27
それは、梅雨入り直前の、よく晴れた六月最初の日曜日。
『あの日』から一週間が経ち、海が輝達を父母と呼ぶことにも慣れ、日常生活にも自然と笑顔を浮かべるようになったそんな日の、朝のことだった。
食卓に座り、いつものように三人でとる朝食。
食卓に並ぶのは、食パンに数種類のジャム。それに簡単なサラダといった、近藤家では定番となっているメニューだ。
しかし、それを前にした海の表情は優れなかった。
別にメニューに不満があるわけではない。
時に、ゴミを漁ってまで飢えをしのいできた海にとって、これは充分なご馳走だ。
飽きたわけでもない。
商店街で人気のパン屋の食パンはとても美味しく、塗るジャムを変えればいろいろな表情で海を楽しませる。
今、海の顔が優れないのは、ある意味、『家族』としてのわがままからだった。
「海、どうしたんだい?食が進んでいないみたいだけど……」
海の正面に座った輝が、息子の変化に気づく。
「海?どこか具合でも悪いの?」
輝に先を越された悔しさを押し殺して、雫は海に問う。
ここで言い争っても、なんの意味もないと理解しているからだ。
二人の優しさに感謝と、心配をかけたことに罪悪感を覚えながら、海は自分のわがままを伝えることにした。
窺うような上目目線で、雫のことを見ながら口を開く。
「あの、さ……。お願いがあるんだけど……言ってもいい、かな……?」
「ええ!もちろん!」
息子のお願いに、雫は笑顔で頷く。
息子に頼られたことが、なによりも嬉しかったのだ。
……海の次の言葉を聞くまでは。
「あのさ……俺……母さんの手料理が食べたいんだけど……」
海がこの家に来て、早一ヶ月。その間、雫が料理を作っているところを、海は見たことがなかった。
せいぜいトーストを焼いたり、出来合いの料理を盛りつけたり。コーヒーを入れたりしていたくらいだ。
海のこれまでの境遇を考えれば容易に想像出来ることだが、彼はこれまで、誰かの手料理なんて食べたことがない。
だから憧れたのだ。親の、母の作る料理に。
そんな思いから出た願望。
それに対し輝は「え゛」と声をあげ、持っていた食パンが手を滑りテーブルへと落ち。
一方の雫は……笑顔で固まっていて。
訪れた不穏な空気を敏感に感じ取り、海は俯く。
……この時、海は勘違いをしていた。不穏な空気は海の申し出が嫌だったからでは、決してないのだ。
だが、人の悪意には敏感で好意には鈍い海はそのことに気づけない。
……それが、『悲劇』の始まりだった。
「やっぱり……嫌……かな……?」
息子の悲しげな声と表情に、雫は慌てて首を横に振る。
「そんなことないわ!わかりました!じゃあ、昼ご飯は私が作ります!」
「ちょっ……!?まっ……」
「そうと決まれば善は急げ、よ!私、今から買い物に行ってきます。輝さん。申し訳ありませんが、朝食の片付けをお願いします」
「し、雫……っ!?」
輝の制止も聞かず、雫はそう言って嵐のように家を飛び出した。
それを海は呆然と見送っていた。
なにが起きたのか、理解出来なかったのだ。
雫を止めようと、椅子から腰を浮かし手を伸ばしていた輝が『絶望』の表情で再び椅子に座ったのを見て、海はおそるおそる彼に声をかける。
「お、親父……?」
輝は、顔を天に向け。目を右手で覆いながら応える。
「海……。君は、知らなかったとはいえ核弾頭のスイッチを押してしまった……」
核弾頭、という単語の意味を海は知らなかったが、それがなんだかやばそうなものだということは、輝の態度から理解出来た。
海は息をのむ。
「僕は今から、海でも飲めるような胃薬、下痢止め薬、頭痛薬、吐き気止め薬を用意する。けど、最後に物を言うのは精神力だ。……自分を強く持てよ、海……」
海が、今更ながら、自分の行動を後悔したのは、言うまでもない。
――そこは戦場だった。
むろん、銃声やら人の死体などで埋もれているわけではもちろんない。
場所は近藤家のキッチン。
そこで動いているのは、近藤雫ただ一人。
だが、キッチンの入口から中を覗いている海には、そこが戦場(むろん実際の戦場など見たこともないのだが)に見えてしかたなかった。
なぜかはわからないが、『あちこち』からあがっている煙。
どこからかはわからないが、ゴミを漁った経験のある海ですら鼻を摘みたくなる悪臭が漂い。
フライパンを振るえば火があがり、鍋を火にかければ必ず吹きこぼし。
「痛っ……」
そうして雫の指には無数の切り傷が出来ていた。
……現在進行形で、今も、なお。
「し、雫……。やっぱり諦めた方が……」
雫の手当をしながら、輝は優しく、しかし窺うように声をかける。
そんな彼の顔は、いろいろな意味で真っ青だった。
「なにを言ってるんですか!海が私の料理を食べたいって言ってくれたんです!なら選択肢は一つしかないじゃないですか!」
「いやしかし……人には向き不向きが……」
「そんなもの、息子への愛で乗り越えてみせます!」
そう言って、再び火を出し悲鳴をあげる雫を見て、輝は天を仰ぎ目を覆った。
(雫……。君の海への愛は認めるけど、愛だけじゃどうにも出来ないこともあるんだよ……)
嘆く輝は、ふと視線を感じ、キッチンの入口へと顔を向ける。
そこにいた心配そうな海を見て、輝は苦笑を浮かべて首を横に振る。
雫を止められない、という意味と、昼食は諦めるしかない、という意味の二つを込めて。
海はそんな輝を見て、悲鳴をあげながら料理(?)をしている雫を見て。
そして、出てくるであろう料理を想像して。
彼は決意した。ある、一つのことを。




