結婚したくないので、悪女のフリをします
「結婚したら婚家に尽くしなさい」
「女が男に口答えするもんじゃない」
「攻撃魔法は女が使う魔法じゃない」
ファルネーゼ伯爵令嬢・ベアトリーチェは、いつもの父の口癖を思い出して嘆息した。ベアトリーチェの長い睫毛が物憂げにその翡翠色の瞳を覆い、春風にプラチナブロンドの髪が舞う。
フェニーチェ魔法学院の裏庭のガゼボは彼女のお気に入りの場所だ。学院で何か嫌なことがあるとベアトリーチェはここを訪れ、季節の花々を愛で、心を落ち着けた。
「――ベアトリーチェ、どうした?」
通りがかった黒髪の青年が、彼女に声をかけた。真紅の瞳が心配そうに彼女を覗く。彼の名はエドアルド。ベアトリーチェの『宿敵』だ。ベアトリーチェとは事あるごとに学院の成績、魔術大会の順位を競い合ってきた。
「どうもこうも、あなたには関係ない話よ……。お父さまからの手紙に今度の長期休みに私のお見合いをするって書いてあったの」
「えっ、お見合い?!」
エドアルドは少し慌てた様子で答えた。
「お相手は隣領のエステ子爵閣下ですって。年が少し上だけど、当家とは昔から交友があるから、親同士で勝手に決めたみたい」
「――断れないのか?」
「貴族の政略結婚よ。私の意思でどうこうなるものじゃないわ」
「そうか……。俺はてっきり、ベアトリーチェは魔法高等学院に進むのかと思っていたよ。君が子爵夫人に収まるなんて。それこそ、国家的な損失だ」
「うふふ、大袈裟ね。でも初めてあなたに褒められてうれしいわ」
「いや、大袈裟じゃない。俺は本気だ」
それから二人の間にしばしの重い沈黙が流れた。
「――いっそ『恋のカンピオーネ』の主人公みたいに『悪女』だと断罪されて婚約破棄されたいわ」
「かんぴおーね? あくじょ? なんじゃそりゃ」
『恋のカンピオーネ』は令嬢たちの間で流行っている恋愛小説だ。
「エドアルド、知らないの? ベストセラー小説よ!」
「平民育ちの俺に貴族のお嬢様の間で流行っている小説の話をされても……」
エドアルドはバルベリーニ公爵家の庶子で、平民として育った。十三の時その魔法の才を買われて、正式に公爵家に引き取られたらしい。
「主人公のヴィットーリアは婚約者から、『夜遊びをしている』『金遣いが荒い』『他の令嬢をいじめている』と身に覚えのない難癖をつけられて、婚約破棄されてしまうの」
「身に覚えのない難癖ねぇ」
「でも実は、婚約者は浮気相手と結婚したいから、ヴィットーリアをはめたの。だけどヴィットーリアは諦めなかったわ。幼馴染の騎士と一緒に証拠を集めて、元婚約者と浮気相手を鉱山送りにしたわ」
「ひっ、鉱山送り! 恋愛小説って思っていたより物騒なんだな」
「あら、そうかしら? 私はとってもすっきりしたわ」
エドアルドが顎を触りながら、視線を外した。彼は何か考え事をする時に顎をさする。
「ベアトリーチェ、その『悪女』作戦、案外いいかもしれないぞ」
「どういうことかしら?!」
「俺様に任せておけって」
エドアルドが閃いた『悪女作戦』はこうだ。
貴族は体裁を気にする。悪女と噂される令嬢を嫁に迎えたい家はまずない。ベアトリーチェの貴族令嬢としての評判が落ちれば、見合い話が自然に立ち消えになる。その隙に魔法高等学院に通い、国家魔術師の資格を取って、魔術師として一人立ちするというものだ。
「幸い魔術師は変わり者ばかりの実力社会だ。『悪女』でも何の問題もない」
「それ、だいぶ色々なものを犠牲にしている気がするのだけど」
「じゃあ、お前は何を守りたいんだ? 貴族としての地位か? それとも令嬢としての名誉か?」
ベアトリーチェは黙った。今自分が一番守りたいもの。どう考えてもそれは『魔法』だった。
「伯爵領ではお父さまの言うことが絶対で、私は全て従わなければいけなかった。でも家庭教師の先生が、私には魔法の才能がある、絶対に王都で勉強させるべきだって、お父さまを説得してくださったの。この学院に入って知ったわ。魔法は何もかも自由で、そして独創的で――。私は『魔法』を諦めたくない!」
「それでこそ、ベアトリーチェだ」
手始めにベアトリーチェはエドアルドと恋人のフリをすることにした。エドアルド曰く、未婚の貴族令嬢が婚約者でもない男性を侍らせているのはとんでもない『悪女』らしい。
「ちょっと、エドアルド! 恋人の『フリ』でいいのよ。腰に手を回すのは距離が近すぎるんじゃないかしら?」
「『悪女』は人前でキスとかするんじゃないのか?」
「キ、キスですって!? なんて破廉恥な!」
「そうか? 俺はいつでも協力してやるぞ」
エドアルドがからかうようにグッと顔を近づけると、ベアトリーチェは頬を真っ赤にした。
「ほらほら、『悪女』がこのくらいで動揺してどうするんだ」
「うるさいわね!」
だがベアトリーチェの思惑に反して、学院内での評判は、好意的なものだった。
「まあ! ベアトリーチェ先輩とエドアルド先輩だわ」
「とうとうお付き合いを始めたのね。素敵だわ」
「私、以前からお似合いだと思っていたの」
「喧嘩するほど仲がいいって言うわよね」
ベアトリーチェは愕然とした。その隣で、エドアルドはクスクスと楽しそうに笑っている。
「素敵だってさ」
「どうしてよ! 私こんなに身体を張って頑張っているのに!」
「ははは、そうだね。でもまだちょっとインパクトが足りないみたいだ。次の作戦に行こう」
エドアルドがまた顎をさすった。
「次の作戦?」
「そう名付けて、悪女『おねだり』作戦! 俺が高価な魔石を片っ端から買ってやる」
「どこにそんなお金があるのよ」
「ふふふ、俺もこう見えて公爵家の人間だからな。そのくらいの小遣いはあるさ。悪女ってのは男に貢がせるものだろう?」
エドアルドは貴族らしからぬ軽口を利いているが、庶子とはいえ、れっきとしたバルベリーニ公爵家の子息だ。杖に鞄、そして靴、よく見ると華美ではないが質のいいものばかりだ。それなりの額の小遣いをもらっているのは確かだろう。
「……そうね! おねだり作戦。今度こそうまくいきそう」
「じゃあ、決まり。今週末、王都の魔道具屋に行くぞ」
「私『おねだり』しまくるから、覚悟しておきなさいよ」
「いいねえ、その表情。悪女らしい」
ベアトリーチェは至って真面目に言っているのだが、エドアルドはどこか楽しそうだった。
次の週末、二人は約束通り王都の街に繰り出した。今日のベアトリーチェは麦わら帽子に、ポルカドットのワンピース。いわゆる貴族のお忍びスタイルだ。
「……そういう服も着るんだな」
エドアルドは一瞬だけ固まって、照れ臭そうに言った。
「街で制服やドレスじゃ目立つでしょう。魔道具屋はジュエリーショップとも少し違うし」
「かわいい、いや悪女らしくないなと思って」
「ええ! じゃあフリルがたくさんついたドレスにすればよかったかしら?」
「いや、悪女は見た目じゃない。ほら『恋のカンピオーネ』の浮気相手も、見た目は可憐な美少女だったって言っていただろう?」
「確かにそうね。外見は可憐な方が悪役っぽいわ。今日はたくさん『おねだり』するわよ」
「はいはい」
二人は『ピエトラ』と書かれた小ぎれいな魔道具屋に入った。最近できたばかりの魔道具屋で、賑わいを見せていた。ショーウィンドウには色とりどりの魔石が並ぶ。魔石は魔鉱山で取れる天然石だ。純度の高いものほど、込められた魔力が洗練されており高級だと言われている。
「随分たくさんあるのね」
「お嬢さん、魔石をお探しかな?」
店主が若い平民のカップルだと思って気安く話しかけてきた。
「ええ、魔石を見せてもらえるかしら?」
「どの魔石を?」
「全部よ、全部」
店内の視線がベアトリーチェに向いた。ベアトリーチェが誇らしげに胸を張り、エドアルドがくすりと笑った。
「ぜ、全部ですか? 分かりました。どうぞ、奥の部屋に」
ベアトリーチェたちは、少し慌てた様子の店主に店奥の個室に案内された。
「……我々の店に今置いている魔石はこちらで全てになります。中でもこちらの品は最高級品ですね」
ベアトリーチェは、店主から最高級と説明された石の中から、翡翠色の魔石を一つうれしそうに手に取った。
「この石、私の瞳と同じ緑色だわ」
「お目が高いですね。そちらは隣国産のとても純度が高い魔石になります」
「あれ……?」
「ベアトリーチェ、どうした?」
「エドアルド、あなたこの魔石どう思う?」
魔石の真贋は、ある程度魔術に精通した者にしか分からない。ベアトリーチェはエドアルドの意見も聞いてみたいと思った。
「どうって……」
緑の魔石に触れた途端、エドアルドの目つきが変わった。そして他に出された魔石も、何かを確認するように一つ一つ丁寧に見ていった。
「店主、初めの魔石が気に入った。加工はこちらでするからそのままでいい」
エドアルドは値段も聞かずに、購入すると言った。ベアトリーチェが目を丸くすると、エドアルドがウィンクをした。
「お買い上げありがとうございます。お嬢様の瞳の色によく似ていますものね。金貨3枚になります」
エドアルドが、財布から金貨を取り出した。
「領収書と鑑定書もつけてくれ」
「はい、もちろんでございます。ただ今、お包みしますね」
店主は丁寧に石を包み、にこやかに二人を見送った。
「エドアルド、その石なんだけど」
「……偽物だって言いたいんだろう? おそらくクズ魔石を薬品につけて、見た目だけよくしたものだ」
「分かっていて、何で買ったのよ!」
「あの場で指摘しても、店を摘発できないだろう。魔石と鑑定書、領収書は俺が預かる。公爵家を通して、証拠を憲兵に提出する」
「確かに、それはそうだけど」
エドアルドは、無意識に顎に手を置いた。
「ベアトリーチェへのプレゼントを買ってやれなかったから、代わりに俺が平民の頃から世話になっている魔道具屋に行こう。庶民的な店だけど、たまに掘り出しものがあるんだ」
エドアルドに案内された店は、ベアトリーチェが一人では絶対に行かない下町の奥の奥にあった。怪しげな半地下を降りると、店主の老婆が出迎えてくれた。
「久しぶりじゃな、エド。今はエドアルド公子か」
「エンマばあちゃん、あんまりからかわないでくれよ」
「隣の子は、恋人かい? エドもそんな年になったんじゃな」
エンマと呼ばれた老婆は、よく知った風に感慨深そうに言った。
「何でもいいだろう。とにかく魔石を見せてくれ」
「ふふふ。そう焦るな。プレゼントかい? ちょうどいいもんがあるぞ」
「ちょうどいいもの?」
エンマが、奥の方のホコリを被った棚から古びた箱を取り出した。
「台座は変えた方がいいかもしれないが、いい品じゃ」
真ん中に真紅の魔石がはめられたネックレスだった。
「大きいのにきれい」
「つけてみるかい?」
「ええ」
いい魔石は身に着けた者の魔力を高めてくれる。魔石の魔力がベアトリーチェの魔力と調和し、より大きな力になっていくのが分かった。
「すごい! こんな魔石、初めてだわ」
ベアトリーチェは、うっとりと魔石を見つめた。エドアルドが魔石と同じ真っ赤な瞳でこちらを見ている。
「その魔石は大きすぎて扱える者が限られておるのじゃ。やっと持ち主に巡り合えたようじゃな」
「エンマばあちゃん、もしかして……」
「ははは、『プレゼント』にはぴったりじゃろ?」
「いくらだ?」
「――金貨10枚」
「あいよ」
何のためらいもなく、エドアルドは金貨を支払った。庶民なら一年は生活できるお金だ。
「さすが公子、金払いがいい」
「エドアルド、いい品だけど、高すぎるわ! 別の魔石でいいわ」
「悪女『おねだり』作戦なのに、肝心の悪女が遠慮したらおかしいだろう?」
「そうだけど……」
「ほら、公爵家の令息から金貨10枚を貢がせたなんて、すごい『悪女』じゃないか?」
「……『悪女』!」
「この魔石は、公爵家の出入りの業者に加工させてから、学院で渡す」
「あ、ありがとう」
「初々しいのう」
エンマはまるで本当の祖母のように温かく、エドアルドたちを見送った。
***
季節は巡り、初夏の陽光がまぶしくなっていた。裏庭のガゼボで、ベアトリーチェは再び嘆息した。
「エドアルド、作戦が全くうまくいっていないわ」
「そうか」
結果だけを言えば、悪女『おねだり』作戦も、あまりうまくはいかなかった。
偽物の魔石を売った『ピエトラ』は、バルベリーニ公爵家からの通報で摘発された。他にも違法な魔道具を取り扱っていることが分かり、店主は逮捕され、店も廃業に追い込まれた。ベアトリーチェたちはお手柄カップルとして新聞の紙面に載った。
エンマの店で買った魔石は、髪飾りに加工された。真っ赤な魔石はベアトリーチェのプラチナブロンドによく映えた。
「お友達に『これ金貨10枚もしたのよ』って自慢したのに、誰も『悪女』って呼んでくれないの」
学生たちは、一途だ、熱烈だと言って、今まで以上に二人を持て囃した。
「あはは、そうだね」
エドアルドがいつものようにいたずらっぽく笑う。その茶目っ気のある笑みにベアトリーチェの心臓がどくりと高鳴った。鼓動を抑え込むように、一拍置いてベアトリーチェは続けた。
「――あとお父さまから手紙が届いたわ」
「手紙?」
新聞を見たのだろう。エステ家との縁談に響くから、特定の令息と仲良くするのは好ましくない、贅沢者に見えるから派手な髪飾りをつけるな、休みに入ったらすぐに帰省するようにとあった。
「なるほど。悪女作戦がうまくいっているんじゃないか?」
「でも、肝心のお見合いが中止になっていないのよ!」
手紙には見合いの日取りが記され、先方の絵姿も同封されていた。
「……おじさんだな」
「先代子爵が流行病に倒れて、婚期が遅れたそうよ」
「本当にそれだけかな……?」
「何よそれ」
「『恋のカプリチョーザ』だっけ? あの話みたいに恋敵がいたら大変だなと思って」
「違う。『恋のカンピオーネ』」
「ああ、それそれ。カンピオーネ!」
「先代が亡くなる前に会ったことがあるけど、そんな方ではないと思うわ。たぶん」
「ふーん、そう」
それから一週間後、エドアルドは黒い封筒を片手にベアトリーチェの元に現れた。
「聞いて驚け。次は悪女『夜遊び』大作戦! 仮面舞踏会の招待状をもらってきたんだ」
「よ、夜遊びですって!? 私、嫁入り前なのよ!」
「何言っているんだ? ベアトリーチェは嫁に行きたくないんだろう?」
「そうよ!」
「なら、ぴったりじゃないか?」
「た、確かに……!」
「ドレスは俺が用意するから安心しろ」
後日、贈られてきたドレスと仮面は深紅の上等な品だった。さすがのベアトリーチェも、エドアルドの『思惑』を察した。
「エドアルド、あなたの瞳の色を全身に纏うというのは……」
「ん、何のこと? 『悪女』といえば、やっぱり赤だろう」
「赤いドレスは気が強そうに見えるわね。でも、そうじゃなくて……」
「俺が君に着てほしいんだ。ダメか? 俺は君を小さな子爵領に閉じ込めておくなんてもったいないことはしないよ」
「えっ」
エドアルドはベアトリーチェの手を掴んだ。そして、まっすぐに彼女の瞳を見つめた。
「ベアトリーチェ、ずっと好きだった。君の気を引こうと思って勉強だって必死に頑張ったんだ」
「さっきまで冗談を言っていた人に、急に告白されても、理解が追い付かないわよ!」
「でもベアトリーチェだって、あんなおじさんより、俺の方がいいだろう」
「もちろん、そうだけど」
「エステ子爵とのお見合いの件は、俺様が退けてみせるから安心しろ」
エドアルドがニヤリと笑った。
いつ頃からだろうか。エドアルドの赤い瞳がいたずらっぽく弧を描くたびに、ベアトリーチェもその胸の高鳴りを感じていた。消去法ではない。エドアルドがいいのだ。まっすぐな彼の眼差しを見つめベアトリーチェは悟った。
「俺は公爵家の庶子だ。もちろん引き継ぐ領地も爵位もない。少なくとも国家魔術師の資格を取るまでは、君に結婚は申し込めない」
「私だって、勉強したいことがたくさんあるわ。そもそもお見合いがしたくなくて、私こんなに頑張っているのよ」
「ははは、ベアトリーチェらしいな」
エドアルドの両腕がベアトリーチェを優しく包み込んだ。
***
仮面舞踏会へは学院の寮から馬車で向かった。顔の上半分を隠す仮面をつけるといつもより自由な気持ちになった。
「仮面舞踏会なんて初めて! そもそも夜会は親と一緒に行ったきりだから、緊張するわね。あれ? エドアルド、その石……」
「ああ、これか」
エドアルドは右耳につけたピアスに触れた。翡翠色の石が揺れた。
「証拠品として憲兵に提出したんだが、調査が終わって返してもらったんだ。魔石としては価値がないけど、宝石として加工した。――君の瞳の色と同じだから」
少し照れ臭そうにエドアルドは言った。
「そういえば、聞いていなかったけど、どうしてファルネーゼ伯爵はエステ子爵家と姻戚関係を結びたがっているんだ? 年も離れているだろう? 何かあるのか?」
「共同事業じゃないかしら? 領境にまたがる魔鉱山があるんだけど、採掘はエステ領側からでないと難しいらしくて」
「……魔鉱山か」
「だけど不思議よね。あの鉱脈は、既に先代のエステ子爵が調べ尽くして、いい魔石が取れないから採掘をやめたはずなの。でも代が変わって、急に質のいい魔石がごろごろ出るようになったんですって」
――ガタン
馬車が王都外れの邸宅の前に停まる。
「着いたようだな。では、お手をどうぞ、我が君」
「あら素敵! あなたこういうのは苦手なのかと思った」
「君に振り向いてもらいたくて、必死になって覚えたんだ」
いつもエドアルドは余裕そうなのに、差し出した手がほんの少し震えていた。
仮面舞踏会は無礼講の大人の社交場。会話やダンスを楽しむ者。愛を囁き合う者。いかにも怪しい会話も聞こえてくる。まずは一曲、エドアルドと踊った。
「あなたちゃんとワルツが踊れたのね」
「必死になって覚えたんだ。だから何度も言わせるな!」
「えへへ」
続けてもう一曲。正式な夜会では二曲目は婚約者とだけ踊るものだなんて言われるけれど、ここは仮面舞踏会。誰もそんなこと気にしていない。
「ダンスが楽しいなんて久しぶりだわ。いつも親戚と踊るだけだったから」
「そりゃ、どうも」
憎まれ口をたたきながらも、エドアルドも楽しそうだった。その時、二人の視界を見覚えのある人物が横切った。
「おっと、ターゲットのお出ましか」
「ねえ、エドアルド。今のまさか」
紛れもない。この前、手紙に同封されていた絵姿にそっくりの『おじさん』が飲み物片手に部屋の隅に置かれたソファに腰掛けた。エステ子爵だ。
「彼は仮面舞踏会に現れては、いつも同じ婦人と親しげにしていると噂だ。ほら来た」
茶髪の婦人が慣れた様子でエステ子爵の隣に座った。女性には珍しく大きめの鞄を持っている。
「あの方が子爵の『浮気相手』ってことかしら?!」
「いやまだ、君と婚約していないから浮気ではないだろう。だが、親しげな彼女とは結婚せず君との縁談を進めている。何か事情があるんだろうな」
「ちょっと待って。あなた最初からこれを知っていて私をここに連れてきたの?」
「どうだろうね。ベアトリーチェと踊りたかったからかな?」
エドアルドがたまにからかうように軽口をたたく。彼なりの照れ隠しなのだろう。エステ子爵は、先程の婦人をスマートにエスコートして部屋を出た。
「あ、エステ子爵が部屋から出て行くわ。どこに行くのかしら」
「どこって、そりゃ……」
「見失っちゃうわ。私たちも行きましょう」
「おい、ベアトリーチェ!」
ためらいがちなエドアルドの手を引き、ベアトリーチェは二人の後を追った。
「これ以上ついていくのはよそう。――きっとこれから大人のお楽しみの時間だ」
「あ! 中庭に入っていくわよ」
「ベアトリーチェ、人の話を聞け」
その時だった。茶髪の女性がエステ子爵を呼び止めた。
「もう、こんなことやめにしましょう」
「マリア、急にどうしたんだ」
エステ子爵が少し動揺した様子でマリアと呼ばれた婦人を睨んだ。
「私は、私は……」
「『ピエトラ』の件を気にしているのか? あれは売人を通している。我々まで足がつかないはずだ」
ピエトラ? この前の魔道具屋がどうしたのだろう? ベアトリーチェたちは、固唾を飲んで二人のやりとりを監視した。
「ち、違う。そうじゃない」
「もうすぐファルネーゼ家と縁ができる。魔石があまり流通していない国に卸せば、その質に疑義が生じることはない」
ベアトリーチェの父・ファルネーゼ伯爵は商会経営をしている。その繋がりを使って、偽魔石を国外で売りさばくつもりなのか。ベアトリーチェは怒りがこみあげてきた。
「私は、質の悪い魔石でも庶民がファッションとして楽しめるようにと、この薬を作ったの。魔石についてよく知らない人に高く売りつけるために作ったんじゃない!」
「――マリア、私を裏切るというのか」
エステ子爵は懐から素早く杖を取り出した。
「デティネレ――拘束」
「何をするの!? あの薬は私にしか作れないよ」
「調合表なら既に君の研究室から拝借しているよ。君に頼んだ方が安いから依頼していただけだ」
「!!!」
「マリア、残念だよ。こういう形で終わりになるなんて。でも君は知り過ぎている。生かしてはおけない」
エステ子爵は杖を高らかに掲げた。まずい、何か大技を使うつもりだ。
この状況、並みの魔術師ならどうしようもないが、ベアトリーチェは、攻撃魔法の展開の速さとその正確性に定評があった。
「コキュートス――氷の地獄」
エステ子爵よりも早くベアトリーチェは魔術式を展開した。あっという間に中庭が氷漬けになった。
エステ子爵はとっさに防御態勢を取ったが、杖を落として氷漬けになった。ベアトリーチェたちは、エステ子爵を拘束し、マリアと呼ばれた婦人を救出した。
「この小娘が。何者だ! いつから見ていた?」
エステ子爵が叫んだ。
「私、攻撃魔法は得意なんです。それに仮面舞踏会で仮面の下を暴こうとするのは野暮ですよ」
「――前回の魔術大会よりも威力が増していないか?」
氷の世界の真ん中で、エドアルドの表情も氷のように固まっていた。
「あなたにもらった魔石でパワーアップしたみたい」
仮面舞踏会はお開きになり、エステ子爵とマリアは憲兵に捕らえられた。
***
『フェニーチェ魔法学院のお手柄カップル、勲章授与へ』
そんな文字が、ある日の朝刊の一面を飾った。結局、ベアトリーチェの悪女大作戦は『大失敗』だ。
エステ子爵は、殺人未遂および偽魔石販売の容疑で捜査を受けた。初めは傾いた子爵家の財政を立て直したかった。ただそれだけだった。だがそのうち偽魔石が生み出す富に目がくらんだ。彼が良心を犠牲にしても守りたかったエステ子爵家もその取り潰しを免れないだろう。
マリアは魔法薬の研究に長けた国家魔術師だった。けれどその研究が日の目を見ることはなく、いつもお金に困っていた。そんな時、エステ子爵の甘言にそそのかされた。偽魔石が高値で売られていることを知りながら、薬を卸していたという。今はそのことを恥じているそうだ。
裏庭のガゼボもすっかり夏だ。学院は明日から長期休みに入る。
「おい、ベアトリーチェ。この文すごいぞ」
エドアルドが新聞を指さしながら言う。
「何のことかしら?」
「『我が国は他国に比べ女性魔術師が依然として少ない。ベアトリーチェ・ファルネーゼ女史は、女性魔術師の新たなロールモデルとして、さらなる活躍が期待される』だって」
「ロールモデルなんて大袈裟じゃない? 私まだ学生よ」
王はベアトリーチェとエドアルドの活躍を大変悦び、国の宝だとほめたたえた。二人にそれぞれ金貨50枚を報奨金として与えた。
勲章授与の祝宴には両家の家族も招待された。王が上機嫌で、ベアトリーチェが魔法高等学院に進み、国家魔術師になる前提で話をするので、ベアトリーチェの父・ファルネーゼ伯爵は終始苦虫をかみつぶしたような表情を見せていた。けれど王を相手に何も言い返せなかった。最後は諦めたように、娘をよろしく頼むと、エドアルドとその父・バルベリーニ公爵に頭を下げて、自領に戻っていった。
初めて会ったバルベリーニ公爵は、良くも悪くも魔術至上主義だ。一瞬でベアトリーチェのことを気に入った。彼の口添えで、長期休みには王立魔術研究所の見学をさせてもらえることになった。自領に戻らない良い口実ができて、ベアトリーチェはほっと胸をなでおろした。
「目的は達成したんじゃないか? おじさん子爵とのお見合いはなくなったし、君は王のお墨付きを得て魔法高等学院に通える」
「あのお父さまも陛下には何も言えなかったわね。もしまた反対されても、報奨金で学費は足りるから勝手に進学するわ」
「ははは、確かに。そういえば、秋の魔術大会で今年もコキュートスを出すのか?」
「当たり前じゃない? 私の一番の大技よ」
「あの速さであの威力の技を展開されると、なかなか対抗するのが難しいんだよなぁ。まあ考えておく」
「ふふん。せいぜい悪あがきなさい。最後の年は私が勝ちますから!」
蝉の声が響く青空の下、ベアトリーチェは不敵に笑った。
季節が巡っても、二人は時に力を合わせ、時に競い合いながら、互いの背中を追い続けるのだろう。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
ケンカップルの掛け合いを書くのは楽しいですね笑
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