24
「海。今日のご飯はなにがいい?」
「……なんでも、いい」
「そう?好きなものを言っていいのよ?」
「……うん。ありが、とう……」
決して視線を合わせようとしない海の返事に、雫は顔をしかめる。
――遊園地に行ってから、海は変わった。
常に雫達の顔色を窺うようになり、自分の意見も言わなくなって、あの軽快な毒舌もなりを潜めてしまった。
海は、雫達に合わせるようになったのだ。
その変化を、雫は『いい』とは思っていなかった。
自分を殺し、相手に合わせる生き方。それは、決して幸せなんかじゃない。
こうなった理由はわかっている。
おそらく、海は恐れているのだ。
あの日、海は新しい世界を知った。
今までの辛く、暗い世界とは正反対の、暖かく柔らかい世界。
この世界を失うことを、海は恐れている。
極論でいえば、海がこうなったのは雫達のせいだ。
雫達が世界の異なる一面を見せなければ、海はこうはならなかっただろう。
しかし、彼女達は海に新しい世界を見せたことを後悔していない。
そうすることが海の成長に、幸せに繋がると信じているから。
だが――
(このままじゃいけないわね……)
自分達が見たかったのは、こんな海ではない。
こんな状況では、誰も、幸せになんかなれない。
海が自分で答えを出し、成長してくれるのが一番だが、今の海は怯え、自分の殻にこもってしまっている。
とてもじゃないが、自分で答えを出すのは無理だろう。
だったらどうしたらいいか。
雫はその答えを知っていた。
……だがそれは、もしかしたら海に新しい傷を負わせてしまうかもしれない選択。
失敗すれば、今度こそ海は、未来永劫誰も信じることをしないだろう。
だが――
(それでも私は、海の笑顔が見たい。心からの笑顔を!そしてなりたい。本当の親子に!)
雫は決意をした。
今日輝が帰ってきたら心の内を話し、そして、海の殻を壊す決意を。
不安げに俯いている海。
そんな彼を、雫は強い眼差しで見つめていた。
その日の夕飯は、寿司だった。
雫が輝に連絡し、仕事の帰りに買ってきてもらったのだ。
内容は、あの日のものと全く一緒。
老舗の寿司店で、一番値段の張るものだ。
以前は感動のあまり箸が止まらなかった海だが、今日は違った。一々雫達の反応を窺うようにして食べていく。
彼女達が「おいしい?」と聞けば頷き、「もっと食べれば?」と言われれば箸を伸ばす。
そうやって海は、雫達に合わせて食事をしていた。
怖かったから。
今、この二人に捨てられて、元の世界に戻ってしまうのが。
だから海は遊園地に行ってからこの一週間、彼らに合わせることだけに神経を費やしてきた。
捨てられないように。裏切られないように。
彼らが望む自分で居続けた。
……つもりだった。
「……海」
輝の呼びかけに、海はビクリと肩を震わせる。
彼のその声は、今まで聞いたことのない、真剣なものだったから。
なにかしただろうか?
機嫌を損ねてしまっただろうか?
そんな不安にかられながら、海はゆっくりと顔をあげる。
「……なに?」
目線は合わせない。
彼の、彼らの目を見るのが怖いから。
そんな海に、輝は言う。
「楽しいかい?」
「え……?」
一言。
たったその一言が、妙に、海の胸をざわつかせた。
「人の顔色を窺って、人に合わせて。そんな風に生きて、君は今、楽しいかい?」
「……」
彼らは自分のことをよく見てくれている。そんな彼らだから、自分の心中など、簡単に見抜いてしまう。
……それでも海は、認めるわけにはいかなかった。
笑顔を、ひどく歪な(本人は自然だと思っている)笑顔を浮かべ、海は言う。
「なに……言ってるの?僕は人に合わせてなんか……」
「海の一人称は『俺』じゃなかったかな?」
「――っ!?」
輝に指摘され、海は初めて気づいた。自分の呼び方が変わっていたことに。
それは無意識の行動。
輝達に少しでもいい印象を持ってもらおうと、無意識に考え実行していた、自分を、新しい世界を守るための行動。
ア然としている海。
輝は自らの席を立ち、海の側まで歩み寄り、その場に膝をついて彼の手を取る。
「海。僕達は君に、自由に生きてほしいんだよ」
「……」
輝に手を取られ、海はビクリと肩を震わせた。
そして自分の目と同じ高さにあった輝の瞳に、不覚にも目を止めてしまう。
「怖くなんかない。僕達は君を決して裏切らない。だから、人に合わせず、自分の好きに生きてほしいんだ」
――この一週間。海はそのことを自問自答してきた。
この二人は裏切らないだろうか?
本当に信じてもいいのだろうか?
そう、何度も自分に問い続けた。
……しかし答えは出ず。
信じたいけど、でも……。
いつもそこで考えが止まってしまう。
今だってそうだ。輝に言われて、頭の中で自問自答を繰り返す。
(信じたい。でも……。この二人は今までの大人とは違う。けど……!)
支離滅裂な思考は、海の混乱と精神的ストレスの表れだった。
二歳の時に両親に先立たれ、親戚中を、虐待を受けながらたらい回しにされ。
そうして自分の人生に絶望した海。
しかし。絶望し、自分の境遇を受け入れたからといって、ストレスが溜まらなかったわけではない。
そうやって溜まり続けたストレスが、希望と不安が入り混じり、不安定になった海の精神が――
「僕達は、もう家族なんだから」
――ついに、爆発した。




