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「それで?あんたはなんでうちにいるの?きょうはおみせやすみだよ?」
握手を交わしたあと、明日香は先ほどの疑問を海にぶつける。
海はそんな明日香に、本当に物怖じしない少女だ、などという感想を抱きながら彼女の問いに答える。
「ああ。俺は信さんに料理を教わりに……」
そこまで海の言葉を聞い明日香は、ぐりん、と勢いよく首を回し、彼女の父親である信へとほえる。
「パパ!りょうりをおしえてるってどういうことっ!?」
娘の標的が自分に変わり、しかし触れられたくない話題を突き付けられ、信は「やべぇ……」と声を漏らす。
明日香のソプラノは続く。
「なんであたしがおそわるのはダメで、王子はいいのよ!?」
「……王子?」
おそらく自分のことを指すであろう変な呼び名に、海は眉を寄せた。
すかさず明日香から「あんたのあだ名よ!」と説明が入ったが、海はとても受け入れることが出来そうにもなかった。
――が、それに対して海が反論するよりも早く、明日香の信に対する追撃が始まる。
「ねえパパ!どういうこと!?」
「いや……そのなぁ……」
「いいわけはいいいから、さっさとせつめいして!」
執拗に攻める明日香に、視線をさ迷わせる信。
そんな光景を前にして、海は、あとでいいかと決着がつくのを待つことにした。
自分を対象としていない喧嘩に割って入る痛い目を見ると、海は経験から知っていたのだ。
海がそうやって戦線から一歩離脱した時、ようやく信の反論が始まった。
「いや、あのなぁ明日香。海はよ、雫さんに頼まれてしかたなくだなぁ……」
「しずくさんのおねがいはきけて、あたしのおねがいはきけないの!?」
「う……」
だがあっさりと第一の反論は明日香に論破され。
「いや、あのなぁ明日香。料理っていうのは危ねぇんだぞ?包丁で手を切ることもあれば火傷することだってある。だから子供のおめぇにはまだ早ぇ……」
「王子だってこどもじゃない!」
「う……」
第二戦も明日香に軍配があがり。
いや、だがよぉ、と、なおも渋る信に、明日香は最終兵器を投入した。
「パパ……きらいになるよ?」
「んなぁっ!?」
その瞬間、信の背後に稲妻が走った、かのように海には見えた。
今までの威厳はどこに去って行ったのかと思うくらいに、彼の強面は悲壮感で一杯になり。 その表情のまま、彼は明日香の元へと駆け寄り彼女の肩をつかんだ。
「明日香ぁ!そいつは流石に卑怯ってもんじゃあねぇか!?」
明日香は目をつぶり、つーん、といった擬音が聞こえてきそうな態度でそっぽを向く。
「パパがおしえてくれたんだよ。やくそくはやぶっちゃいけないって。パパいったよね?あたしみたいなこどもがりょうりをするのはあぶないから、おしえるのはもうすこしおおきくなってからだって」
「う……」
確かにそれは信の言葉だった。 料理を教えてほしいと言ってきた明日香に、信はそう返したのだ。
「パパはそのやくそくをやぶった。そんなパパはきらい!」
「わ、わかった!明日香にも料理を教える!だから嫌いだなんて言わねぇでくれ!」
「ほんと?ほんとうにおしえてくれるの?」
「おお!男に二言はねぇぜ!」
「やったぁ!パパだいすき!」
「明日香ーっ!」
がしっと信に抱きしめられた明日香は、顔を海の方へと向け、ニヤリと笑う。
『小悪魔』という単語をまだ知らない海だが、明日香の笑顔を見て、彼女と関わる際は気をつけようと切に思うのだった。
「ねえ、かい。あんたなんさい?」
騒ぎも落ち着き、海達は厨房から一番近い席に出来上がった料理を並べ、遅めの昼食ないし早めの夕食をとっていた。
初めて作った料理の味に(結局信は手を加えることはなかった)に海が自然と笑顔を浮かべていると、当然のように右隣に座った明日香(今海達が座った席は対面席で、片方に三人まで座れる。先に近藤家、工藤家と別れて座ったので当然明日香は工藤家の方の椅子に座ると思っていたのだが、なぜか海の隣に腰をおろした)がスプーンを片手にそんなことを聞いてくる。
「七歳だよ」
「え!?そんなにちいさいのに!?」
明日香の言葉に海は怒りを覚えたが、雫の言葉を思い出し、小さく息を吐くことでそれを逃がす。
「……ああ。小さくても七歳だ」
「ふーん。あたしとおなじとしなのに、かいはあたしよりも小さいんだねー。あだ名チビ王子にかえようかな〜」
にやにやしながら明らかに楽しんでいる明日香。 そんな彼女に、海は母の『もう一つの教え』を実践することにした。
スプーンを皿に置き、右手の指を揃えそれを明日香の頭に落とす。 いわゆるチョップをしたのだ。
「いったーい!なにすんのよ!」
痛いと言い頭を押さえる明日香だが、それは嘘だった。
海は力なんて込めてないし、振り下ろす腕のスピードも遅かった。
そんなチョップに威力などあるわけがない。 実際明日香は、ポン、と触られたという認識しかなかった。
彼女が騒いだのは周りの大人達に海を叱らせ、自分を優位に立たせたかったからだ。
……しかし、明日香のその目論みは、失敗に終わった。
雫は海がこれからすることをきちんと理解していたし、工藤夫妻は明日香の嘘を見抜いていた。
黙々とカレーを食べ続ける大人達に内心で舌を出す明日香。 そんな彼女に海は言う。
「明日香。人が嫌だと思っていることを、そんな風に楽しんじゃダメだ」
真剣な、そして強い意思が浮かんでいる海の瞳に見つめられ、明日香は戸惑う。
そして彼の言葉にも戸惑った。
同い年の友人達はこんなことを言わない。このようなことを言うのは両親や学校の先生くらいだったから。
そして同時に苛立った。
自分よりも高みから言われているような気がして、それが鼻についたのだ。
明日香はアーモンドアイをさらに吊り上げて、海を睨む。
「なんであんたにそんなこといわれなきゃいけないのよ!?」
叫ぶ明日香の目を海はしっかりと見返しながら、しかし明日香の問いには答えず言う。
「人のことを好き勝手言って楽しむ方はいい。傷つかないし、苦しくないから。けどな、言われた方は楽しくなんかないんだ。傷つくし、苦しいんだ。明日香はそんな格好悪いことを続けるのか?」
「かっこ……わるい?」
怒りを忘れ、眉を寄せる明日香に海は頷く。
「そんな風に人をいじめる奴は格好悪い。俺は、困っている人を、そんな風にいじめられている人を助ける人の方が、格好良いと思うけど?」
「……」
正直、明日香は海の言っていることの意味を半分も理解出来ていなかった。
楽しいと思うことをなぜしてはいけないのかもわからなかったし、なぜ格好悪いと言われたのかもわからない。
……しかし、一つだけ。 そう堂々と語る海がなぜか無性に格好良いのだけはわかった。
それが、なんとなく悔しかった。けど、同時にそんな格好良さに憧れを抱く。
(……あたしも、王子のいうとおりにしたらかっこよくなれるのかな?)
この時の明日香は、『可愛く』よりも『格好良く』なりたいと思っていた。
理由なんて特にない。 明日香がそういう性格だから、と言うしかないだろう。
そんな明日香にとって、目の前の小さな少年の姿は、まさに目標そのものだった。
だから明日香は海の言葉に従う選択肢選んだ。 ――選んだが、そのまま頷くことはしなかった。その行為が、なんとなく、格好悪いと思ったからだ。
だから明日香はそっぽを向き、不機嫌そうな表情で「……かんがえておくわ」とだけ言うのだった。
海は明日香のそんな胸中を『観て』わかっていた海は、明日香に優しく笑いかけてから、その視線を雫へと向ける。
そこで交わる親子の視線。
息子は母親に、これでよかったのかと、と視線で問いかけ。
母親は息子のその問いに、優しく微笑みながら頷いた。
「ねえ、かい」
そんな親子のやり取りに気づかなかった(気づいていたとしても全く気にしなかっただろうが)明日香は海の名を呼びながら彼の袖を引く。
海は顔を雫から明日香へと向ける。
明日香の顔からは今さっきまでの不機嫌さが綺麗に消え去っていて。
立ち直りが早いなぁ、などと思いながら海は返事をする。
「なんだ?」
「あんたななさいってことは、あたしとおなじよね?きょうはがっこうやすみなの?」
「……」
それは、事情を知らない明日香にとっては当然の疑問だった。
自分達と同年代の子供が学校に通うことは、明日香だけでなく平和な家庭で育った子供の誰もが当たり前と思っている。 そういう認識を植え付けられている。
彼らは知らない。
学校に行きたくても行けない子供もいることを。
彼らは知らない。
他人と接することを拒絶してしまうほどの体験をした子供もいることを。
本人に悪気はない。 ただ不思議に思ったから聞いた。それだけだ。
しかし海は、それに心を乱す。 改めて自分は『普通』ではないということを突きつられた気がした。
無知ゆえの悪意。 無意識の、悪意。
明日香の言葉は、まさしくそれだった。
「明日香ちゃん。海は……」
「母さん」
事情を説明しようと言葉を発した雫を、海は片手をあげることで制する。
「心配してくれてありがとう。……でも、俺が説明するよ」
「海……」
心配そうな雫の瞳を、海は笑顔で見返し。
「大丈夫」
「……わかったわ」
しばらく見つめ合っていた二人だが、海のその言葉と意思の強い瞳を見て、雫は引くことにした。
海は雫に「ありがとう」と告げ、再度、近藤親子のやり取りにポカンとしている明日香へと向き直る。
「明日香。俺は……学校には今通っていないんだ」
「あ、え……?そうなの!?なんでなんで!?」
我に返った明日香からの純粋無垢な質問。それが海の心を傷つける。
……しかし、海はそれを面には出さず、明日香の質問に答える。
「なあ、明日香。『孤児』とか『虐待』って言葉、知ってるか?」
海の言葉に、明日香は首を傾げる。
「こじ?ぎゃくたい?なにそれ?」
やっぱり知らなかったか、と思い、海は小さい息を吐く。
「……その言葉を知らないなら、今説明しても理解出来ない。だから、その言葉の意味を理解出来ようになったら、その時説明するよ」
「なにそれ!?いいからいまおしえなさいよ!」
海の言葉が気に入らなかった明日香の目が吊り上がった。
今にもつかみかかりそうな明日香。そんな彼女に海は例の大人びいた眼差しを向ける。
「明日香。悪い。これは俺にとっても、辛いことなんだ……。……わかってくれないか?」
「う……」
今日、海に説教をされるまでの明日香だったら、構わず海に説明を要求しただろう。
しかし、海に説教をされ、そんな彼の姿に格好良さを見た明日香はそれ以上聞くことが出来なかった。
海が嫌がっている。そんな彼から無理矢理聞き出すことは、海が言った格好悪い行為をすることになると、明日香は思ったのだ。
納得はいかない。しかし、格好悪い行為もしたくない。
二つの感情に挟まれて揺れる明日香。
しばしの葛藤の末、明日香は「ふん」と鼻を鳴らしそっぽを向いた。
「いつかおしえてもらうからね!ぜったいよ!」
「……ああ。いつか、な」
もう一度鼻を鳴らしそれ以上追求しなかった明日香に、海は胸中で「ありがとう」とお礼を告げた。
――そうして食事が再開され、場を再び弛緩した空気が流れる。
……そんな中、海は、ある決意をしていた。
明日香に指摘されたからこそついた決意。
カレーを口に運ぶ海の眼の色が、さらに大人びいた色へと変わっていことに気づいたのは、雫ただ一人だった。




