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第七話 初めての友達

 授業が終わっても、空気にはまだ魔力の残り香が漂っていた。ここで交わされた式のひとつひとつが、誰かの内側と呼応していた。空間そのものが、それを記憶している。私は列の最後で一礼し、マットを巻きなおし、後ろ髪を手櫛で整えていた。すると、肩越しに名を呼ばれた。


「クレナ・イサリア」


 ノエラの声は、空間の温度差を縫うように届いた。誰の耳にも届くようで、誰の意識にも干渉しない。その距離感を保つ術に、彼女はやけに長けている。私は振り向き、巻いたマットを脇に抱えながら言う。


「なにかよう?」


 ノエラは、表情を変えず数歩近づいてくる。彼女の影が、私の影と重なりそうになるところで、ぴたりと足を止めた。


「少しだけ。時間、ある?」


「午後は剣の稽古がある。ヴェルダ先生の」


「……また、なの?」


 わずかに眉を動かし、ノエラは肩を落とす。


「あの人、容赦ないのよね。何度も打ち込ませて、ちゃんと理由を言えって言うくせに、理由を言ったらまた構え直せって……」


 呆れの中に、本物の疲労がにじむ。


「ヴェルダ先生は、いつも選択を問うの。何を削り、何を残すか。剣に宿すべきものを、自分自身に突きつけるように」


「真面目にやるほど苦しくなるやつね」


 私は軽く笑った。ノエラの指先が土や汗に触れる場面を想像すると、どうしても似合わなかった。


「……見に来ればいいわ。私の稽古。眺めてるだけでも、何か伝わると思う」


 言いながら、自分でも驚いた。あまり他人を誘うような性分ではなかった。だが、今のノエラには──誘いたいと思えた。彼女の言葉には、私の剣を知りたいという欲があった。その欲は、誰かに「見られる」ことの恐れを超えて、むしろ私を落ち着かせた。


「……行くの?」


「行くわ。せっかくだし。あなたの剣を近くで見るのも悪くない。近づきすぎないようにするけど」


「ヴェルダ先生は、近くに立ってると巻き込まれるからね」


「……そのときはそのとき」


 ノエラは口の端だけで笑う。その笑いには、魔法という世界の外へ足を踏み出す覚悟のようなものがあった。たとえ、それが一時の衝動だとしても。


「あなたの式、知りたいの。どうしてそんな重さが出るのか。どうして、式の波形が揺らがないのか。……言葉じゃなく、構造で知りたい」


「また観察?でも、知りたいなら、構えの前に立つしかない」


「違うわ。解析。……もしかしたら、教えられることもあるかもしれないって思った」


「私に、魔法を?」


「教えるっていうより……見せたいの。魔法のなめらかさ、スピード、そういう感覚。あなたに伝わればいいって思った」


 ノエラの声は、淡々としていた。だがその奥に、確かにあった。彼女が関心を向けたものを、理解されたままで終わらせたくないという衝動。世界に正確さを求める者が、他者の解釈に黙っていられないときの声。


「……ヴェルダ先生の鍛錬が終わったあとでもいい?」


「もちろん。中庭の裏にある旧温室跡。今は誰も使ってない場所があるの」


「わかった。稽古が終わったら行こう。きっと、汗まみれで」


 ──この子は私に興味がある。でも、それだけじゃない。


 ノエラの奥には、構造を掌握した者だけが持つ沈黙があった。その内側に、ごく微かに、期待と不安が等量で混ざっている気がした。その瞳は、まだ誰にも明かしていない式を初めて差し出す者の、わずかに揺れる目をしていた。

 ふたりは、目をそらさずに立っていた。剣と魔法。触れれば裂ける力と、触れずに変える術。共鳴するには、違いを重ねる必要がある。そうして、ずれたまま並び立つことが、友情のはじまりになると私はこのとき初めて知った。

 そして、歩き出す。ヴェルダ教官の稽古場へ。ノエラは一歩後ろを歩くが、決して足取りを乱さない。式をなぞるかのように、私の歩幅の影を踏んでくる。

 きっと、あの人にまた怒られるだろう。「魔法の子が何をしに来た」と。でもそれでいい。怒られてもいい。この日、私は初めて「共に立つ」という重さを、ほんの少しだけ、剣の隙間に宿した。


 ──もしかしたら、これはその始まりなのかもしれない。


 友達、と呼べる存在の。まだ知らない、その輪郭を追いかけるように、私は歩いた。そして、一拍遅れていたはずの足音が、ぴたりと私の隣に揃った。気づけばノエラは私の右側を歩いていた。視線を向けると、彼女は何も言わず、ほんの少しだけ顎を引いて微笑んだ。

 肩と肩が触れるには遠く、離れるには近すぎる距離。踏み出すたび、二人の影が並ぶ。初めてだと思った。この距離で誰かと歩くことが、こんなにも静かで、やさしいものだったなんて。

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