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空に想いを…  作者:
First Story ~Yuki~
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 昨日、圭と交わした約束通り、海は雫と共に工藤を訪れていた。


 休日の工藤にはいつものような人気はなく、駐車場にも車は一台しか停まっておらず閑散としていて。



(本当に入れるのか?)



 そんな困惑を浮かべる海を見、自然と雫の口元に笑みが浮かぶ。


 海の中に様々な感情が育っていることが、嬉しくて仕方ないのだ。



「海。行きましょう」



 海を促し、雫は海の手を引き堂々といつもの正面口から店へと向かう。


 そしてたどり着いた入口。雫が手をかけた開き戸は開かない、なんてことはなく、いつも通りの動きを見せ。



 そうやっていつものように店内に入った海達。


 やはりいつもとは違い、店内には順番待ちをしている客はおらず。


 その代わり、入口をくぐってすぐの所にいる二人の人物。


 一人は、いつものようににこにこと微笑んでいる圭。そしてもう一人。

 その待ち構えていた『彼』を見て、海はその動きを止めた。




 人は、困難や理解不能なことに直面した時、三つの行動パターンに分けられる。


 一つは、それに立ち向かっていく人。


 もう一つは、その場で立ち止まってしまう人。


 そして最後の一つは、そこから逃げ出してしまう人。


 この三つだ。


 もちろん時と場合によって対応は異なるし、相応する事象によっても対応は異なってくるだろう。



 『彼』と対面した時、海は立ち止まることを選択した。

 いや、立ち止まる以外の選択肢は存在しなかった。



 彼の、そのあまりに強い個性のせいで。



 白い、圭が着ているものと同じタイプの割烹着に、同色の前掛け。

 おでこにしている、捩り鉢巻きになんの意味があるのか、海には理解出来なかった。


 海の前にいる男、工藤信くどう しんは、黒いスーツを着せサングラスでもつければ『その筋』の人にしか見えない、短い黒髪で筋肉隆々、しかも百八十センチを超える恐面で。



 後々になれば失礼な話ではあるのだが、海はこんな『奇妙』な生き物を前にして戸惑っていたのだ。



 そんな海をよそに、雫は信に頭を下げる。



「信さん。この度はどうもありがとうございます。せっかくの定休日なのに申し訳ありません」

「なぁに、気にしなさんな!圭のダチの頼みを断ったら男が廃るってもんだ」



 豪快に笑う信に、雫は上品な笑みを返す。



「信さんのご配慮に感謝いたします。あ、それから、せっかくのお休みを潰してしまったお詫びとしてこちらをお持ちしましたので、どうぞお納めください」



 そう言い、雫は持っていた深めのトートバッグから長い瓶を取り出し信に手渡す。

 それを見た信は目を見開いた。



「こいつは『神龍』じゃねえか!?いいのかい?こんな高ぇ酒貰っちまって?」



 信が驚愕するのも無理はない。雫が彼に渡したのは、純米大吟醸『神龍』。

 最低でも一本数万はする、高級酒なのだ。


 雫は微笑む。



「ええ。『大切な』息子を預けるのですから当然ですよ」



 ……酒に夢中な信は気づかない。雫の目は笑っていないことに。彼女の言葉に隠された、本当の意味に。


 雫は今、彼に警告をくだした。


 わかりやすく言うなら、『適当に扱ったらシメるぞ』と彼女は言ったのだ。



「じゃあ早速一杯……」

「信さん。呑むのは海君に料理を教えてからにしてください」

「ちっ……!しゃーねぇなぁ」


 雫の警告に気づいた圭は、信にわかりやすく注意を促す。

 圭の言葉だけには素直に従う信は、腕を組み、威圧するような視線で海を見下ろした。


 その時、雫のこめかみがひくついたのは、まあ、お約束だろう。



「おう。おめぇが海か?」



 その声で、海は意識を取り戻した。名前を呼ばれるまで、海は今までの会話も耳には入ってこなかったのだ。



 信が海に向けたのは、普通の七歳児、いや、気の弱い大人でさえ逃げ出しそうな鋭い視線に、無駄にドスの効いた声。


 しかし、様々な経験をし、精神的にすでに大人へと変貌していた海は、そんな彼の目をしっかりと見つめ返し、答える。



「はい。俺が近藤海です。今日から、よろしくお願いします」



 そう堂々と返答する海の態度に嬉しさを覚えながら、海の後ろに立っていた雫は彼の肩に手を添える。



「海。初めて会う目上の人に挨拶する時は、『俺』じゃなくて『僕』って言う方がいいわ。それに、お願いするときは頭を下げるの。その他の敬語は大変よく出来ていたわ」



 そうなの?と雫を見上げる海の姿に内心悶えながら、雫は頷く。



「ええ。もう一度やってみて」



 雫の言葉に、海は頷き再度信に向き直る。



「僕が近藤海です。よろしくお願いします」



 そういい頭をちょこんと下げた海。そうして、これでいい、といった意味を込めた視線を雫に向けた時、あっさりと雫の理性は吹き飛んだ。



「海!可愛い!」



 そう言い、海のことを思い切り抱きしめる雫。

 それに慌てたのは、もちろん海だ。



「か、母さん!?なんで抱きしめるの!?っていうか、ここ外だからっ!」



 雫に抱擁されるのは、海は嫌ではない。

 雫はいい匂いがするし、抱きしめられるのは愛されている証拠だと海は思っているから。


 が、それは家の中での場合だ。

 人が見ているような場所では、嬉しさよりも羞恥が上回る。



 しかしそんなこと気にしない(周りが見えていない?)雫は、海を強く抱きしめて彼にほお擦りを続け。それをされている海は、頬を赤く染め、視線を信や、その横にいる圭へと移す。


 むろん、助けを求めたのだ。


 が――



「海ちゃん可愛い!!」



 その、助けを求めたはずの圭にすら抱きしめられるはめになってしまい。



 海は叫ぶ。



「なんで圭さんまで抱き着くの!?今日は料理を教えてもらいに……って母さん!?圭さん!?引っ張りあわないでよ!!」



 海の可愛さにあてられた圭と雫の二人が、海を取り合い、引っ張り合う。



 突然訪れた混沌とした空間。それが落ち着くのは、今から三十分後だった……。






「……改めて、近藤海です。よろしくお願いします」

「おめぇもいろいろ、苦労してんなぁ」



(そう思うなら助けろよ!)



 それが海の感想だった。これからお世話になる人物なので、声には出さなかったが。



 あれから三十分間。海は雫と圭にいいようにもてあそばれた。


 引っ張り合いでは海がかわいそうという結論に至り、両者で交互に抱きしめることにしたのだ。


 ……そう。三十分もの間。



 そうやって二人が飽きることなく海を抱擁している間、海の羞恥とストレスは急上昇をしていて。


 なにも言わずずっと海達のことを眺めていた信も、ストレスの原因の一環だろう。



 ――そうして三十分後、ついに海がキレ、この騒ぎは終局を迎えたのだ。


 ……もっとも、騒ぎの原因の二人は、今も満足そうに微笑んでいるのだが。



 そんな反省の見えない二人に構うのを放棄し、海は改めて信に向き直り、三度目の自己紹介をしたのだ。


 そんな海に、信は獰猛類のような笑みを浮かべ言う。



「俺は工藤信。この店の料理長だ。よろしくな坊主」

「あ、はい!よろしくお願いします!」

「がはは!いいじゃねぇか!元気のいいガキは好きだぜぇ。気に入ったぜ坊主!」

「はあ……ありがとう、ございます」



 今までとはまた違うタイプの大人の扱いに困ったが、雫は今、頼れないので海はとりあえず状況に流されることにした。


 そんな海に信は言う。



「で、坊主。俺に料理をなれーてーんだよな?」

「はい!」

「この馬鹿野郎が!いいか!?料理っていうのは習うもんじゃぁねえ。盗むものだ。おめぇもうちの社員なら俺から……」

「信さん。海ちゃんはうちの社員じゃありませんよ」

「おお。そうだったか」



 突然怒鳴った信にそれを落ち着ける圭。

 海はそんな事態に、全くついていくことが出来なかった。

 さらに信は続ける。



「じゃあとりあえず、真鯛を三枚におろして、生け作りに……」

「信さん。海ちゃんは初心者ですから」

「なぁにー!?……じゃあとりあえずカレーでも作るか」



 目の前で交わされる、寸劇とも思えるやり取り。


 それを見て固まる海の肩に、雫が手を置く。

 海が弾けたように顔を雫の方へと向けると、彼女は目を閉じ、静かに首を横へと振る。



「腕は確かよ。慣れなさい」



 工藤の不思議は二つある。


 一つは圭。

 そしてもう一つが信。


 なぜ彼が料理長で、店の営業が成り立っているのか。


 それがこの店で彼を知る客の認識で、不思議の一つだった。



 雫のある種の諦めの態度を見、そして目の前の新たな変な大人を見、海が不安に思ったのは、言うまでもない。

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