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「話はぜーんぶ聞かせてもらったわ」
「全部って……あなたいつからそこにいたの?」
雫の言葉はもっともだった。
繰り返すようではあるが、圭はここ、和風レストラン工藤の女将だ。その仕事は決して容易なものではない。
そして現在はPM六時。夕食にはまだ早いが、遅い時間でもない。
つまり、店内は忙しかった。
にも関わらず、彼女はここにこうしてにこにこと笑顔を浮かべて立ち止まっていて。
雫の指摘を全く気にした様子もなく、圭はその笑顔で答える。
「ん?最初からだよ。雫ちゃん達がどよーんとした暗ーい空気まとってたから話しかけ辛くて」
「……そう、なの……」
相変わらずの態度に雫は飽きれ額を押さえ。輝は苦笑いを浮かべ。
一方海は、やはり飲食店の店員というものはこういうものなのだと、誤った認識を得るのだった。
いろいろな思惑を持った近藤一家に構うこともなく、雫は甘い笑顔を海に向ける。
「海君。こんにちは」
「え……?あ、こんにちは。圭さん」
突然自分に向けられた話題に海が戸惑いながらも答えると、圭の笑顔により一層花が咲いた。
「まあまあ!前会った時よりも可愛くなって……!雫ちゃん!海ちゃん抱きしめてもいい!?」
「な!?ダメに決まってるでしょ!!可愛い海は私の息子なのよ!」
「……雫、僕のこと完璧に忘れてるよね……」
手を怪しくうごめかしながら海に詰め寄る圭。
そんな圭から海を守ろうと、思い切り海を抱きしめる雫。
自分のことを忘れ去られ、へこむ輝。
自分のことを「ちゃん」付けで呼ばれて戸惑う海。
近藤家にあった微妙な雰囲気は、すでに霧散していた。
三人の変な大人(親しくなっても海の中でこのカテゴリーは変わっていない)を見て放心していた海は、自分を取り戻し、圭の言葉に反応する。
雫の胸から顔を抜き出し、圭に顔を向ける。
「あ、あの!圭さん!料理を教えてくれるっていうのは……」
海の言葉で、不毛な、本当に不毛な言い争いをしていた三人(二人?)が動きを止める。
そのことを自覚した圭は、こほん、と咳ばらいを一つし、海に笑顔を向けた。
「ええ。本当よ。海ちゃんがなんのために、誰のために料理をしたいのか、その理由はきちんと聞かせてもらったわ。海ちゃん。料理っていうのはねー、心なの。誰かのために作りたい、って思いがあれば、絶対上達するわ。まあ、例外はいるみたいだけどー」
そう言って圭が視線を雫に向けると、彼女は珍しく苦い表情をしていた。
それを見てくすくすと笑った圭は、再び笑顔を海に向ける。
「だからね。海ちゃんが雫ちゃん達のために料理を覚えたい、っていうなら、私は喜んで協力するわ」
どうする、といった問いに、海は輝と雫の顔を見合わせる。
彼の視線を受け、輝達も顔を見合わせ、そして雫は頷いた。
輝は言う。
「海。僕達は、本当に恩返しなんて望んでいない。毎日の外食だって、僕達にとっては大した出費じゃない。言い方はひどくなってしまうかもしれないけど、海が料理をしなくても、僕達は困らないんだ。それでも海は、料理を覚えたいのかい?」
輝の言葉に、海は力強く頷いた。
「うん。俺は、料理が出来るようになりたい。確かに、外食を食べる方が楽だし、美味しいと思うけど……。でも!それでも俺は親父と母さんに俺が作った料理を食べてほしいんだ!」
強い意思と強い想いを込めた言葉は、時に言霊となり、相手に届く。
それが、相手のことを思いやった言葉ならより、いっそう。
海の言葉は、輝と雫の心を動かした。
……だが、親というのは、時に厳しいことを言わなくてはいけない時もある。現実を突き付けなくてはいけない時が、ある。
輝は海に厳しい視線を向け、言う。
「海。やめるなら、今、だ。信さんは厳しい。子供だからって遠慮はしない。……それでも、心は変わらないかい?」
「うん」
即答だった。
海に迷いなど、ない。
全ては、自分に幸せと暖かさをくれた『家族』のために。
海はなにかをせずにはいられなかったのだ。
余談ではあるが、海は、信、というのが誰なのか知らない。だが、話の流れから自分に料理を教えてくれる人の名前だと悟った。
――閑話休題。
交差する輝と海の瞳。
そのどちらもが、とても強い意思を秘めていて。
数秒ののち、折れたのは――輝だった。
海から目を逸らし、目をつぶり肩をすくめる。
一連の流れを見ていた雫は、海の頭を優しく撫でてから圭へと頭を下げた。
「私達の海をよろしくお願いします。本当は私が教えてあげたいんだけど……」
「雫ちゃん、料理の才能ないからねー」
「……」
悪気は一切ない圭だったが、そ言葉は、雫を静かに堕天使モードへと変えた。まあ、それに気づいたのは輝と海の二人だけだが。
それに気づかない圭は口元に人差し指をあて「うーん」と唸る。
どうやらそれが、彼女のものを考える時のポーズらしい。
「今日これからー、でも私達はいいんだけど……」
圭の言葉に、雫は半眼で突っ込みを入れる。
「これからって、工藤はこれからが忙しい時間でしょう……?」
「あー。そういえば」
ぽん、と手を打つ圭を見て、雫は頭痛を覚える。
(なんでこの人が女将で、店がきちんと機能するのかしら?)
工藤の『二大』不思議の一つを前にして、雫は首を捻る。
そんな雫を、やはり気にとめた様子もなく圭は言う。
「じゃあ、明日からでどうかしらー?」
「明日……?明日って確か、定休日でしょう?いいの?」
眉を寄せた雫の問いに、圭はにこにこと笑顔で答える。
「うん。明日は特に予定もないしー、あーちゃんも学校だし。だから平気だよ。雫ちゃん」
圭のその言葉を受け、雫はもう一度、彼女へと頭を下げた。
「海を、よろしくお願いします」
雫のその姿を見て、海も圭に頭を下げる。
「えと……よろしく、お願いします」
「はい。喜んで」
海の頭を撫でながら笑う圭。
そんな彼女に、海は安心したように、笑顔を向けた。
それを見た圭が海に抱き着こうとし、雫がそれを止めるべく抵抗し。
そして一人蚊帳の外にいた輝がいじけながら烏賊の刺身をいじっていたのは、また別のお話。




