが私の伯父さんと両親であること。無事なのか、怪我をしていないか心配だということ。それを聞いた女性は頷くと、他の警察官を手で制して言った。
「身元確認してもらうから、ついてきて」
身元確認、という言葉に、最悪の事態が頭を過ぎる。だけどここで取り乱せば、さっきみたいに止められてしまうかもしれない。逸る気持ちを何とか抑え付けながら、伯父さんたちの元へ辿りついた。
「伯父さん……」
地面に寝かされた伯父さんは、全身が血まみれだった。着ている服もボロボロで、所々破れている。けどその割りに、顔色は比較的良かった。呼吸もしているから、とりあえず生きているみたいで安心した。
「パパ、ママ……」
パパとママも、体中に血がついていた。でも、伯父さんに比べるとそれ程でもない。服もそんなに破れていなかった。もしかしたら、伯父さんが二人を庇ったのかもしれない。……昔から、自分が傷つくのも構わずに誰かを助ける人だったから。
「三人とも気を失ってるけど、誰かが傷の手当をしてくれたみたいだから、安心しても大丈夫だよ」
傍らから女性がそう話しかけてくるけど、正直殆ど聞いていなかった。それより、三人のことで頭が一杯になっているのだ。
「……じゃあ、私は行くから」
私が全然反応しないからか、女性はそう言い残してどこかへ去っていった。
自分を見る人がいなくなってから、私は俯いて、両手の拳を握り締めた。……自分の無力さを、噛み締めるように。
(何で、なのかな……? 折角、こんな、化け物染みた力があるのに……。肝心なときに役立てられないなんて……)
こんなときにこそ、この力を使うべきなのに……。私ときたら、何も出来ずにここでこうしている。それが、とても悔しくて。だけど、どうにもならなくて。ふと、そんな自分の目から、熱を放った何かが流れ出ていることに気がついた。一瞬送れて、それが涙だと分かった。
「……ははっ」
乾いた笑い声が、自然と口から零れた。折角、化け物染みた力があるのに。私はそれを、まったく役に立てられなかった。この力を使えば、伯父さんたちは怪我をしなくて済んだかもしれないに。私が一緒にいれば、助けられたかもしれないのに。伯父さんに気を遣わせて、両親と会うのを辞退しなければよかったのに。そんな思いが浮かんでは、やがてそれらは笑い声へと変わって、虚空に消えていく。
「……は、ははっ」
近くの警察官たちが奇異の目を向けてきたような気がしたけど、それでも構わず笑い続ける。暫しそうやったあと、虚しさだけが心に残った。
「―――なんで。なんで、何も出来ないの……?」
もう、何度目になるのか分からない問いかけ。それを初めて口にした。そうすることで、……自分の無力さが、改めてはっきりとした。
いくら、化け物染みた力があっても。その力を、ただ誰かを傷つけることにしか使えなくて。肝心なときですら、何も守れない、と。
「ただ傷つけることしか出来なくて……どうして誰も守れないの?」
言葉にすると、その気持ちがより一層強くなった。後悔や自責の念が、胸の奥を締め付けてくる。
「いつも、守ってもらってばかりなのに……こんなときにすら守ってあげられないの?」
思えば、伯父さんにはずっと守られてきた。六年前もそうだし、それよりも前からずっとそうだった。パパやママも、六年前までは私をいつも守ってくれていた。そしてさっきは、狼君が私を、体を張って守ってくれた。―――だけど、私は誰も守れていない。そんなの、嫌だよ……。
「無力は嫌か?」
不意に、誰かから声を掛けられた。涙を拭うことすらせずに顔を上げると、私の左隣に、声の主はいた。
「何も成し遂げられず、ただ奪われるだけの人生は嫌か?」
それは、異様な姿の少年だった。くすんだ銀色の髪に、青っぽい瞳の少年。背が高く顔立ちも整っているけど、着ている服はボロ雑巾のような状態だ。
「失うのは嫌?」
今度は、少年とは反対のほうから声がした。
「何も得られず、大切なものを失くすだけの人生は嫌?」
それは、異様な姿の少女だった。艶やかな黒髪のポニーテールに、左手の薬指に指輪を嵌めた少女。私と同い年くらいで、年季の入ったセーラー服を着ている。
私は、この二人を知っている。昨日会った、『聖剣使い』を探す二人だ。
「嫌なら、抗え」
「その方法は、ちゃんとあるのよ」
二人は腰を屈めて、目線を私と同じ高さにまで下ろす。まるで、子供を諭すときのように。
「ただし、抗うなら制約が課せられる」
「一度踏み入れば、二度と普通には……というか、人間には戻れないわよ。それでもいいかしら?」
それは暗に、諦めろと言われているようだった。方法はあるが、それは到底選べないと。後戻りは出来ないから、と。―――だけど私には、やっと希望が見えた気がした。だから、私は無言で頷いた。それを見た二人は、その方法を告げてくる。
「お前の持つ『聖剣』の力を得て『聖剣使い』になれば、俺たちと同等の力を得られるはずだ。いや、或いはそれより強大な力かもしれない」
「でも、その代償は大きいわよ。人々からは自分の存在が認識されなくなるし、そのせいで皆とは一緒にいられなくて、いずれは独りぼっちになる。更には不老不死になるから、永遠の時間を、独りで、孤独に生きていかなければならない。正直、提案するのが馬鹿馬鹿しいくらいよ」
話を聞くだけでも、それがとても恐ろしいことだと分かった。今までは『人間みたいな化け物』だったのが、『完全な化け物』に変わるということなのだろう。人の社会から追放され、年を刻むことさえ許されず、ただ永久の時を生き続けなければならない。聞いた話だけでこれほどなのだから、実際は計り知れない苦痛なのだろう。それは確かに、あまり勧めたくはないだろうけど……それでも。
「……その、『聖剣使い』っていうのになれば、『みんな』を守れるの?」
その『みんな』が一体誰なのか、説明はいらない。―――私を、今まで守ってくれた人。―――私を、今まで受け入れてくれた人。―――私が、今まで好きになった人。他にも沢山の、『みんな』を。一人残らず、守りたい。
「無論、それだけでどうにかできるわけではない。が、努力をすることくらいは叶うだろうな。可能性が、皆無から、僅かにあるくらいにはなるだろう」
それは、あまりいい返事じゃなかったけど。―――でも、決意を固めるのには十分すぎたくらいだ。
「なら……私を、『聖剣使い』っていうのに、して」
たとえ、『普通の人間』を演じ続けたとしても。それでは、私はただ守られ続けるだけ。何も出来ず穏やかに過ごすより、全てを失ってでも守ってあげたい。―――大切な、人たちを。