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「ねえ、海。昼ご飯、なにを食べたい?」
「……え?」
輝の運転するレクサスの後部席。ぼーっと、流れる風景を見ていた海に声がかけられた。
隣に座った雫からの言葉。その言葉を、海は理解することが出来なかった。
いや、『なに』を問われているのかはわかる。
わからないのは『なぜ』問われているのか、だ。
目を丸くして凝視してくる海に、雫は優しく笑いかけた。
「海はなにが好き?ハンバーグ?カレー?オムライス?」
あれこれと料理名をあげていく雫を、海は不思議なものを見るような眼差しで見ていた。
(なんなんだこいつは?なんで俺にこんなことを聞いてくるんだ?)
輝達が海を引き取りたいと彼に言った時、海は特になんとも感じなかった。せいぜい、ああ、またか。と思ったくらいだ。
だから特になにも考えずに彼らの養子となることを認めた。どこにいようと自分の境遇は変わらないと思ったから。
しかし、今回は様々なことにおいて彼の予想を裏切った。
今まで名前で呼ばれたことなんてないし、笑顔を向けられたことも意見を求められたこともなかった。
敵意には耐性のある海だが、好意に対しての耐性は、全くといっていいほどない。
だから戸惑う。輝と雫の行動に。
海は顔の位置はそのまま、視線を雫から逸らし答える。
「……そんなの、お前らが決めればいいだろ」
海にとって食事というのは、食べられればいいものだった。
引き取った家の人が食べ終わったあまりものが彼にとっての主な食料であり、時には水だけしか飲めないこともあった。あまりの空腹に、真夜中冷蔵庫をあさったことすらある。
そんな彼に好物などあるわけもなく、求められても困るのだ。
雫は言う。
「駄目よ。今日は海が家族になった記念日なんだから、海の好きなものを食べるの」
「……」
意味がわからなかった。
確かに海は戸籍上は雫達の息子に、家族になった。
しかし、海はそれを建前だと思っている。自分はあくまで、彼らに同情と尊敬を向けさせるための道具、というのが海の認識だった。
それなのに雫は、周りに人がいないのに、自分達の評判が上がるわけではないのに、海に、海だけに笑顔と好意を向けてくる。
今まで体験したことのないものに、海はとても戸惑った。
目を見開き、口を開け固まる海の鼻を、雫はつまむ。
「なにがいい?好きなものを言っていいのよ」
向けられる優しい眼差しと、まるで本物の親子のようなやり取りに、海の瞳に涙が浮かぶ。
それを雫に見せたくなくて。
そんな自分を認めたくなくて。
海は雫の手を振り払い、顔を背ける。
「だから……!お前が決めればいいだろ!?俺は……」
「だーめ。今日はとても大切な記念日なの。これだけは譲れないわ」
「――っ!」
頭を撫でながらの雫の言葉に、海の瞳にさらに涙がにじんだ。
なぜ自分はこんな好意を向けられているのか、なぜこんなに優しくされているのか、海は全く理解出来ない。
こんなことをしても雫達にはなんのメリットもないのに。ただ負担が増えるだけなのに。
なんで彼らはこんなにも他人の(戸籍上では既に家族だが)自分に優しくしてくれるのか。海は全く理解出来なかった。
頭を撫でられながら、瞳に涙を溜めながら、流れる風景を黙って見つめる海。
止まってしまった会話に、今まで口を挟まなかった輝が口を開く。
「雫。今日の昼食はデパートにしないか?あそこならいろいろな飲食店が入っているし、メニューを見ながらの方が海も決めやすいだろ?」
「あら、それはいい考えね。デパートなら海用の食器や服も買えるし、一石二鳥ね」
楽しそうに会話をする二人を横目に、海は不思議な気持ちを感じていた。
今まで彼を引き取ってきた大人達とは全く違う反応を見せる二人。
なんのメリットもないのに自分を本当の子供のように扱う二人。
優しい二人。温かい二人。
海は泣きたくなった。
今すぐ彼らの胸に飛び込み、声をあげ泣きたかった。
この二人なら、自分のことを受け入れてくれるんじゃないか、と、そこまで考えて海は自分のその考えを恥じた。
(馬鹿か俺は!大人なんてみんな汚い存在なんだ。今まで見てきた大人はみんなそうだった。騙されるな!心を許すな!こいつらも今だけなんだ!)
改めて海はそう自身に戒め、再び流れる風景に意識を向ける。
そんな風に心を閉ざす海を、雫は悲しそうに、しかし瞳には強い意志を浮かべ見つめていた。




