地獄か異世界か選べと言われたので
そこに呼ばれたのは、私を含めた3人の女たち。
真っ白な世界の真ん中で三つの椅子が均等に並べてあり、真正面には面接官のような人が座り、卓上の書類を見ながら、くい、と眼鏡をあげた。
「あなた方の歴史は読みました。まあ、あまり徳を積んだ人生ではありませんでしたね」
面接官の人が、表情のない瞳をこちらに向けた。白い髪、白い服、白い机に白い部屋。何もかもが白い中、面接官の金色の瞳が、何もかもを見抜いているようで、私はハッと息を飲んだ。
気がついたらこの部屋にいた。
最初はぼんやりと辺りを見渡していたけれど、徐々に記憶が戻ってきて、じわりと背中が冷えた。
「何よ、あんた。人の人生に何の権利があって文句つけてんの」
タイトなスーツ姿で、黒いエナメルのスティレットヒールを履き、足を組んだいかにもできる女を演出した女の人が、ちらりと面接官を見て、すぐに視線を自分の爪へ落とした。自分の欠けた爪先を見ながら「全く、仕事のできないネイルサロンなんて安くても行くもんじゃないわね」とか愚痴っている。
「プライバシー侵害で訴えてやる〜」
間伸びした甘ったるい声で言ったのは、自分と同じくらいの歳の高校生。足を投げ出しどっかりと椅子に腰掛けて、背もたれが軋んだ音を出した。奇麗で毛穴も見えない茹で卵みたいな白い肌なのに、まつエクで目の周りだけが異常に黒い。うっすら化粧をして可愛いのに、ちょっとやさぐれてるというか、不良っぽい茶髪で毛先が金髪の女の子。スマホ無くした〜とか文句を垂れてる。
そして私。よれよれのTシャツに汚れたジーパン。伸ばしっぱなしの髪は、全く艶がなく不揃いなまま。行儀よく椅子に腰掛けたものの、冷や汗で背中はびっしょりで、膝がガクガクと笑っている。
「あなた方3人は、前世の行いが全くよくありません。このままですと、地獄へ送られるわけですが…」
面接官の感情の伴わない物言いに、私は俯き、ぎゅっと手を握る。
理由はわかってる。私が自殺を選んだからだ。
そう、ここにいる3人は既に死んでいる。
ここは、天界と地獄の狭間にある空間。他の2人が何をしたのかは知らないけど、私、清水茅野は高層ビルから飛び降りて自殺を図った時、1人の男性を巻き込んで死亡した。
親殺し、子殺し、自死は三大禁忌とされる大罪だった。地獄へ堕ちても仕方がない。他人の命までも巻き込んでしまったのだから。
だけど面接官は、あり得ない言葉を吐いた。
「特殊ケースとして、あなたが3人には、地獄へ堕ちて罪を償うか、異世界に転生して罪を昇華させるか選択肢を与えることになりました」と。
「「「えっ!?」」」
「まず。ここに最大の罪と、あなた方が死んだ理由があります」
面接官はペラリと紙をめくった。
「1人目。南嶋花梨、享年32歳。あなたは会社の機密資材を盗み、敵対する会社にそれを売りつけ同期の田代誠にその罪をなすりつけた。田代誠は会社を首になり、一家離散。その後の生活苦で病にかかり命を落としています。その後、あなたの罪が暴かれ、関係した会社が検挙されましたが、あなたはそこの社員だった恋人、中野孝介に薬を盛られ過剰摂取により死亡。これは真実か否か」
「あ〜。やっぱりあいつ、私に薬盛ってたか。それで死んだとか、ないわ〜。真実か否かって、別れ話で逆上されて殺されたのは真実でしょうよ。あの男のせいでバレたんだから、私、犠牲者でしょうよ」
ギョッとして私は彼女を見た。
田代誠。私のお父さんだった人だ。私のお父さんは、無実の罪で警察に連れて行かれて、冤罪だってわかるまで二年も刑務所に入っていた。その間にお母さんは離婚をして、私を女手一つで育ててくれていたけれど、人生をダメにされたと嘆いたお母さんは、お酒に走って……。お父さんは月に一度会っていたけど、「もう会わない」って連絡を絶たれた。病気にかかって入院するからって言われて、病院を聞いたけど教えてくれなかった。まさか死んでいただなんて。お母さんは知っていたのだろうか。だからあんなにお酒を飲んでいたのか。
もう一度、南嶋花梨を見る。お父さんを陥れたことに、罪悪感を持っているようには見えない。殺されたことに恨みを持っているようにも見えないけど、犠牲者、といえばそうなのだろうか。
「次に、豊洲美香、享年19歳。私立学園にて、率先して渡辺夏美を虐めましたね。誰も使わない渡り廊下で彼女の制服を切り刻み裸にした上で、手足を縛り、雪の降る中放置した。その後、男子生徒を唆し、その女生徒はそのままの状態で暴行を受けました。そしてその三日後、清掃員によって渡辺夏美の遺体が確認されました。数ヶ月後、通学中の駅構内であなたは背中を押され、電車に撥ねられて死亡。真実か否か」
「あー、あれね。ちょっとやりすぎたとは思ったけどぉ。でもでも、犯したのはあたしじゃないしー。まさか三日もあそこにいるなんて思わなかったしさぁ。男子たちも犯したけど殺してないって言ってたしぃ。あ、もしかしてあたしの背中押したのってあいつらの関係者?」
ちょっとした余興のつもりだったんだけどー、と笑った少女を見て私は戦慄した。
その殺された女生徒が、お母さんの恋人だった男、渡辺さんの娘さんで、私とは姉妹になる予定だった人だ。あれ以来、彼は意気消沈して狂ったように犯人を探して追い詰めて。お母さんとはこれ以上付き合えないって別れたんだ。それが原因でお母さんは、私のせいだと言って暴力を振るうようになった。私を見ると、彼の娘さんを思い出すから、会えないって言われたって。お前さえいなければ、なんで私ばっかりって泣かれた。泣いて追いすがるお母さんを見るのは辛かった。だから、私は…。
この2人が間接的に私の家族と関わっていた。これは、偶然なんかじゃないよね。神様は、何を理由にここへ私たちを呼んだのか。お父さんを冤罪にかけた南嶋さん。お母さんの恋人の、渡辺さんの娘さんを執拗にいじめて命を奪った豊洲さん。お父さんを亡くして、恋人を失くして、自死を選んで、お母さんを1人残して不幸のどん底に落とした私。
お母さん、ごめんなさい。私がいなければ、お母さんは幸せになれると思ってた。
「清水茅野、享年16歳。南嶋花梨が冤罪にかけた田代誠を父に持ち、一家離散。母子家庭で育つが、娘を豊洲美香によって殺された渡辺博之を恋人に持った母による、家庭内暴力と不和によって家出。母の幸せを願いつつ、ビルの屋上から飛び降り自殺を図った。その際、地上にいた男性を巻き込み、死亡させた。真実か否か」
「……っ、はい。真実、です。ごめんなさい。他の人を巻き込むなんて、考えてなくて、」
そう、私はビルから飛び降りたものの、即死じゃなかった。落ちた先に人がいた。上を見上げて驚いた顔をした男の人。やばい、と思ったけど避けようもなく、その人が受け止めようと手を広げたのが見えた。きっと助けようとしてくれた。その一瞬がとても長く感じて。その人をクッションにして私はほんの数秒、生き延びた。その人の体が熟したトマトが潰れるようにぐしゃっと広がって、その衝撃のコンマ一秒ぐらいの後、私も死んだ。
あの男の人は、天国に行けただろうか。
「え〜、やっだ、だっさ〜。あんたのお母さん、惨めー。男運ないんじゃない〜」
お腹を抱えて豊洲美香が笑う。
「あの男、同期だったけど四角真面目で要領が悪かったんだよね。悪かったとは思うけどさぁ、鈍臭いっていうか、まあ、運が悪かったと思ってさぁ。どっちにしろもう死んでんでしょ?今頃生まれ変わってるんじゃない?」
眉をちょっとだけ下げて、ごめんね〜と南嶋花梨が鼻で笑った。
私は2人の顔をまじまじと見る。不思議と怒りは込み上げてこない。お父さんとお母さんのために怒ることも嘆く事もできない娘なんて、やっぱり私、ダメなんだな。でも、だけど。せめて、この2人が異世界で改心してくれますように。二度とこんなことがありませんように。
「……罪には、いろいろあります。心の中の比重によって、その罪の重さも変わります。あなた方は、まだ若かった。あのまま生きていたら、もっと罪を重ねていたかもしれないし、改心して罪を悔いながら生き続けたかもしれない。けれど、あなた方は運命に身を委ねた。天は慈悲深く、あなた方3人には選択肢が与えられました。選んでください。このまま地獄へ堕ちて罪を償うか、異世界へ転生して罪を昇華させるか」
「えっ異世界転生?やっだ、マジでそんなのあるんだ!すごい。そんなの絶対異世界一択でしょ!」
「異世界転生ねえ。チートとかつくの?だったら行ってもいいかな。乙女ゲーの世界?小説の世界?RPG系?それともシミュレーション系?」
先の2人は興奮気味で異世界を選んでいた。
小説でよくある話だ。辛い人生を送った主人公が、異世界では恵まれて第二の人生を歩むという話とか、物語のヒロインや聖女に生まれ変わるといった学園ものの恋愛中心の話とか。
私は。
私はどうなんだろう。
人と付き合うのは苦手だ。私がいてもお母さんは幸せじゃなかった。私がいるからこそ辛い思いをしてきた。離婚して生活は苦しかったし、お父さんは冤罪だと分かった後にも、お母さんを雇ってくれる職場は少なかった。曰く付きの子供だとなじられた。いつ何を盗まれるか分かったもんじゃないと、いつも疑われて生きてきた。生活に精一杯で恋愛なんて全く考えてこなかったし、興味がない。何も考えずに地獄に堕ちて、罪を償った方が世のためなんじゃないだろうか。
「異世界への転生は、魔法と剣のある世界。悪意に晒され困窮する国と、そこに住まう人々を救う救国の聖女の役割が一つ、」
「あっ!あたしそれ!聖女やる!」
豊洲美香が手をあげて聖女になりたいと叫んだ。それに対して南嶋花梨がずるい!と立ち上がる。
「あんたみたいにいじめを率先するような女に聖女なんて務まるわけないでしょう、私に譲りなさいよ」
「おばさんが何偉そうに言ってんのよ!聖女って年でもないでしょうが!」
面接官はちらりと視線を上げたものの、無表情のまま、また視線を紙に滑らせた。
「それから、同じく剣と魔法の世界で、魔法の全属性の才能を持つ、花売りの娘役が一つ」
それには花梨が手をあげた。
「あっそれ、ヒロインポジのやつ?私、それでもいいわ。あくせく働くのなんて前世だけで十分だったもの。全能で逆ハーレムってサイコーじゃない?王子様とか高位貴族の令息を手玉に取ってエンジョイするわ」
「おばさん、ショタ〜?プークス。ウケる〜。あたしは教皇様とか、王様とか、あっ、もしかして魔王様路線でもイケるかも!世界を手玉に取るわ!」
「最後の一つは家精霊の役。人に見つかることなく、その家を繁栄させるのが仕事です」
豊洲美香がまた大笑いする。誰にも見付けてもらえないなんて絶対かわいそ〜と私を指差した。私はまだ転生するとは言ってないんだけど。
家精霊…。某アニメにあった小さな人間のようなものなのか、それとも童話のブラウニーみたいな、小さなゴブリンみたいなものか…。人を殺した私が、チャンスなんてもらってもいいのだろうか。
「あの……わ、私は、あの……っ」
「では、南嶋花梨。あなたは花売りの娘として生まれ変わり、異世界で罪を昇華する、決定しますか?」
「はぁーい、いいわよそれで。他にチートってあるの?マジックバッグとか鑑定とかさぁ」
「……豊洲美香は、救国の聖女として生まれ変わり、国と人々を救う、決定しますか?」
「もちろん!あ、でも、ピンクの髪の美少女設定でよろ!」
「……あなた方の望み通り、南嶋花梨にはマジックバッグと鑑定能力を、豊洲美香にはピンク髪と美貌をつけましょう。ただし、これは天からの慈悲で与えられたチャンスであって、褒美ではないのです。せいぜい無駄にすることのないよう心がけなさい」
「はいはい、あ!あと言語理k……」
2人がもっとチートを望もうとしたところで、2人の姿はシュッと消えてしまった。
残った私に、面接官が顔を向ける。金色の瞳が全身を見透かされているようで、私は視線を彷徨わせ俯いた。だって私は全く無関係な人を殺してしまった。お母さんを1人ぼっちにしてしまった。そんな私が二度目の人生のチャンスをもらうなんて。
「……あなたは、異世界と地獄、どちらを選びますか?」
「わ、私は、私には、転生なんて資格がありません」
「清水茅野。後悔していますか?」
「……はい、後悔しています。お母さんを1人にしてしまいました。私さえいなければ、渡辺さんと一緒になれるんだと思いました。でも、私は誰の気持ちも考えていなかった。巻き込まれて死んでしまった男の人は、あの人は、生まれ変わるのでしょうか?何てお詫びしたらいいのか……」
「彼は、すでに転生しています。前世の記憶はありませんが、それなりの人生を送っているようです」
「そうですか……それは、よかった、です。せめて幸せでいますようお祈りします」
「………輪廻転生とは、単純に1人で生まれ変わるわけではありません。前世の業や徳を織り込みながら、螺旋のように絡み合っていくのです。天が魂を迎えるのは、その螺旋を登り切った後。ごく一部の美しく澄んだ魂のみが召されるところなのです。巻き込まれて死んだ彼は前世で徳を積みました。ですから、今世では以前よりも少しだけ幸運に恵まれます。そしてあなたともまた、この生で出会うことにもなるでしょう」
「えっ」
「本来、与えられた命はあなた1人のものではありません。どんなに辛くともその与えられた命を勝手に断ち切ることは、罪です。それは縁を断ち切ることと同様で、天とのつながりも断ち切るのです。通常であれば無に帰し、輪廻も望まれない塵となるのですよ」
「は、はい……申し訳、ありません」
「ですが、あなたは心優しい人でもありました。あなたに奪われた命もありますが、助けられた命もあったので。あなたは家精霊として次の生を与えます。……精霊の命は人間のそれよりもずっと長い。ゆっくり、魂に残った傷を癒やし、徳を積むのですよ?」
「は、はい……。あの、ありがとうございます。私、頑張ります…」
「一つだけ。あなたは1人で生きなければならないという縛りはあるけれど、本当に独りなわけではないのです。辛い時は祈りなさい。優しくあれば、周りもその気持ちに報いてくれるでしょう。ただし……今度は自死は許しませんよ?」
面接官の人がにっこりと微笑んでいるのを見て、私はしっかりと頷いた。
3人の魂を送り込んだ後、面接官はふうとため息をつき、書類に送魂済のハンコを押した。
「異世界転生なんて書籍が出回っているせいで、勘違いが多くて困りますね」
特殊魂救済処置班の1人である面接官は、書類をカプセルに丸め、シューターに詰め込んだ。コシュン、と音を立てて書類はどこかへと転送される。
特殊なこの空間では、人間の上部だけの感情や、怒りや苛立ちなどは、引き剥がされ本質が顔を出す。本音を隠そうとする心情も希薄になるため、少々薄情な気持ちになることも確か。
そんな中で、現れた3人の魂。最初の2人の魂のあり様に、実際のところうんざりした。本能だけで生きる獣の方がまだマシなのではないだろうか。何度転生を繰り返そうと、穢れを上乗せするしかない魂は、もはや救いはないのではないかと錯覚する。
とはいえ、面接官としての仕事は、選択肢を与え、相応の場所に送り出すだけだ。
彼らが送られた世界は、魔王が操るドラゴンを中心とする魔族と人間が戦争を繰り返す世界である。力のないものは淘汰され、魔力のあるものは強制的に教育され、前線に出される厳しい世界。そんな中で、学園の恋だの、逆ハーレムだの、スローライフだの、あるはずがない。聖女は国に飼われて前線で命を張り、花売りの少女は、その名のまま生花を売っているわけではない。家精霊も選んだ家次第で待遇は変わる。どう使われるかは、彼女たちの努力次第だが。
あの3人は、緩慢で飽食の時代に生き、本当に食べ物で困る生活を送ったことがない。彼らが転生された世界は、その日のパンを買うのも大変な時代で、コンビニもなければ、手軽に食べれる食事もない。塩すらも手に入れ難い世界で、綺麗な服もおしゃれな爪も、どれほど働いたとしても、もう手に入らない。生か死か。それだけが目前に広がる弱肉強食の世界なのだから。
親の金で学校へ行き、かと言って役立つ知識は得ず、親の七光で適当に仕事を見つけ、腰掛け程度で責任を逃れながら32年間、生きながらえた南嶋花梨。自身にも仕事にも、生活にも、愛にさえも責任感のない人生に大した重みはなく、徳も積んでいない。それどころか、楽な方へと流され、退化しながら周囲を巻き込んでついには死を迎えた魂は穴だらけだ。
執着がひどく、過去世の業で真っ黒に染まった魂を持った豊洲美香。常に呪いのように恨みつらみの視線を浴び続け、重圧された息苦しさから逃れようともがき、それでも怨念に勝てず、絡め取られてしまった悲しい魂。非業の死を遂げた魂の恨みはいかほどのものか。今世での所業も併せ、元の色がわからないほど黒く染められたあの魂は、地獄に堕ちた方が助かる道があったかもしれないが。本人が選んだのだから仕方ない。
たかが19年ほどの人生の中で、どれほどの恨みを買ったのか、気づいてもいないのだろう。心を弄び、命を弄んだ代償は高い。執念や怨念は魂を紐づき、人と人を縁付かせる因果応報へと変わる。
それとは反対に、過去世で番に執着され、濁った執念が脂のようにねっとりと絡みつかれた魂を持って生まれた清水茅野。守る者に力があるうちはそれでもよかった。だが運命はそれら全てを振り払った。守るものも、執着するものも。全てから自由になり、柔らかな純粋な魂は全ての縁を切り、留まることを忘れ、そして儚くなった。危うく見失うところで掬い上げたあの男は、次の世でも彼女を守ってくれるだろうか。
願わくば。
私の可愛い愛し子が、今世では心を痛めることがないように。
願いを込めて、送り出そう。
豊洲美香は素行が悪くて退学、親の金の力で転入して留年しているので、19歳の高校2年生でした。
そこでもやらかしましたが。救われませんね。




