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「さて、坊主。料理を作る上で一番大切なことはなんだと思う?おおっと、愛情以外で、だぜ」
腕を組みながらの信の問いに、海は首を捻った。
海は、信の言葉通りすぐに料理を始めると思っていたからだ。
しかし、やってきたのはそんな質問で。
海はすぐに答えることが出来なかった。なにしろ海は料理をしたことすらないのだ。想像すら出来ない。
しかし信は海の返答を待っている。それが海にはわかった。
それなので海は、今の自分になにがあったら料理が出来るだろうか、と考えた。
「……作り方?」
信は首を横に振る。
「ちげぇな。作り方を知りたけりゃぁ本で調べればいい。大抵の野郎はそれで『調理』することは出来る。だがそれだけじゃあ『料理』の域にゃぁ達しない」
「調理……?料理となにが違うの?」
大抵の野郎は出来る、の言葉に雫の頬がひくついたが、それは、まあ、ともかく。
信は海の目を見据え、言う。
「いいか坊主。食品に手を加えるのが『調理』。調理した上で掃除までするのが『料理』だ」
「掃除……?」
料理とは全く関係なさそうな言葉に、海は眉を寄せ。
信は頷き、腕を解き調理台の上を指差す。
「例えばだ。今からカレーを作るわけだが、その食材、器材がここにある」
信の指の先を追い、海は視線を調理台へと移す。
カレールー。ジャガ芋。人参。玉葱。豚肉。それに包丁に鍋にまな板。そして木ベラにお玉。
それらが調理台の上に鎮座していた。
「芋や人参、玉葱なんかをよ、これから皮を剥いて切っていくわけだが、その皮を、そして切ったそいつらを、適当に置いていったらどうなると思う?」
信に問われ、海はまた考える。
経験がないから想像は難しい、と思っていたが、いい見本(悪い見本?)をこの前見たばかりだったので、答えはすんなりと出た。
「散らかる」
「そうだ」
海の答えに、信は大きく頷き、雫はさらに頬をひくつかせ。
そんな三人(あえていうなら雫だが)を見た圭は、「まあまあ」と小さい苦笑を浮かべていた。
それに気づかない信は再度腕を組む。
「てめぇで散らかしててめぇで作業がしずらくなるなんて、最低なことだ。掃除の出来ねぇやつは料理をする資格がねぇ」
信は鷹のように鋭い目で、海を睨みつけた。
「坊主が将来どんな職につくのかは知らねぇ。だが俺はおめぇに『料理』を教えるつもりだ。文句はねぇな?」
「はい!」
信の問いに、海は即座に頷く。
雫の『惨劇』を見た海は、決して雫に言うつもりはないが、料理とは散らかるものだと思っていた。
しかし、そうではないと信は言う。
雫のために、家族のために料理を学ぶことを望んだ海は、事後の片付けもするつもりでいた。
なので、信の言葉はまさに渡りに船だったのだ。
「おお。いい返事だ!」
がはは、と豪快な笑いを見せる信に、海は少しずつ心を許すようになっていった。
輝や雫とは違った意味で本気でぶつかってくる信に、海が最初に持った彼への印象は消えたのだ。
「それじゃあ坊主。始めるぞ。まずはジャガ芋と人参の皮を洗う。一度やって見せるから、あとはやってみな」
「はい!」
信はジャガ芋と人参の入ったボールをそれぞれシンクヘと運び、たわしとジャガ芋を手に持つ。
「いいか?こうやって……」
「あの、信さん……」
「あん?なんでぇ?」
「……見えないし届かない……」
「…………圭。椅子だ」
「はーい」
信の頼みに圭は素直に頷いて、椅子を取りに行き。
……ちなみに、雫は信の言葉を聞いて、一人、へこんでいた。
「坊主。さっき料理で一番大切なのは掃除だと教えた。じゃあ、二番目はなんだと思う?」
圭が持ってきた背もたれつきの椅子に乗り、小さな手で一生懸命ジャガ芋を洗う海を腕組みしながら見ていた信は、海が半分のジャガ芋を洗ったところでそう口を開いた。
次のジャガ芋へ手を伸ばそうとしていた海は、信の言葉にその腕を止め、顔を彼へと向ける。
「二番目……?」
「ああ。ちなみに、愛情以外で、だぜ」
海は首を捻る。
「さっきも思ったんだけど、なんで愛情以外なの?誰かのためになにかしたいっていう想いは入れちゃダメなの?」
七歳児らしからぬ疑問に、信は驚いた表情を雫へと向けた。
「……雫さんよ。こいつは本当に七歳か?」
信の問いに、雫は優しい、しかしどこか誇らしげな笑みを浮かべる。
「はい。正真正銘七歳ですよ。私達の自慢の息子です」
「……なるほど、な」
雫の言葉を受け、海の真っ直ぐで意思の強い瞳を見て、信は納得する。
(この坊主がどういう経験をしてきたのか、詳しいことは知らねぇが、こいつは大物になる。自慢にも思う、か)
信は海のことを見くびっていたわけではないが、ただの七歳児として扱っていた。
だが、今のやりとりで信はそうすることをやめることにした。
対等な、一人の男として扱うことにしたのだ。
信は海の目を見つめ、自分の考えを、一人の料理人としての考えを伝えるために口を開く。
「いいか坊主、いや、海。料理に限って言えば、愛情っていうものは入ってて当然のものだと俺は思ってる。愛情の入ってねぇ料理は料理じゃねぇ、ってな。だから愛情は外してるんだ。わかったか?」
「……うん」
信が海の呼び名を『坊主』から『海』へと変えた理由を、海はなんとなく悟った。
自分のことを子供扱いしないようにしたのだ、と。
海は、それに応えようと思った。
だからすぐには頷かず、信の言葉をきちんと理解しようとしたのだ。
そして理解したから頷いた。
それを見ていた、信は口の端をあげる。
(やっぱりこいつはただのガキじゃねぇ)
信がこの店を開いてから十数年。その間様々な人を見てきた。
そうして、彼も海と似たような『目』を得ていた。
だからわかったのだ。海がきちんと理解したことを。
「わかったところで、だ。二番目はなんだと思う?」
「……作り方、じゃないんだよね?」
信の問いが、今回も海はわからなかった。
――だが、一つ。
『作り方』が答えではないことはわかった。
海は今の問いから、信が最初にした質問と同じニュアンスを感じ取っていたのだ。
そして、それは正解だった。
「ああ。作り方、つまりレシピは三番目だ。二番目は『手順』だ」
「手順……?」
頷きながら言った信の言葉を、海は理解出来ずにいた。
眉を寄せている海を見、信は詳しい説明を始める。
「いいか。俺はおめぇに、芋と人参を洗え、そう言った。別によ、芋を洗って皮を剥いて切ってから人参を洗ってもいいんだ。なのになんで俺はそういう指示を出したと思う?」
海は考える。
全く知らないことならともかく、今自分がしていて、そしてこれからやることだ。
信の言葉をヒントにし、二つのやり方の違いを考え。
程なくして答えは出た。
「そっちの方が早いから」
「その通りだ」
海の答えに、満足げに信は口元を緩める。
「芋を洗って皮を剥いて切ってから人参の皮を洗うより、一緒に洗った方が早ぇんだ。手間が省ける。そうやって、一つの材料、一つの工程に捕われず、全体を見て作業を考える。そうやって無駄を省いていきゃぁ仕事はどんどん早くなる。料理において掃除の次に大事なのがその『手順』だ。覚えておきな」
「はい!」
元気に返事をする海とニヤリと笑う信を見て、雫は納得していた。
なぜ信が料理長で店の営業が成り立っているのか、を。
『料理長』の称号は、伊達ではなかったのだということを。
そして同時に安心した。
彼になら海を預けても大丈夫だ、と。
「んじゃあ、あとは自分で考えて適当にやりな」
「信さん。海ちゃんは初めてですから。最後まで一緒にやってください」
「ちっ、しゃーねーなぁ」
「……」
(……大丈夫、よね……?)
彼女の疑問に答えるものは、誰もいなかった。




