今更だけど、この人何者? とか思ったら負けです。何に対してかは不明ですが、とにかく負けです。
「闇代ちゃん……?」
狼君が仮面の男と戦っている中、そこへ現れた新たな人。それは―――つい昨日出会ったばかりの女の子、闇代ちゃんだった。
「ったく、遅いじゃねぇかよ」
「ごめんごめん」
「!?」
そう思う間もなく、闇代ちゃんが狼君の隣にやって来た。―――それも、数十メートルも距離があるのに、一瞬で。一体、どうやったんだろう……?
「闇代、こいつを連れて退避してくれ。それまで俺が食い止める」
狼君はそれを何とも思わないような口調で、闇代ちゃんにそう言った。対して闇代ちゃんは、少しだけ逡巡しながらも、渋々といった感じで頷く。
「美也さん、逃げるよ」
そう言いながら、闇代ちゃんが私の腕を掴んだ。と同時に、突然の浮遊感が私を覆う。そう、例えるなら、ジェットコースターに乗っているような感覚。吹き付ける風に逆らい、宙を縦横無尽に駆け巡るかのような。まるで鳥にでもなったかのように錯覚してしまう、不思議な感じ。
だがそれも一瞬で、すぐにまたいつもの重力が体にかかってきた。
「……っ!」
急な重力変化に、頭がくらくらしてしまう。多分、軽い貧血だろうけど。それでも体のバランスが崩れなかったのは、誰かに抱きかかえられていただと思う。
「っと、この辺でいいかな」
そんな声と共に、私は地面に下ろされた。顔を上げて、声の主を確認したのだけど……それはなんと、闇代ちゃんだった。
「美也さん、大丈夫? 痛いところない?」
彼女の問いに、私は反射的に頷いた。ていうか闇代ちゃん、その細腕で私を運んだの……?
「大丈夫なら、わたしは戻るけど……いい? 今すぐここから離れて。出来るだけ遠くへ逃げて。絶対に、戻ってきちゃ駄目だよ?」
そう言い残して、闇代ちゃんの姿が消えた。……ううん、今度は何とか見えた。闇代ちゃんは、目にも留まらぬ速度で、ここから走っていったんだ。だけど、それはどう考えても、人間が出せるスピードじゃない。それはつまり―――闇代ちゃんも、『人間じゃない何か』ってこと……?
立ち上がって周囲を見回してみると、そこはさっきまでいた場所とは違った。あそこから、数百メートルは離れているところだ。やっぱり、闇代ちゃんはとんでもない速度で移動する術を持っている。それを使って、私をここまで連れてきたんだ。……そして、また戻っていった。恐らく、あの人と戦うために。
「ただいま」
「早かったな」
美也を退避させた闇代は、再びこの戦場へ舞い戻っていた。狼の隣へ立つと、仕舞っていた霊刀を再度展開するために右の五芳星を取り出す。
「だって、早く戻らないと狼君がやられちゃいそうだし」
闇代が右の五芳星を握り潰すと、彼女の両手から細長い金属棒が伸びてきた。それらが適当な長さで動きを止めると、今度は徐々に太くなっていき、いつも使っている霊刀の形になった。
「少しくらい大丈夫だって分かってるけど、やっぱり狼君のことが心配だったの」
二本の鞘から二振りの霊刀が飛び出し、闇代の両脇を浮遊する。そして彼女は、残った鞘の片方を、もう片方の鯉口に入れていく。それが全部入ってから、三本目の刀を呼び出した。
「御鎖那」
放たれた白い光が鞘全体を包み、それを一本の刀に変える。銀色の刃を持つ霊刀―――御鎖那に。
「そうか」
狼は、そんな彼女にそう返すと、『原始の聖剣使い』に向き直る。
「悪いな、待たせたみたいで。今から二人がかりで、お前をフルボッコにしてやるからな」
「いやいや。女を一人逃がしてしまったようだが、お前たちを屠ったあとで、全て無に返す故に問題ない」
これがはったりや冗談なら、どんなによかったことか。だが、『原始の聖剣使い』は本気らしい。本当に、この町を壊滅させる。そんな口調であった。それから彼は、ふと思い出したように、闇代へ視線を移す。
「それはさておき、そこのちんちくりんな女」
「……もしかして、わたしのこと?」
もしかしなくても、闇代のことだろう。今この場には、他に女などいないし。
「ああ。汝は、なかなかに可憐で愛らしい姿をしておるな。もし我の妃となるというならば、汝の命だけは助けてやろう」
「嫌」
『原始の聖剣使い』から、突然求婚(?)されるも、闇代は即突っぱねてしまった。……てかこいつ、もしかしてロリコン? 戦闘中にプロポーズするとか、どんだけ余裕なんだよ。
「そうか。それは残念だ」
対する『原始の聖剣使い』は、速攻で振られた割に、台詞ほど残念そうな様子ではなかった。左手の剣をゆっくりと振り上げて、こう告げる。
「ならば、死ね」
そう、軽く。とてもふんわりと、剣が振り下ろされた。
「……!?」
その瞬間、闇代は直感していた。この一撃は、絶対に受けてはならないと。同時に、これを避ければ、隣にいる狼がその余波を受けて、確実に重傷を負うとも。何故なら、まだ放たれてすらいないはずなのに、もうここにまで強烈な熱波がやってきていた。直撃を食らえば、その膨大な熱が彼女の体を焦がし、或いは溶かしてしまうと容易に想像ができた。だがそれは、傍にいる狼も同じこと。それ故に、その恐怖に体が言うことを聞かず、回避動作が遅れてしまう。
「……っ!」
熱風の進行は、彼女の体感時間では相当ゆっくりだった。まるでバーナーで炙られたかのような高温に、目を開けることさえ叶わなくなる。咄嗟に霊刀を盾代わりにするが、そんなものでこの熱を遮ることなど出来はしない。皮膚が発汗で体温を下げる間もなく、表皮が焼かれていく感触。―――しかし、その先は、ない。彼女の意識が飛ぶことはなかった。
「……ぇ」
それは、呟きにすらなっていなかっただろう。何せ、彼女にとっては、何もかもが予想外だったのだから。
「……ったく、暑い上に痛いじゃないの」
闇代と狼を庇うように、二人の前に立っていたのは―――
「お陰で、左腕がどっか行ったじゃない。どうしてくれるのよ?」
右手で刀を構え、左腕が肩を含めてまるごとなくなってしまった、優だった。
「お優、さん……?」
「優……?」
狼と闇代が、ほぼ同時に口を開く。優はそれには応えず、軽く刀を薙いだ。
「もう、どんだけ熱量あるのよ? 昔学校で習った原爆を思い出したじゃない。まあ、それ考えると、左腕一本しか犠牲になってないのはある意味幸運ね」
どうやら左腕は、先の攻撃によって吹き飛んだらしい。他の部分が無事なのは、刀で防ぎきれたからか。だとしても、もしも本当に原爆並みの威力だったならば、腕一本の損失だけで防げたのがおかしいくらいではないだろうか。『原始の聖剣使い』もそう思ったのか、感心を通り越して呆れたかのような声色で問いかけた。
「ほぅ、今のを止めるとは。もしや、汝が件の魔女か?」
「ええそうね。確かに私が魔女よ」
「なるほど。ようやく見つけたか」
その返答に『原始の聖剣使い』は満足げに頷いている。だが狼と闇代は、やっと状況が飲み込めたのか、慌てた様子で優に食って掛かる。
「お、おいっ! その腕、どうしたんだよ……!?」
「お優さんの腕が、腕が……!」
「ああ、大丈夫よこのくらい。たかが左腕一本じゃない」
優はそう言って、『原始の聖剣使い』に向き直った。台詞通り、本当になんでもないみたいだ。
「とはいえ、片腕だけだと辛いから、治したほうがいいわよね」
すると、今はもうない左腕の付け根から、今更ながら大量の血が噴き出た。しかし血液は地面に落ちることなく、一つの形を作っていく。そう、一本の腕の形を。血によって形作られた腕は、その赤黒い表面が砕けて、黄色人種にしてはやや白い、かといって白人ほどではない皮膚が姿を現した。優の左腕が、再生された瞬間だった。
「なるほど。魔女という呼び名は伊達ではないということか」
感服したように言葉を漏らす『原始の聖剣使い』。だが優はそれを無視して、彼に、手元の刀を突きつけた。
「さあ。私の、『私たち』の大切な町を滅茶苦茶にしたんだから、覚悟してもらうわよ!」