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「秀一さんはね、輝さんの幼馴染なのよ」
輝に説明不足になった理由を洗い浚いはかせ――海を寝かしつけるという垂涎のイベントにテンションがあがり、忘れたらしい――無視という名の罰を課してから、雫は海に説明を始めた。
海は首を傾げる。
「おさななじみ?」
「子供の時に親しく遊んだ人のこと。もっとも、輝さんと秀一さんは今でも親友の仲ですけどね」
「へー」
おさななじみ、と新しい言葉を復唱し覚える海に優しい笑顔を向ける雫。
「それで秀一は……」
「秀一さんの名前は黒羽秀一っていうのよ」
「……うぅ」
輝の言葉などまるで聞こえていないかのように華麗にスルーし、海に説明を続ける雫。そして、それに合わせる海。
孤立無援の車内で、輝は半ベソをかいていた。
……それが見えて、聞こえているのにも関わらず、一切表情を変えない運転手は、間違いなくプロだった。
「くろば……?」
「黒い羽って書いて黒羽。海は聞いたことがないかしら?黒羽の名前」
「黒羽……黒羽……。……デパート?」
「正解」
答えにたどり着いた海の頭を、雫は笑顔で優しく撫でる。
黒羽百貨店の名前を海が知っていたのは、有名だから、ではない(もちろん有名ではあるのだが)。
輝と雫に児童養護施設から引き取られたあの日、帰りに寄ったデパートが黒羽百貨店だったのだ。
「黒羽百貨店のような大型店舗の経営や、IT関連の仕事をメインでする会社、と言うよりもはや企業体かしらね。株式会社黒羽。最近では黒羽グループと呼ばるようになった会社の社長なの。秀一さんは。そうそう。海と一緒に行った『ノワール・ル・ヴォル』も黒羽グループが運営するアミューズメントパークなのよ」
「……」
海は言葉が出なかった。
雫の言葉の半分近くを理解出来なかったせいもあるが、それよりも驚きの方が勝ったのだ。
「……なんでそんな凄い人が親父と幼馴染で、今も親友をしているの?」
――自分の父親との接点のなさに。
心底不思議そうな表情の海に、輝は後ろを振り返り、泣きそうな表情で言う。
「海。それはどういう意味かな?」
輝の言葉に、海は彼の方に視線を向ける。そして、やはり不思議そうに口を開く。
「親父、なにか弱みでも握ってるの?」
「…………」
今度こそ輝は泣いていた。
「海。輝さんは、旧家の生まれなのよ」
「きゅうか?」
泣いている輝の代わりに雫が海に説明をする。が、海は聞き慣れない言葉に首を傾げた。
「旧家っていうのは、昔から続く名門の家柄のこと、って言ってもよくわからないわよね。簡単に言ってしまえば、輝さんの生まれた家は、昔から著名なお医者さんを輩出するお金持ちの家なの。だから、小学校も――以前海に入学案内のパンフレットを見せた時にお金持ちが通う小学校があったでしょ?あそこに通っていたのよ。そこで秀一さんと出会ったのよ」
「へ―……」
海はいろいろなことに納得がいった。
なぜ輝が秀一と接点を持てたのか。なぜ選択肢の一つに場違いな学校が混じっていたのか。
……と、同時に疑問を抱く。
海はその疑問を、泣き止んだ輝に向ける。
「なあ、親父。俺も医者になった方がいいの?」
「へ?なぜだい?」
「なぜって……。だって、親父の家はそういう家なんだろ?」
不思議そうに返事をした輝に、海は呆れた表情で返す。
会話の流れを見れば言いたいことがわかるだろうに。そう思ったからだ。
輝は海の言葉に笑った。
「あはは。そんなことを気にしていたのかい?そんなの関係ないよ。僕はそんなことのために海を息子にしたんじゃない。だから海は自分がしたいことをすればいいんだ。今の海は自由に夢を見られるんだから」
海は輝の顔を探るような目で見ながら言う。
「……それは俺が養子だから?血の繋がりがないから、親父の家には相応しくない……」
「海」
海の自虐的な言葉は、最後まで言うことが出来なかった。 珍しく怒気を含んだ輝の声に、次の句を告げることが出来なかったのだ。
「前にも言ったけど、確かに僕達に血の繋がりはないけど、でも確かに僕達は家族なんだ。海は僕達の大切な息子なんだ。だから、そういうことを言ってほしくないな」
「……ごめんなさい……」
普段の輝からは考えられない強い意思のこもった瞳に、海は自分の間違いを悟る。
そして同時に、自分が愛されていることを再確認した。
海が自分の行動を反省し謝ったのを見た輝は、優しい笑顔を浮かべる。
「僕が生まれた家はね、確かに多くの医者を輩出した名家だ。でも、僕が医者になったのは僕の意思でなんだ。家がどうこうは関係ないよ。 それに、僕はこんな自由な性格だから家名を重んじる人達には嫌われている。彼らからしてみたら僕を医者にはしたくなかっただろうね」
輝は海に微笑みながら「だからね」と続けた。
「海も旧家だとかそんなことを考えず、したいことをすればいいんだ。誰かが敷いたレールの上を走るんじゃなくて、自分の夢を目指して生きてほしい。それが僕と雫の願いだよ」
「……」
海は輝の顔を『観て』から、自分の横にいる雫へと顔を向ける。
雫も、輝と同じように優しい微笑みを海に向けていた。
海は二人の顔を『観て』、そして輝の言葉を反芻してから、ようやく頷く。
輝も雫も、きちんと考え納得をした息子に、優しい笑顔を再度向けるのだった。
「輝様。ご到着いたしました。ただ今ドアをお開けいたしますので、少々お待ちください」
会話が一句切するのを計算していたのか、それとも偶然か。
車の運転手がエントランスに到着したことを告げ、車のエンジンを止める。
そしてそのまま音もなく運転席から外へ出、輝達の方のドアを開けるべく反対側へと回った。
そんな運転手の行動に、輝は苦笑いを浮かべる。
「やれやれ。大袈裟だなぁ。……雫。海。僕達は本当に特別扱いをされているらしい」
「?」
「まあ……」
外へと顔を向けた輝は浮かべていた苦笑いをさらに深いものへと変え雫と海に話しかける。
それに対し海は首を捻り、雫は頬に手を添え驚いた声をあげた。
運転手がまずは雫達の乗っている後部席のドアを開け、雫と海をおろす。 そしてそのまま助手席へと周り、ドアを開け輝をおろした。
運転手はそのまま一礼をし、車に再び乗り込み、専用の駐車場へと車を回していく。
その洗礼され、流れるような動きを海は口を開けて見送っていたが、正面から声をかけられ慌てて顔を前へと戻した。
「輝様。雫様。海様。お待ちしておりました」
そこにいたのは清潔感と気品が漂う四十代前後の男。
シワ一つない燕尾服に身を包み、最高級の礼をしているのは、黒羽秀一の右腕としても名高い、彼の専属秘書。紅野将之その人であった。




