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「さあ!せつめいして!」
すっかり立ち直った明日香は、海を椅子――明日香が蹴り倒したあの椅子だ――に座らせ、両手を腰にあててその前に立つ。
一刻も早く料理を開始したい海だったが、目の前で自分を睨む少女にきちんとした説明をしない限り、彼女が引き下がらないことを悟り、胸中で大きなため息をついた。
「あのなあ、明日香……」
「いいわけはきかないわ!りゆうをせつめいしなさい!あんたががっこうをえらぶとき、こーほが三つあったことはしってるのよ!」
詳細を知っていることに、海はもう一つため息。
(母さん、それに圭さんだな……)
明日香に言ってしまったことを、言ってしまった人物を、海は胸中で恨む。
海は、このことを明日香に隠すつもりはなかった。むしろきちんと理由を説明するつもりだった。自分で。自分の口で。
……今日の夕飯時に。
理由は簡単だ。時間が無くなる(こうなる)ことが目に見えていたから。
海はこの日を、時間を気にせず料理を学ぶことの出来る月曜日を心待ちにしていた。
一分、一秒も無駄にしたくはなかった。
明日香が知ってしまえば彼女は必ず怒り、納得のいく説明を求めてくる。 明日香がそういう性格だということを、海もまた、短い付き合いの中でしっかりと理解していた。
つまり、海の行動は、時間を無駄にしたくないという効率を考えてのものだったのだ。
海はもう一度ため息をつく。
(……まあ、そのことを母さん達に伝えていなかった俺がこの結果を招いたんだよな。……自分の失敗を人に押し付けるのはやめよう。そんな人間にはなりたくない)
胸中で考えるのは、またもや年不相応なこと。
それに伴い、大人びいたものへと変わる表情。
……幸か不幸か。こうして海は、身体面はともかく、精神面はより強く、より大人のものへと変わっていくのだった。
海はきちんと明日香の目を見返し、言う。 その際、明日香が気圧されたのは、流石の海も見抜けなかった。
「親父から学校を選ぶ選択肢を貰った時、その中に、確かに明日香が通っている学校もあった」
海は思い返す。 あの日、輝が候補としてあげた小学校は三つあった。
一つ目は商店街の近く、海の家から南の位置にあり、歩いて通える学校。
各学年に二つしかクラスがない小さい学校だ。
明日香はここに通っている。
二つ目は、二つ隣の駅の近くにある学校。
各学年に三クラスあり、明日香が通う学校よりも校舎、敷地面積が大きい中堅クラスの学校だ。
そして三つ目は、家から急行の電車に乗り十数分。そこからバスで十五分ほど行った所にある学校。
各学年に二クラスしかないが、校舎、敷地面積が明日香の通う学校の数倍もあり、設備、施設も周囲の学校とは比べものにならないほどに充実している超大型校。
金持ちだけが通うそれなりに有名な学校なのだが、なぜ輝がここを候補にあげたのか、海にはわからなかった。
その三つの選択肢を出され、海は悩むことなく二つ目の学校を選んだ。
三つ目は論外。 海は金持ちの人間と関係を持ちたいとは考えていないし、なによりそんな遠くの学校に通いたいとも思わなかった。
そして一つ目、つまり明日香が通っている学校は、とある考えにより、海が学校に通おうと考えた時点で彼の中から候補より外されていた。 そのため、必然的に海は二つ目の学校を選ぶことになったのだ。
「じゃあなんであたしのがっこうをえらばなかったのよ!?」
海の得も知れぬ雰囲気に気圧されながらも激昂する、なんとも器用な(?)明日香に、海は語る。
――彼が彼女の通う学校を、候補から外していた理由を。
「明日香。お前さ、学校に沢山の友達がいるって前に言ってたよな?」
「な、なによいきなり……」
「いないのか?」
突然、関係なさそうな話題をふられ戸惑う明日香に海は答えを促す。
海に話しの主導権を握られるのが嫌で――明日香はそういう表現をまだ知らず、ただたんに偉そうな海に苛立っただけなのだが――明日香は胸を張り、海に得意げな顔を向けながら答える。
「いるわよ!たくさん!となりのクラスの子や、じょうきゅうせいやかきゅうせいともなかがいいんだから!」
「それが理由だよ」
「……へ?」
得意げな表情から一転。明日香は不思議そうな顔をした。
海が言った言葉の意味が、全くわからなかったのだ。
それもそうだろう。 お前には友達が沢山いるからお前のいる学校には行けない、と言われて理解出来る人間なんているだろうか?
明日香は眉を寄せ、不審そうな目で海を見る。
「……どういうこと?」
明日香がどういう表情で、どういった質問がくるのか、その予想がついていた海は、彼女のその目を見返しながら言う。
「明日香さ、もし俺がお前のいる学校に転校したら、お前、俺のことばかり構うようにならないか?」
「そんなのあたりまえじゃない!あんたおもしろいから!」
即答した明日香に、海は「やっぱりな……」とため息をはいた。
――今海がした問いは、質問ではなく、確認だ。
先にも言ったが、海は明日香の性格を見抜いていた。そして、自惚れではなく、彼女が自分のことを特別視していることを知っていた。
だから容易に想像出来たのだ。自分が明日香のいる学校に転校した時の彼女の反応と、それに対する、『周囲』の反応が。
「いいか、明日香?お前や圭さん、信さんは俺のことを普通に扱ってくれるけど、周りから見たら俺は異物でしかないんだよ」
「いぶつ……?」
「普通じゃない、っていう意味さ」
不思議そうな顔をした明日香に、海は自嘲の笑みを浮かべながら答えた。
それに対して明日香が反論をあげようとするが、それを遮るように海は続ける。
「明日香は俺のことを『面白い』って言って近づいてきてくれるけど、多くの人達は俺のことを『変』とか、『怖い』って言って離れて行くんだよ」
実際に前の学校でもそうだった。と呟く海に、明日香は眉間に皺を寄せ、口を尖らせながら言う。
「たしかにあんたはへんだけど、ちっともこわくなんてないわよ。それに、あたしがいっしょにいればひとりになんか……」
「人という生き物は、孤独を恐れる。周囲に流されながら、それが例え自分の意に反することであっても、そうやって自分の身を守ろうとする」
「……かい。いってることがぜんぜんわからない」
明日香の言葉を遮り言った海の言葉に、明日香は顰めっ面を浮かべる。
言葉を遮られたのと、海の言っている言葉の意味が一つもわからないことが悔しかったのだ。
そんな明日香に、そして明日香の後ろで自分の言葉を聞いている工藤夫妻に向け海は口を開く。
「確かに明日香は俺のことを怖がらない。俺がお前の学校に転校したら、お前は俺を自分の友達に紹介して仲良くさせようとするだろ?」
「あたりまえよ」
即答し頷く明日香。
海は彼女のこんな性格が好きだった。だから思ったのだ。
『守らなくては』、と。
「さっきも言ったけどさ、俺は周りから怖がられる。もっと言えば、気味悪がられる。その結果、一人になる」
「だからあたしがいれば……」
「確かに明日香がいれば、俺は一人にはならないだろう。明日香につられて、何人もが俺の側にやってくる。……自分の意思とは無関係に」
そこまで海が言ったことで、工藤夫妻はようやく、なぜ海が明日香と同じ学校を選ばなかったのか理解した。
そして同時に感謝した。 自分達の娘を『守ってくれた』ことに。
しかし、当の本人。明日香は海の言葉の意味がまたもや理解出来ず。
度重なった悔しさ。そしてストレス。
それがついに爆発した。
「あー!もう!いみがわからないのよ!わかるようにいいなさいよ!」
握り拳を作りながら叫ぶ明日香。小刻みに震えるその拳は、「次わけのわからないこと言ったらぶっ飛ばすわよ!」と明確に語っていた。
その意を正確に読み取った海は、友人の狂暴な性格に内心でため息をこぼしながら口を開く。
「……わかりやすく言うと、明日香が俺と一緒にいると、俺と一緒にいたくないと思っている奴らも自然に俺達の所に集まって来ちまうんだよ。明日香と一緒にいたいから」
「え……?」
キレる寸前だった明日香だが、海の言葉で冷静さを取り戻す。
そして代わりにやってくる、混乱。
「それってどういう……」
「明日香。お前は友達が沢山いるんだろ?それに同級生からだけじゃなく上級生や下級生とも仲がいい。そうだな?」
「う、うん……」
またもや言葉を遮られた明日香だが、今度は苛立たなかった。苛立ちよりも疑問の方が強かったからだ。
素直に頷き、海の言葉を待つ。 海はそんな明日香の目を見ながら静かに言う。
「学校で一人になったこと、あるか?」
「……ない」
この質問にどんな意味があるのか、今までのこととなんの関連性があるのか、明日香にはわからなかった。わからなかった『から』、明日香はきちんと考え頷く。 そうすれば海が答えをくれると、明日香は本能で悟っていた。
――そして、それは間違いではなかった。
「つまり、明日香は学校で一人になることがない。そんなお前が俺と一緒にいるようになれば、当然、今までお前と一緒にいた奴らも俺達と一緒に過ごすようになる。……俺と一緒にいたくないと思いながら、な」
「……」
「そんな関係が続けばどうなるか、わかるか?」
「…………わかんない」
「みんながお前から離れていく。そして、お前は虐めの対象となるんだ」
「――っ!?」
海の言葉に、明日香は鋭く、息をのんだ。
――工藤明日香という少女は、容姿とその性格で学校の人気者だった。休み時間になれば級友達に囲まれお喋りをし、上級生や下級生とも浅からぬ交流があった。
男子からも女子からも好かれ、虐めとは対極の位置にいる明日香。 ……しかし、それは唐突に、そして理不尽にやってくる。
「さっき、『人という生き物は、孤独を恐れる。周囲に流されながら、それが例え自分の意に反することであっても、そうやって自分の身を守ろうとする』って言ったの、覚えてるか?」
「……いみはわからないけど」
再び聞いても理解出来ない言葉だが、明日香頷く。
それを見て、海は彼女でもわかるような言葉を選びながら続ける。
「明日香。お前さ、今お前の周りにいる友達達がみんなお前から離れて、学校で一人ぼっちになるの、耐えられるか?」
「……むり」
「友達だった人達から無視されたり、虐められたりするの、耐えられるか?」
「…………むり」
「明日香は、怖いって、自分とは違う変な人だって感じた相手と、一緒にいることが出来るか?」
「……できない、とおもう……」
問う海に、答える明日香。
明日香は海からの問いに、幼い想像力を働かせ真面目に答え。
海は答えを急かさず、明日香が答えを出すまで待ち、一つ一つ丁寧に質問していく。
そして、その三つの問答を終えた時、海は小さく明日香に笑いかける。
「明日香の友達も一緒なんだよ。一人になりたくない。友達から虐められたくない。 ……そして、自分が嫌いだと思う人とは一緒にいたくない」
海がここまで言って、明日香はようやく理解し始めた。
海が、これまで言ってきたことの意味を。
「明日香が俺と一緒にいたいって、友達を紹介してくれるって言ってくれることは、すごく嬉しい。でも、きっと明日香みたいに俺を受け入れてくれる人はいないと思う」
人は自分とは違うものに恐怖を覚え、それを排除したがる。
ある程度歳を重ね、社会というものを理解している大人ならまだ表面上の付き合いも出来るが、年端もいかぬ子供にそれを求める方が間違っている。
海は、それをよくわかっていた。
「明日香と一緒にいたいっていう気持ちと、俺と一緒にいたくないっていう気持ち。時間が経つにつれて、俺といたくない気持ちの方が絶対に強くなる。そして俺から離れていく。その時は一人じゃない。一人になりたくないから、必ず二人以上で離れていく」
「……」
「そしてそれは広がっていく。どんどん俺から離れていくようになって、最後には俺一人になる。 ……なあ、明日香」
海の呼びかけに、明日香がビクリと体を震わす。
わかったからだ。 海が言おうとしていることが。
「お前はそうなっても、一人になってまでも、俺と一緒にいれるか?」
「それは……」
「俺といれば、変な奴といるっていうことが理由でお前もみんなから避けられるようになる。無視されたり、虐めが始まる。それでも、そうなってまでも、お前は俺と一緒にいれるのか?」
「……」
明日香は答えられない。 答えることが出来ない。
海のことは好きだし、面白いから一緒にいたいと思う。
……けど、同じように学校の友達も好きで。一緒にいたくて。
どちらかを選ぶなんて、明日香には出来なかった。
眉間に皺を寄せ悩む明日香の姿を見て、海は優しい笑顔を浮かべ明日香の頭を撫でる。 その際、多少背伸びしなくてはいけないことに海は若干へこんだのだが、それは意地で表情に出さなかった。
「俺はそんなことで明日香に悩んでほしくないんだ。傷ついてほしくないんだ。 明日香は初めて出来た俺の大切な友達だから。 だから俺は明日香とは違う小学校に通うことにしたんだよ」
「…………」
自分の頭を撫でる、小さい手。向けられる優しい笑顔。
普段の明日香だったら、照れ隠しにその手を払いそっぽを向いただろう。
しかし、今はそれが出来なかった。
ようやくわかったから。
海が、自分のことを思って違う学校を選んだということが。自分を守ってくれたということが。
守ってもらったという事実と、海が口にした『大切な友達』という言葉。
その二つが明日香の頬を朱色に染め、動きを止めさせた。
そんな明日香の態度に、海は笑顔で彼女の頭を二度、ポンポンと叩いてから手を離す。
「それに、俺は自分の力で友達を作りたいんだ。確かに俺と仲良くしてくれる人はそうそういないだろうけど……。でも、諦めないで気長に作るさ」
大人びた笑顔でそう語る海を見て、明日香は口を尖らせ、今度こそそっぽを向く。
「……かい!ともだちができても、あたしとのやくそくをいちばんにしなさいよ!あたしいがいのともだちをいちばんにしたらゆるさないからね!」
ヤキモチと独占欲からくる明日香の言葉に、海は微笑みながら頷くのだった。




