舞台裏では色々なやりとりがあったりなかったり……
……同時刻、『虹化粧』にて。
「~~~♪」
優が、店のテーブルを丁寧に拭いていた。夜の開店に向けて、店内の掃除しているのだろう。
と、そこにベルの音色が聞こえてきた。恐らく、ここに設置されている黒電話が鳴っているのだろう。
「はいは~い」
布巾を片手に、電話を受けに向かう優。狼たちのいない昼間は、いつもこんな感じなのだろうか。平和そうで羨ましい……。もっとも、それがいつまでも続くとは思えないが。
「はい、もしもし牧野です」
《牧野優さんですか? こちら、前に調査を頼まれた者ですが》
電話の相手は、しゃがれた男性のものだった。見に覚えのない電話に、優は首を傾げる。
「調査?」
《はて、小宮間舞奈という刑事を介して依頼されたのでは?》
そう言われて、優はようやく思い出した。以前、とある事件の調査を、舞奈経由で頼んだのだった。
「……ということは、彼らのことが分かったんですか?」
その事件を思い出し、表情が険しくなる優。しかし、電話の相手はその言葉を否定した。
《いいえ、あなたが言う名前の兄妹は突き止められませんでした。ただ―――それと似たような奴らが、ちょっと困ったことをしでかしてるみたいでしてね》
「困ったこと、ですか?」
電話の主は、肯定するように唸った後、声の調子を下げて続けた。
《うちらと協力関係にある海外の組織が、妙な情報を持ってきましてね。なんでも、とある国の、曰くつきの神殿に、日本人らしき男女が入り込んだとのことでしてね》
「とある国の、神殿……」
《ところで、あなた、魔女だそうですね》
相手は、急に話題を変えてきた。
「え、ええ。確かに、そうですが」
対して優は、それを不審に思いながらも肯定した。すると電話の相手は、なら、と言い、
《『聖剣使い』、っての。聞いたことくらいはありますよね?》
「……!」
その単語に、優は戦慄した。何せその言葉は、この局面で登場して欲しくない名前の一つだから。
「一応、御伽噺程度のことは知っていますが……それが、どうかしたんですか?」
《うちらは結構知ってますよ、奴らのこと。何せ、俺の上司は生前、奴らに会ったと言い張ってましたから。で、今しがた言ってた神殿に封印されているのもそれ、『聖剣使い』ですよ》
『聖剣使い』とは、過去の文明で作られた遺品、俗にいうオーパーツを守護するものと思われている。『思われている』なのは、実際に彼らを確認した者が殆どいないからだ。結果、断片的な情報が合わさって、御伽噺のように語り継がれている。例えば、あるときは人々を救い、またあるときは大陸を焦土に変え、その姿は大男、或いは少女、更には小人や人魚などというものもある。ぶっちゃけ、迷信の類である。
《その神殿にはいくつか言い伝えがあって、その一つに、『かつて、寝癖を指摘されたために逆上して、文明を一つ滅ぼした破壊神が、そこには封印されている』ってのがあるんですよ。因みに、他の説よりよっぽど有力です》
「……」
それを聞いて、優は脱力しかかっている。どこの世界に寝癖で文明滅ぼす奴がいるんだよ? あほらしいにもほどがあるだろ? ってな顔してる。
《けどまあ、寝癖云々はともかく、とんでもなく強かったってのは本当っぽいですよ。そこは元々気候も穏やかなのに、全体的に砂漠だらけで、建物もその神殿しか残っていない。人の住む場所も、そこからかなり離れたとこにある小さな村一つだけ。そいつを封印したのも、当時伝説クラスだった魔術師、って話もありますし。ともかく、『聖剣使い』としてだけでなく、人類規模で見ても、『最強』の部類でしょうな》
「……よくもまあ、憶測だけで『最強』だなんて言えますね」
優の口調は、かなり不満が篭っていた。まあ優も、狼曰く『最強』らしいが。
《例え伝承が誇張されていようと、それくらいの想定をしておけば問題ないってことですよ。―――ただ、長年の勘から言って、今回はほんとに厄介でしょうけど》
「備えあれば憂いなし、ですか」
《ええ。とりあえず、衛星使って例の神殿を監視してるんで、何かあったらそっちにも連絡回しますよ》
「そうですか。では、私の携帯電話の番号を―――」
《おっと、それには及びません。小宮間舞奈から聞いてます。―――では、次の連絡は携帯にということで》
その言葉と共に、電話は切れてしまった。そして、優の心に残されたのは、漠然とした不安と焦燥。そのためか、優は暫くの間、電話の前から動くことが出来なかった。
……その頃、件の彼らはと言えば。
「……これで、かなり解けたかな?」
郁葉は、玉座から鎖を下ろして、呟いた。玉座の巨体に絡みつく鎖は、既に残り数本だけとなっている。他は全て、郁葉が一日かけて取り払った。
「……汝が、我が封印を解いたか?」
すると突然、巨体が声を発した。仮面の下から聞こえているためにくぐもっているが、思った以上に若い印象を受ける声だ。
「はい、私が、その殆どを解きました」
郁葉はその場に跪き、頭を垂れて、言葉を改めた上でその問いに答えた。すると、仮面を被った頭が頷いた。
「そうか……ならば、汝には感謝せねばな」
その巨体が、また鎖の纏わりつく右腕を、僅かに上へ持ち上げた。すると、それを拘束していた鎖が、たちまち砕けてしまう。
「このくらいなら、封印で力の衰えた今の我でも解ける。汝はもう下がってよいぞ」
「はい」
その言葉に従い、玉座から降りながらも、郁葉は、その内に溢れる興奮を抑えるのに必死だった。先程のやり取り、口調こそ穏やかだったものの、言葉の端々に強烈な威圧感が篭められていた。そして、彼が長い時間を掛けて(しかも、退魔師からくすねた霊銃を用いて)地道に外した鎖を、あれは容易く破壊して見せた。多分、あの鎖には何らかの効果が付与されていて、それによって封印されていたのだろう。それはつまり、単純な破壊力だけなら、あれは正しく『最強』なのだろう。―――これさえあれば、この世の人間全てを抹殺することも容易だと、郁葉は確信していた。
郁葉は玉座を降りた後、再びそちらを振り返り、膝を折って頭を垂れる。その頃には、かの『最強』は、全ての鎖を破壊して、そこに鎮座していた。
「して、その方、汝は何故、我の封印を解いたのだ? 我を再びこの世に解き放ってくれた礼として、その目的に手を貸してやらんこともない」
「はっ。私は、人間の世を滅ぼしたいと思っております」
郁葉の言葉に、それは感心したような声を上げた。
「なるほど、大きな野心を抱いておる。……見たところ、汝は人間ではないようだ。それはつまり、この世界を支配したいということか?」
「……いえ、私はただ、人間を嫌っております故、奴らを根こそぎ消し去れればそれでよいのです。支配などという大それたことは、貴方様のお役目でしょう」
「ふっ、そうか」
それが、不敵な笑みを浮かべたような気がした。郁葉は俯いたまま頷き、続ける。
「はい。―――ただ、それを邪魔する輩がいるのです」
「ほう、邪魔とな?」
「ええ。極東の小さな島国なのですが、そこに、とても厄介な奴らがいるのです」
それを聞いて、その巨体が大きな笑い声を上げた。
「我の前で、そのような者達が障害となるわけなかろう? それほどまでに厄介と言うのなら、この我が直々に始末してやろう。……汝への礼は、それでよいのか?」
「はい」
するとそれは立ち上がり、
「ではまず、その前哨戦として―――この忌々しき神殿と、近くの人里を消し去るか」
そのような言葉を言い放った。
「は……?」
郁葉は耳を疑った。まさか、目覚めて間もないのに、すぐに何かを破壊しまくって、人を殲滅しようとするとは思っていなかったようだ。というか、その意味すら理解できていないのかもしれない。
「とりあえず、一暴れするかな」
さて、巻き添えを食わない内に退散するとしようか。