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鏡のように光沢を放つ白い大理石の床。黒と白でデザインされた同素材の壁。所々に飾られた美術品達。
彼らは互いと調和し合い、互いを引き立て合い、自分達は高級なんだと自己主張をする。
だが、そこに成金趣味は一切ない。
嫌味を放つことなく計算の上に成り立ったその空間は、それだけで一つの芸術品だった。
そんな美しい空間に違和感なく溶け込み、自分達に向け礼をしている男に、輝は呆れたような顔を向ける。
「将之さんが出迎えてくれるとは……。大袈裟すぎやしないかい?」
輝の言葉に将之は頭をあげ、微笑みながら答える。
「輝様。そんなことはございません。当然のことかと」
そう言い切る将之に、輝は「大袈裟だなぁ」とため息。 続けて雫が言う。
「将之さん。お久しぶりです。わざわざ出迎えていただき、どうもありがとうございます」
「お久しぶりです。雫様。 とんでもございません。雫様方は秀一と麗華の大切なご友人です。それを知らない不届き者が黒羽にいるとは思えませんが、万が一にも失礼があってはなりませんから」
「まぁ」
将之の物言いに、雫は頬に手を添え小さく笑う。 悟ったからだ。将之が、自分なら絶対に雫達に無礼な振る舞いをしない、と暗に言っていることを。
くすくすと笑う雫の手を、海が引く。
「母さん。れいか、って誰?それにこの人は……?」
海は前半は雫を見ながら、後半は将之を見ながら言った。
そんな海の問いに、雫は優しく笑いながら答える。
「麗華さんはね、私のお友達なの。それで秀一さんの奥様なのよ。 こちらは紅野将之さん。秀一さんの秘書、秀一さんのお仕事を一番よく知っていて手助けをしている方よ。 さあ、海。ご挨拶して」
海の質問に丁寧に答えた雫は、圭に対してさせたように海の背を押し、自己紹介を促した。
母が自分の質問に嘘偽りなく、丁寧に説明してくれたことで納得した海は、雫の言葉に従い将之へと体ごと向き直る。
「初めまして。近藤海です。よろしくお願いします」
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私、紅野将之と申します。どうか以後ご見知り置きを」
ちょこんと頭をさげる海に、子供に対しても最高級の礼をする将之。
そうして二人同時に顔をあげ目を合わせた時、海は疑問を覚えた。
将之が自分のことを観察しているように見ていたからだ。
将之の表情は誰が見ても笑顔で。それは顔だけではなく、目も、きちんと笑っている笑顔。じろじろと見ているわけでもないし、窺うように見ているわけでもない。
しかし、海は将之の態度を、彼の目を見てそう思った。
――勘違い、ではない。海の『眼』がそう感じたのだから。
だが海は、なぜそのようなことをされているのかわからなかった。
海は自分のことを異端だと自覚している。しかし、将之の前でそれを出したことはないし、そもそも初対面なのだ。
それなのになぜ彼は自分のことを観察しているのだろうかと、海は不思議に思った。
「あの、俺なにかしましたか?」
観察されて困ることもないが、気持ちのいいものでもない。 だから海は自分からそう切り出した。なにか言いたいことがあるなら、直接言ってもらおうとしたのだ。
しかし、海のその言葉に将之は一瞬だけ肩を震わせ、微かな動揺を見せる。
「いえ。なんでもございません。失礼致しました」
何事もなかったかのように頭をさげる将之。しかし、彼の胸中はとても乱れていた。
(なぜ、私が観察していることに気づいた?顔も、目も、動作にしたっておかしな点はなかったはずだ。経験豊富な古狸の目だってごまかせるはずなのに……。 ……なるほど。確かに彼なら……)
動揺した心を立て直すのは、並大抵のことではない。
しかし将之は、黒羽秀一の秘書をしている人間だ。動揺を抑える術ももちろん知っている。
そうやって落ち着かせた頭で、将之は今回の邂逅の行く末をかいま見て、わずかばかり口元を吊り上げる。
だがそれも一瞬のことで、頭をあげる時にはすでに先ほどの笑顔に戻っていた。
(……やっぱり嫌な予感がする……)
もっとも、海だけは将之の微かな雰囲気の変化を見破り、さらに陰鬱になるのだが。
「輝様。雫様。海様。秀一の元へご案内致します」
そんな海の内心など知らない将之――知っていたとしても黙殺しただろうが――は、丁寧な動作で三人を促す。
それに対し、輝も雫も頷く。
「うん。お願いするよ」
「はい。ではこちらへ」
将之が先導し、輝達はエントランスを抜け、他の招待客が受付をしているフロントも素通りし、奥へ奥へと入っていく。
相も変わらず輝いている大理石の床に、白と黒の壁。
しかし奥へと進むにつれ、防犯カメラやセキュリティの高そうなドアが増えていき。
輝と雫は何度かこの建物に来たことがあったので、将之が自分達をどこへと導いているのかを悟り、苦笑いを浮かべる。
「将之さん。いいのかい?僕達を黒羽専用のエレベーターに乗せて」
海は輝の言葉の意味がわからず首を捻る。
――数年後、海自身も輝と同じ言葉を口にすることになるのだが、それはまた別のお話。
閑話休題。
そんな海に対し、雫が説明を口にする。
「今私達が歩いているのはね、黒羽グループの中でも限られた人しか入れない特別な所なの。それでね、この先にはパーティー会場直通の専用のエレベーターがあるのよ」
「……」
自分には理解出来ない金持ちの感覚に、海はただただ絶句した。
そんな母子の会話が終わるのを見計らい、将之は輝の先ほどの質問に答える。
「もちろんです。秀一から、輝様方は特別な待遇で出迎えるようにと仰せつかまっていますので」
将之の言葉に、輝は苦笑いを深めるのだった。
――そんなやり取りをしている内に、一行は件のエレベーターの目へとたどり着く。
「申し訳ありません。少々お待ち下さい」
将之はそう海達に頭を下げてから、エレベーターを『起動』させていく。
エレベーター横にあるロックシステムに専用のカードキーを差し込み、登録された人物の指紋でしか動かないタッチパネルでパスワードを解除。
「お待たせ致しました。どうぞお入り下さい」
厳重なロックを解除し、ようやく口を開くエレベーター。
将之が礼をしながら輝達を促す。 彼らはそれに従い輝、海、雫の順で入り、最後に将之が乗り込むと、エレベーターのドアがゆっくりと閉じる。
「輝様と雫様はご存知だとお思いですが、今からこのエレベーターはパーティー会場がある三十六階まで、止まることなく上昇致します。気圧の変化は少ないように設計してありますが、耳鳴りなどがした場合はおっしゃってください」
「みみなり?」
「耳が、キーンって鳴ることですよ。その場合は、唾を飲み込むといいのよ」
「へー」
そんな母子の会話と共に、ゆっくりとエレベーターが上昇を始める。
将之の心配とは裏腹に、海達に耳鳴りが訪れることはなかった。
エレベーターはゆっくりと、しかし普通のエレベーターよりも早く上昇を続け。
そして一分もかからない内に目的の階数に到着し、エレベーターのドアがゆっくりと開く。
「どうぞ。こちらへ」
将之が最初にエレベーターを降り、礼をしながら海達にエレベーターを降りることを促す。
海達は乗った時と同じ順でエレベーターを降りる。
そこは小さな部屋――といっても、今までの部屋に比べると、だ。二十畳以上ある部屋を普通は小さいと呼ばない――だった。
「……ここがパーティー会場?」
ソファーや衣装ケースなどが置いてある、想像とは違う室内に、海は疑問を将之へと向けた。
将之はそんな海の質問に微笑みながら答える。
「いえ。こちらは、このエレベーターを使える者の、つまり黒羽専用の控室となっています」
「ひかえしつ……?」
「簡単に言いますと、休憩をしたり、お色直しをする場所です」
「……」
この広さの部屋がそれだけの用途しかないのか、と海は絶句した。
そんな海に将之は微笑み、そして輝達に向け声をかける。
「皆様、お手洗いやお化粧直しなどはいかがなさいますか?」
「僕は平気だよ」
「私も結構です。海は?」
「え……?あ、うん。平気」
雫の呼びかけに、ほうけていた海は驚くが、すぐに頷いた。 とりあえず流されることにしたのだ。
三人の答えを聞き、将之は小さく頷く。
「かしこまりました。では皆様。こちらへ」
そう言い、将之は再び先頭に立ち歩き出す。そうしてエレベーターから真っ直ぐ歩き突き当たったドアを開け、海達をパーティー会場内へと導く。
そのドアは、海の想像通りの、いやそれ以上の別世界へと繋がる、魔法のドアだった。
海はドアをくぐり、そう感じたのだった。




