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空に想いを…  作者:
First Story ~Yuki~
19/49

19



「海!約束通り、明日は遊園地に行こうじゃないか!」

「……」



 海が近藤家一員のとなり迎えた最初の金曜日の夜。


 その日輝は、帰宅するなり、いつぞやのようにテンション高くそう叫んだ。



 あの時と同じようにソファーに座りテレビを見させられていた海は、あの時とは違い驚かなかった。

 慣れてしまったのだ。

 ことあるごとに声をあげ、大袈裟な態度をとる輝の『奇行』に。



 一度だけ、輝に冷たい視線を送り、すぐにテレビへと視線を移す。

 流れている教育テレビに興味があったわけではない。

 無視するのが輝に対する一番いいあしらい方だと、海は学んだのだ。


 だが――



「酷いじゃないか海!きちんと僕の話を聞いておくれよ!」



 むろん、輝がそれで納得するわけがない。


 海の肩をつかんで前後に揺すり、自分のことを見させようとする輝。

 揺すられながら海はため息を一つこぼし、視線を隣に座っている雫へと移す。


 それを見た雫が、輝に冷たい笑顔を向ける。



「輝さん。手を離してくださいね」

「イエスサーッ!」



 魔王モードの雫の言葉に、輝は迅速な反応で海から離れ。

 そんな寸劇に微塵の関心も払わず、海はテレビを見続ける。


 この数日間で、海は輝の扱い方を完璧にマスターしていた。



 いつもなら雫に促され輝は着替えに行き、そのあと夕食が始まるはずだった。

 しかし、今日はそうではなく。



「でも、海。明日遊園地に行くのは本当よ」



 ストッパー役の雫が、輝の言葉を引き継ぐ。


 普段とは違うこの行動に、また、遊園地という名所名に海は眉を寄せて雫を見る。



「遊園地……?」



 雫はいつもの優しいアルカイックスマイルを浮かべ、頷く。



「あなたが私達と家族になった日、デパートで約束したのだけど、覚えていないかしら?」



 海は左上に視線を送る。それは海の考える時の癖だった。



「……」



 海はあの日のことを思い出そうとするが、よく思い出せなかった。


 今でこそこの生活に慣れつつあるが、あの時は今までと全く違う二人の大人に、警戒と戸惑いを抱き続けていたから。


 沈黙を続ける海に、雫は言う。



「覚えていないのならそれでもいいわ。ねえ海。明日一緒に遊園地に行きましょう」

「もちろん僕も一緒だよ!」



 二人の言葉に、笑顔に、海は顔を伏せる。


 海の中には二つの感情が渦巻いていた。


 行きたい。けど行きたくない。


 そんな二つの感情が。



 海は、遊園地というものを詳しくは知らなかった。

 けど、そこが人を笑顔にする楽しい場所だということは知っていた。


 とある休日開けの月曜日。

 昨日、家族で遊園地に行ったんだと、とても楽しかったと笑うクラスメート達の会話を耳にしたから。

 とある休日、自分を残し出かけ、嬉々とした表情で帰ってくる家の中の『他人』を見たから。



 羨ましかった。自分も行ってみたいと思った。


 ……けど、海は知っていた。そんな日が来ることはないと。


 楽しくて、人を笑顔にする憩いの場。

 家族や仲間で出かけ、声をあげて笑う楽園。


 そんな所に、孤独な自分が行けるわけがない。



 ――自分の外の世界。どんなに望んでも、決して自分は入ることが出来ない世界。


 ……そんな場所など、そんな世界など、消えてなくなればいい。

 海はいつしか、そのように考えるようになっていた。



 憧れて、けど、憎い世界。


 その世界に、行けると思っていなかった世界に、海は行くことを突然許された。

 一緒に行こうと言う人間が現れた。



 海は戸惑う。


 行きたい。

 ずっと夢見ていた場所だ。当然そう思う。


 しかし、長年自分の外の世界だと思っていたその場所に行くことに、海は恐怖を感じていた。



 本当に自分が行っても平気なのだろうか?

 自分を拒んだりしないだろうか?


 そんな妄想に近い疑惑を抱く海。


 そんな彼の心情を敏感に感じ取った雫は、体を前に倒し、海の顔を覗き込む。


 突然現れた雫の顔に、海は慌てて身を引いた。



「な……なんだよ!?」

「心配いらないわ。海」

「え……?」



 雫は聖母のような優しい笑顔で言う。



「遊園地は怖い場所じゃないわ。それに、あなたには私達がいる。私達はあなたから離れないわ。だから大丈夫よ」

「――っ!!」



 その言葉に、海は目を見開いた。


 それは、今考えていた事柄に対する一つの答えだったから。



 驚く海に、雫も輝も笑顔を向ける。

 それは濁りの一切ない澄んだ笑顔。


 それを見て海は泣きたくなった。



(いつも……いつも……!……なんで……こいつらは……!?)



 思い返せばいつもそうだった。


 海の内心を、彼らはいつも正確に読み取り、いつも海がほしい言葉をくれた。



(今までは誰もが俺に無関心だったのに……。誰も俺のことを見ようともしなかったのに……。それなのに……。それなのにこいつらは……!)



 裏切られ続けた海にとって、優しさは毒だ。


 信じれば裏切られ、無視すれば生意気と叩かれる。


 だから海は誰も信じなくなった。人から距離を取るようになった。


 ……そうすれば、必要以上に傷つくことはないから。



(信じたら裏切られる。もう、何度も繰り返しただろ!?これは罠なんだよ!今だけなんだよ!……けど……けど……!)



 海は窺うように輝と雫を見る。


 再び目に入る、穢れ(けがれ)のない、嘘偽りが一切見られない、優しい微笑み。



「……」



 目からこぼれそうになる雫。それを海は歯を食いしばり堪えた。


 弱みを、見せたくなかったから。



 海の頭の中は混乱に満ちていた。

 わけがわからなくなっていた。


 彼らを信じていいのかわからない。信じたいのかもわからない。

 今自分がどうしたらいいのかもわからない。


 どうしたいのかも、わからない。



 彼の小さな頭の中は今、多くの感情が飛び交っていてパンク寸前だった。

 それはまるで、パンパンに空気が詰まり破裂寸前の風船のようで。


 あと少し空気を入れれば、あるいは衝撃が加われば、あっさり破裂する。


 今の海は、それほど危うい状態だった。



 無意識に強く握り締めた手。それを雫が、優しく解きほぐす。

 そのまま彼女は、海の手を優しく包み込むように握る。

 そして――



「えい」



 雫はおもむろに、海の鼻をつまんだ。


 突然の行動に目をパチクリとさせる海。そんな海を見て、雫の笑みは深まる。



「――っ」



 雫の笑顔を見て、自分の現状を理解して。海は頬を赤く染め、慌てて雫の両手を払う。 そうして、いつもの自分に『戻らされた』海は、混乱の原因となっていた問題の答えを強引に出し、雫を睨みながら言う。



「……大丈夫?なにが? 離れない?どうやってそれを保障する? お前の言っていることは、何一つとして根拠がない絵空事だ。 信用なんか出来ない」



 海が出した答えは――信じない、だった。


 自分の気持ちがわからないから。どうしたいのかわからないから。

 だから出したいつも通りの答え。



 ……そうすることでしか、海は自分を保つことが出来なかったのだ。



 どんな反応が返ってきても、他の大人がしてきたように、生意気だ、と手をあげられてもいいように心構えをしながら雫を睨んでいた海だったが――



「そうね。確かにそうだわ」

「……は?」



 ――両手を胸の前で合わせ、優しい微笑みを浮かべながらそう言った雫に、海は間の抜けた声をあげる。


 かけられた言葉を理解することが出来なかった。

 それは海が想像していた反応とは、全く違うものだったから。


 固まる海に、雫は言葉を続ける。



「言葉だけで信用してほしい、なんて都合が良すぎるわね。 じゃあ、海。明日私達と一緒に過ごして、それで判断してみて。私の言葉の真偽を」

「……」



 微笑みながらそう告げる雫を、海は未知のものを見るような眼差しで見つめていた。


 わかっていたつもりだった。彼女が、彼女らが今まで見てきた大人達とは違うことを。


 今まで海が見てきた大人達は、ここまで生意気な態度を取り続けていれば大抵手をあげた。 手をあげない大人も中にはいたが、その代わりに海と関わることをやめ、いないものとして扱った。


 だが、彼女らは違う。


 どんな態度を取ろうとも、どんな言葉をぶつけようとも。 彼女らは自分を『いらないもの』として扱うでもなく、『いないもの』として無視するでもなく。一人の『人』として接する。


 今までも。そして今も。



「……あんたは、俺になにを求めてる?俺をどうしたいんだ?」



 それは、心からの疑問。


 社会的な同情と尊敬を得るために自分のことを養子にした、ということが違うことくらい、海はもう理解している。

 今日までの彼女らの行動を思い返せば、それは明らかだったから。


 だが、だからこそ理解できない。

 なぜ自分に優しくするのか。なぜ自分と関わろうとするのか。なぜ、生意気なことばかりを言う自分に笑顔をくれるのか。

 それが、本当に海は理解出来なかった。



 胡乱な瞳で自分のことを見つめる海に、雫は笑顔で答える。



「私達はね、あなたの世界を広げてあげたいの。あなたの世界は狭すぎる。そして閉じてしまっている。 それはもったいないことだと、私は思うの。だって、世界は広いんですから」

「……世界が、広い?」

「ええ」



 半信半疑の海に、雫は笑顔で頷いてみせる。



「嫌な世界を見続けてきた人は、決まって世界を閉ざしてしまう。こんな世界には、もう希望はないって」

「……」



 雫の言葉は、『ただの』七歳児が理解するには難しすぎた。

 ――が、海は『ただの』七歳児ではない。


 実際に『それ』を経験した海は、雫の言葉の意味するところを、なんとなく理解した。

 雫は続ける。



「確かにね、世界には嫌なところも存在する。でもね、それだけじゃないの。そんな嫌なところは、世界の一面にしか過ぎないの」

「一面……?」



 海は眉を寄せる。今度は理解出来なかったから。


 雫は優しく笑う。そうして、海の頭を優しく撫で、言う。



「今はわからなくていいわ。いつか、あなたにもわかる日がくる。この世界も捨てたものじゃないって」

「……」



 こればかりだ。

 海はそう思った。


 いつも肝心なところは、いつかわかる日がくる、そう言ってごまかして。



(ずるい大人だ……)



 不満の視線を雫に向けるも、彼女はそれを笑顔で受け流す。

 それが、余計に海を苛立たせた。



 苛立ちを隠さず、そっぽを向き、口を尖らせる。



 ――彼は気づいているのだろうか?自分が、そんな『子供のような』行動をしていることに。



 自らの意識とは関係なく、少しずつ年相応の行動をするようになった海。


 そんな海の無意識の内心の変化を、雫も輝も、嬉しそうに迎えていた。



「さて」



 このまま愛息子のことをいつまでも見ていたかったのだが、勘のいい海のこと、すぐに彼らの視線に気づき不機嫌になるのが目に見えていたため、雫は両手を胸の前で合わせ、声をあげた。


 そんな彼女の行動に、海は彼女のことを警戒心をあらわにして見つめる。


 雫はそんな彼の瞳が見えていないように、普段通りの笑顔を浮かべていた。



「とりあえず、明日は遊園地に行きます。異論は認めません。いいかしら?」



(……異論を認めないんだったら聞くなよ……)



 海はそんな思いを抱きながら、小さく頷く。


 瞬時に咲く二輪の笑顔。


 それを横目に収め、海はすぐに視線を外す。



(遊園地……か)



 急に決まった明日の予定。


 夢にまで見た憧れの楽園。どんな場所なのか想像すら出来ない憩いの場。



 見知らぬ楽園に馳せる思い。

 無意識に緩む口元。



 ……海は自覚していない。時化しけの海のように荒れていた感情が、すっかり落ち着いていることに。






 少年の閉ざされた狭い世界。


 その世界を囲む壁に、今日、小さなひびが入った。


 このひびは、次第に大きく広がり、やがて海の壁を壊す日がくる。



 その時、海はその壁と一緒に壊れてしまうのか。


 それとも、新たな世界に踏み出すのか。


 それは、今は誰もわからない。



 けれど、間違いなく。彼らの時間は今、動き始めた。

更新が遅くなり、大変申し訳ありませんでしたm(__)m

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