表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空に想いを…  作者:
First Story ~Yuki~
12/49

12



 海の朝はとても早い。

 といっても、意識的に起きようとして目覚めているのではない。太陽が昇る時間には、勝手に目が覚めてしまうのだ。


 これは彼の自己防衛の術の一つ。


 「いつまでも寝ているな」と理不尽な暴力を受け続けた結果、彼が自分の身を守るために身につけた悲しい特技の一つだった。



 目を覚ましてすぐには、海はここがどこだかわからなかった。


 目に映る、白く、染み一つない綺麗な天井。

 体を包む、柔らかく温かい布団の感覚。


 今までの自分の世界にはなかったものに、海は混乱する。



(どこだ、ここは?)



 そんなことを思いながら、海がふと横を向くと。



「――っ!?」



 こちらを向き、寝息を立てている美しい女性が目に飛び込んできた。


 ふんわりとして艶のある肩までの茶髪。

 スッピンであるのにも関わらず、肌は綺麗で水々しく。

 閉じている目から伸びるまつ毛は長くて。



 とても優しそうな雰囲気を出している女性、近藤雫の姿を見て、海は全てを思い出した。



(そうだった……。俺はこいつらに引き取られたんだ……)



 前後関係を全て思い出した海は、そのまま首を反対へと向ける。


 案の定そこにいる、雫と同じように自分の方へと顔を向けて眠っている男性。


 清潔に整えられた、短くも長くもない癖のない黒髪。

 その下にある少年のような顔は、雫と同じように綺麗で。



 海が今まで引き取られ、見てきた人達の中でも、群を抜いてこの二人は綺麗だった。



「……ていうか、なんで俺はこいつらと一緒に寝てるんだ……?」



 昨日、このベッドに寝かされた記憶は海にはある。

 しかし、その後の記憶は一切なくて。



 だから海は、こうなった経緯がわからなかった。



(……ま、いいか。こいつらならやりそうだし)



 昨日の一連の出来事を思い出し、海はそう考えることにした。


 それより、と海は恒例の行事を始める。


 布団の中で体をゆっくりと動かし、異常がないかどうかを確認していく。

 様々な暴力を日常的に受け続けた海は、朝起きてすぐに自分の体の『点検』をすることが日課になっていた。



(暴力を受けた跡は……ないみたいだな。縛られたりもしていない、と)



 痛いところは一切なく、手足も縛られていない。

 海は布団から両手を出し、頭を触る。



(鏡を見たわけじゃないから断言は出来ないけど、多分髪も切られてない。服もきちんと着ている。……こいつら、本当になにもしなかったのか?)



 海の中で、それはあり得ないことだった。

 家にいれば必ずなんらかの暴力を受けた。


 それが当たり前であり、それが日常だった。



 ……しかし、今日は違った。


 なにもされた形跡はなく、それどころか一緒の布団で寝ていて。



(やっぱりこいつらは違う……。態度もそうだし、なにより目が違う)



 今まで海が接してきた大人達に比べて、この二人の目は輝きが違った。宿っているものが違った。



 それはそうだろう。

 邪魔者として見ている者と、大切な家族として見ている者。

 海を見る目に浮かぶ色が違って当然だ。



 子供は、感受性がとても高い。

 海はそれが特に高かった。だから違いが明確にわかるのだ。



 ――が。



(……それでもやっぱり信じられない。まだ初日。必ずどこかでぼろが出るはずだ)



 それがわかった今でもなお、海が出した答えは昨日と一緒だった。



 ここにいると、目覚めた輝達から暴力を受けるかもしれない。そう考えた海は、移動することにした。


 リビングにでも行こうかなと、上半身を静かに起こし、そのまま立ち上がろうとしたところで――



「どうしたの海?」

「――っ!?」



 ――かかった声に固まった。


 さっき海が顔を見た時、声の主――雫は確かに眠っていた。

 睡眠を妨害した覚えはないし、上半身を起こした時も彼女に触れた覚えはない。


 それなのに彼女はまるで計ったかのようなタイミングで海に声をかけてきて。



(寝たふりをしていた……?いや、そんなことをしてもなんのメリットもないし、第一、起きていたら俺は必ず気づく。……たまたま、か)



 そう自己完結(実際その通りなのだが)させた海は、雫の方へと視線を一度だけ向け、すぐに逸らし言う。



「……別になんでもない」



 先ほどと変わらない体勢の雫。

 違いは口元に浮かんだ微笑みと、開いている瞳。


 たったそれだけ。


 たったそれだけなのに、大きく変わった彼女の雰囲気。

 それに海は戸惑っていた。



(なんで……なんでこいつの目を見ると、こんなにも泣きたくなるんだ……?なんなんだ?この暖かい気持ちは?)



 寝ている時にも出ていた優しい雰囲気。それが彼女が目を覚ました瞬間からさらに強くなっていて。


 優しい雰囲気。優しい微笑み。優しい瞳。



 自分には決して向けられないものと諦めていた優しさ。

 それを彼女は昨日と変わらず向けてくれていて。



 その事実を再確認して、海は無性に泣きたくなった。


 そんな海の内心をきちんと理解した雫は偶然に感謝していた。



(目が覚めてよかった。危うく、またこの子を一人にしてしまうところだった)



 雫は海と同じように上半身を起こし言う。



「おトイレ?それなら一緒に行くわよ?」

「……違う」



 なるべく雫の目を、顔を見ないように顔を逸らしながら海は答える。


 居心地が悪くて仕方なかった。


 今まで自分にはなかったもの。諦めていたもの。

 それを、なんのメリットもないのに向けてくる雫。


 戸惑う。困る。

 どうしたらいいかわらない。この雰囲気に対する答えを、海は持っていないから。



「じゃあどうしたの?うちの起床時間は一応六時なんだけど」



 そう言い、雫は枕元にある目覚まし時計に目をやる。



「まだ五時。あと一時間もあるわよ。もう一度寝ましょ?」



 優しい微笑みを浮かべながら、優しく海の頭を撫でる雫。


 そんな彼女の言動に、海は迷う。



 素直に言ってもいいのだろうか?

 自分の思いを言っても、この人は怒らないだろうか?


 そんな考えが海の脳裏をよぎる。


 心に刻まれた傷がそう簡単に治らないのと一緒で、心に刻まれた恐怖も、そう簡単には癒えない。


 海は自分の意見を言ったら殴られるのではないかと、恐れていた。



 言葉に詰まる海。そんな海の頭を、雫は優しく撫でながら言う。



「眠れないの?」



 優しい声。優しい手。そして、優しい笑顔。


 それらを見て、海の心はまた、暖かくなる。無性に泣きたくなる。


 海はそんな自分の感情に戸惑いながら、それらがこぼれないように己の手を思い切り握り締める。

 よほど力が入っているのか、握り締めた拳は白くなっていた。



(……一回だけ。一回だけ言って、それで駄目だったら、その時は心を閉ざそう)



 思い通りにコントロール出来ない自分の感情。自分の心に生まれる、暖かい『なにか』。


 理解出来ないもの。知らない感情。



 それらに包まれていると、ありもしない幻想を期待してしまいそうで。

 諦めた未来を望んでしまいそうで……。


 だから海は一つの決断をすることにした。


 決意を秘めた目を雫に向け、しかし躊躇いながら、海は口を開く。



「……俺……いつも起きるの、この時間だったから。だから……眠れない」



 海の心臓は高鳴っていた。


 昨日の海の言動は、今まで慣れ親しんだ歪んだ日常を作ろうとしてのものだ。

 いつものことだった。

 だからどんなことを言っても、緊張なんてしなかった。

 肩車された時や、一緒に風呂に入った時に鼓動は速くなったが、それ以外はいたって平然としていた。


 そんな海が、今とても緊張し、鼓動も速くなっている。


 理由は、期待してしまっているからだ。



 もしかしたら彼女なら、と。


 あり得ないと理解しながらも、もしかしたら、と。


 諦めながら夢見る希望。


 ないと理解しながらも望む未来。



 それを、もしかしたらこの人は、この人達なら与えてくれるのではないか、そう期待して。


 ……また、やっぱりこの大人達も、と絶望を恐れて。



 受け入れるか、殴られるか。

 どういう反応を示すのかと、海の心臓は高鳴っていた。



 海の視線を、言葉を受け、雫は驚き、そして理解した。


 怯えた彼の視線と、日の出とほぼ同時刻には目覚めるという事実。

 そこから導き出される答えは、一つだった。



(この子は寝る時間まで……)



 一日二十四時間。そのうち、海の心が休まる時間がどれほどあっただろうか?


 朝は暴力を受けないように誰よりも早く目を覚まし。

 食事も満足に与えられず。

 行きたくない学校に無理矢理通わされ、そこでも孤独を痛感し。

 家に帰ってもどこにも居場所などなく。

 一番遅くに風呂に入り、暴力に怯えながら眠りにつく。



 それが海の一日であり日常だ。


 悲しく歪んだ世界。


 雫は昨日から、海のその日常の一端を垣間見てきた。

 まだ全部を見たわけではないが、それでもわかる。


 海に心休まる時間など、一秒たりともなかったことを。



 雫は海に見えないように拳を握り締め、こぼれそうになる涙をなんとか抑える。



 海は同情されることなど望んでいない。それに同情するだけで終わりにしたくない。雫はそう思った。


 それに、海の体験したことを想像することしか出来ない自分がわかったような口を聞いても、海には届かない気がしたから。


 だから雫は同情しない。かわいそうだと思わない。


 その代わり、精一杯愛そうと心に決めた。



 不安そうに自分の顔を見上げる海に、雫は笑顔を向け、彼の頭を優しく撫でる。



「じゃあ私とお話していましょうか?」



 雫のその言葉に、海は目を見開く。



(本当に……受け入れてくれた……?)




 信じられなかった。


 もしかしたら、と希望を抱いてはいたが、半分以上は諦めていた。


 自分を受け入れてくれる人がいるわけない。「ふざけないで従え」と、いつものように強要されると海は思っていた。



 ……だから、海は素直に受け入れられない。信じられない。


 これも自分をより傷つけるための『手』だと、警戒心からくる『被害妄想』が自然と浮かぶ。



(……そうだ。まだ二日目だ。答えを出すにはまだ早い)



 結局、海の出した結論は先送りだった。


 理由は――怖いから。


 もしここで『受け入れてくれる』と結論を出し、自分をさらけ出して。

 そうやって信じて、もし、裏切られたら?



 心を閉ざした上で振るわれる暴力には耐えられる。いつものことだ。

 だけど、心を開いて暴力を受けたら?

 答えは火を見るより明らかだった。



 人を信じられなくなった海が、初めて信じようと思った人。

 その人に、彼らに裏切られた時、間違いなく海は傷つく。


 そうなったら、今度こそ海の心は完全に壊れるだろう。



 海はそれが、これ以上傷つくのが嫌だった。怖かった。


 そのことを本人は意識していない。

 今まで裏切られ続けた心が無意識に張った、防衛本能だから。



 海は、今回は雫の提案に乗ることにした。

 ここで抵抗しても無意味だし、話すことで内心を探ろうとしたのだ。


 海は雫の顔を見ないようにして「うん……」と頷く。



「じゃあリビングに行きましょうか。ここで話していると輝さんが起きちゃうから」



 海の頭を撫でながらそう言った雫。

 それを聞いて、海はやっぱりな、と思った。やっぱり自分がいると邪魔なのだと。


 海のそんな内心を悟った雫が言う。



「違うわよ。海。あなたは邪魔なんかじゃないわ。今邪魔なのは、輝さん」

「……へ?」



 理解出来ない内容に、海は声をあげる。

 そんな海に、雫は片目をつぶって見せ、楽しそうに言った。



「輝さんに、私と海の二人きりの時間を邪魔されたくないの。だから移動するのよ」

「……」



 昨日に続き、二人の力関係を理解した瞬間だった。



 先にベッドから出た雫に、昨日買ってもらった青色の柔らかいスリッパを履かせてもらい、手を繋いでリビングに向かう。


 暖かく柔らかい雫の手。

 優しく柔らかい笑顔。


 それに触れていると、向けられていると、海はやはり泣きたくなった。

 だから海はなるべく雫の方を見ないようにしながら歩いた。



「あ、そうだわ。海」



 そんな海に、声がかかった。


 本当なら雫の顔を見たくはなかったのだが、足を止め、彼が顔をあげるまで口を開こうとしない雫に、海は渋々顔を上へあげた。


 なるべく彼女の目を見ないようにしながら、海は言う。



「……なに?」

「おはよう。海」

「――っ」



 当然のように言われた朝の挨拶。

 今まで一度もかけられたことがないそれに驚き、海は今度こそ雫の目を見た。


 自分の目を見つめる優しい瞳。優しい微笑み。


 見とれてしまう、美しい笑顔。



 ――昨日。

 海が家に入る時雫の顔から目が放せなくなったように、今もまた、彼女から目が放せなかった。



 固まる海の鼻を、雫は昨日と同じようにつまむ。



「海。お返事は?」



 どこまでも優しい笑顔。


 それをずっと見ていたくて。見ていたくなくて。


 海は雫の鼻をつまむ手を払い、視線を彼女から逸らしながら、小さい声で言った。



「……お、おはよう」



 それはまるで蚊の鳴くような声だった。

 しかし、確かに雫には届いた。


 雫は嬉しそうに笑い、もう一度「おはよう」と言い、再び海の手を引きリビングへと向かい歩き出す。



 海の胸には、再び、あの『暖かい』なにかが宿っていた。



 リビングに着き、昨日と同じ席に海を抱き上げ座らせ、雫はキッチンへと向かう。


 冷蔵庫から牛乳を取り出し、鍋に入れ温める雫。

 彼女のそんな後ろ姿を横目で見て、海はまた、泣きたくなった。



(……なんなんだよ、いったい……)



 なんでこんな気持ちになるのか、泣きたくなるのかわからなくて、海は机に肘をつき頭を抱える。



(俺はどうしたいんだ?どうされたいんだ?)



 考えても出ない答えに苛立ちと苦しみだけが募っていく。



「はい。海。どうぞ」



 そうやって苦しんでいる海に、雫が温めた牛乳を差し出す。


 かけられた声にはっとし、海は顔をあげる。

 そこにあった水色のマグカップと雫の優しい笑顔。



 それを見てやっぱり泣きたくなった海は、それ以上彼女の顔を見ないように、考えないようにした。


 小さい声で「ありがとう」と雫に告げ、海はマグカップを受け取る。


 湯気の出ている牛乳が入った、温かいマグカップ。

 それを両手で包むように握り、海はそれを一口口に入れた。


 温かい牛乳が体を温める。心を温める。


 今まで感じていた苛立ちと苦しみがスッと溶けていくような感覚を初めて感じ、海は戸惑った。


 ただの温めた牛乳が、こんなにも落ち着ける飲み物だと思いもしなかったのだ。



「美味しい?」



 海の隣に座り、海に笑顔を向ける雫。

 そんな彼女に、海は無言で頷いた。



 ――一時間後、リビングで話す二人を見て、輝が嫉妬したのは、また別のお話し。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ