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輝が名乗ったあとの対応は、実に素早かった。
不審そうな表情を浮かべていたガードマンからはその色が消え、VIPを扱うかのような笑顔と真剣な声色に変わり。
あっという間に臨時の運転手が用意され、輝は苦笑いと共に助手席へと移動させられた。
雫も雫で「秀一さんも相変わらずですね」などと事態を静観していて。
一人取り残されたのは海だ。
名前を出した途端に激変したガードマンの態度。突然現れた運転手。
ここがどこなのか。『秀一』とは誰なのか。そもそも、輝達はなぜこんな特別待遇を受けているのか。
海の頭の中は、混乱で一杯だった。
……そして同時に思い知る。わかったつもりでいたが、自分は両親のことを、なに一つ知らないということに。
(親父が医者なのは、知ってる。けど、どこで働いているのか、知らない……。母さんが働いていることも知ってる。でも、なんの仕事をしているのか、知らない……。二人の友達のことや、二人の親のこと、そして、二人の地位。俺は、なにも知らない……)
それは、決して七歳児が考えるようなことではなかった。 七歳児が気にするようなことではなかった。
海も、今までの日常生活を送っているだけならこんなことは考えもしなかっただろう。
しかし、非現実的な現実を前に、海は考えてしまう。気にしてしまう。
――怖くなったから。 信用し、信頼している両親のことをなにも知らない自分が。
海は確かに成長し、彼自身の世界も広がりつつある。
だがそれは、輝と雫、両親がいることが前提となっていて。
先にも述べたが、海は輝達のことを信用し、信頼している。いや、『し過ぎている』。依存、と言っても過言ではないだろう。
海達のような子供が親に依存するのは、ある意味必然だ。親がいなければ生きることが出来ないのだから。
しかし、海の依存理由はそれらとは異なる。
今までの海は虐待を受けながら、食料を自分で確保しながら生きてきた。
だから海は親がいなくても、生きていくことは出来る。
それゆえに、そういった理由での依存はしていない。
海の依存理由は二つ。
無償の愛を知ってしまったから。そして、生きることを思い出したから。
裏切られ虐待を受け続けた海にとって、輝と雫が与えてくれる無償の愛は、麻薬のようなものだった。
甘くて、暖かくて、柔らかいもの。
警戒をしていた時こそ不審に思ったが、一度それを受け入れてしまえば、それは甘美な麻薬へと変わる。
そして彼らのその無償の愛が、海の眠っていた生きる気力を揺り起こした。 諦めていた人生を、価値のある人生へと変えたのだ。
だから海は依存する。
自分の生き様を変えてくれた存在だから。
そして、海自身、彼らに『無償の愛』を覚えてしまったから。
だから彼は恐怖を感じる。
輝達にとって、自分は、彼らのプライベートのことを話すに価しない存在なのではないか、そう、思えてしまったから……。
「海、どうかしたの?」
恐怖で青くなる海の様子を不審に思った雫が、彼の顔を覗き込むように、そう尋ねた。
海は雫の呼びかけに体を震わせる。
今、雫の顔を見ることは怖かった。
自分は人の内面を『観る』ことが出来る。その目で観て、もし想像通り彼女が自分のことをそう思っているということがわかってしまったら……。
そう考えると、海は怖くて仕方なかった。
「海?」
答えず、様子のおかしい息子を案じ、雫は声をかける。
雫のその声色から、海は、彼女が自分のことを案じている気配を敏感に感じ取り。
そこで海はようやく顔をあげる、雫の顔を見る決意をした。
怖ず怖ずと顔をあげ、窺うように雫を見る。
「……母さん。聞きたい、ことがあるんだけど……。いい?」
「――っ!もちろんいいわよ」
雫は鋭く息をのみ、そしてすぐにとろけるような笑顔を海に向ける。
そうなった理由は簡単。 海の上目遣いと小動物のような雰囲気に『萌えた』からだ。
そんな雫の内心など露ほども知らない海は、自分の不安を、疑心と希望の入り混じった感情の中、口にする。
「……母さん。……『秀一』って、誰?母さん達の友達?なんでこんな凄い所にこれるの?なんで急にさっきの人の対応が変わったの?…………俺に……言えないことなの……?」
「……え?」
「……あ」
海のその言葉に反応したのは雫だけではなかった。
雫が声をあげるのと同時に、輝も小さく声をあげる。
雫は海に優しい笑顔を向け、頭をなで、「ちょっと待っててね」と言い、その顔を輝へと向ける(といっても、輝は助手席に座っているため、彼の顔を見ることは出来ないのだが)。
「輝さん。なぜ海がそのことを知らないのでしょうか?」
「い、いや、それは……」
雫は笑顔を消し、無表情になる。 堕天使モードから般若モードへと変わったのだ。
「確か、海を寝かしつけるときにお願いしましたよね?海が不安がるからきちんと説明をしてください、って?」
「あの、それは……」
雫がそこまで言ったことで、ようやく海も理解した。
自分が今感じていた恐怖は、父親の『不注意』が原因で引き起こされたものだ、と。
「……親父。どういうことなのかな?」
「そうね。海は知る権利があるわね。輝さん。きちんと説明してくれますか?」
(ひぃーーっ!?なんで!?なんで海も『魔王モード』になれるの!?)
二人の顔が見えるわけじゃない。だが、輝は明確に感じていた。自分に向けられる、冷たい二組の眼差しを。
輝は感じていた。ここが正念場だと。このあとの選択肢を間違えると、間違いなく大変なことになると。
具体的に言うと、しばらく妻と息子の二人に口をきいてもらえなくなることが、輝にはわかっていた。
だから輝は考える。自分が助かる道を。
――が、どの選択肢を選んでも結末は『一緒』だということに、逃げ場などないことに、この時の彼は気づいていなかった。
「いや……実はその……」
『いいから話せ』
「……はい」
そうして車内に二人の『大魔王』と、哀れな犠牲の羊が現れたのだった。 ……いや、愚かな自由人、といった方が、正しいのかもしれない……。




