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第四話 剣士の子供たち

 石畳に降る朝の光が、霧の層を突き抜けて差し込んでいた。露に濡れた路面が淡く輝き、生まれたての一日を穏やかに照らしている。

 ここは魔法剣士学園(エンフィリア)。かつて誰かが「仮初(かりそ)めの楽園」と呼んだ場所。夜に失われた命の記憶は、朝の光によって定義を取り戻す──静寂の再構築。そんなふうに生徒たちはこの時を捉えていた。

 石と木が混じり合った住居群は、寄宿舎というより、それぞれの過去を封じた小さな記憶箱のようだった。住まうのは孤児、棄民──あるいは、かつてここで出会った二人の間に生まれた子どもたち。その多くは親を知らないまま、戦士として名を刻むべく育てられる。

 それでも、ここには笑いがあり、悪戯があり、秘密の恋さえ咲いている。石壁の隙間に差し込んだ陽光が、まるで誰かの頬をくすぐるように光る。授業が始まるまでの時間、生徒たちは広場や温室で思い思いの時を過ごす。仲間と打ち合う者、筆記に没頭する者、そして……誰とも交わらぬ者。

 その日、黒い制服の少女が一人、広場を横切っていた。シャツとパンツ──男とも女とも見分けぬ装い。髪はまっすぐに揃えられ、ボタンはすべて留まり、襟はきちんと立てられている。均整のとれた身体(からだ)つき。造形を見せることでなく、隠すことによって際立つ静かな美しさがあった。


「クレナ、また一人で稽古しにいくのか?」


 クレナ・イサリア。魔法剣士候補生の中で最年少十二歳。小柄な体躯に、芯の通った眼差し。口元は閉ざされたままだが、ごく稀にわずかに動く。それが彼女にとっての感情表現だった。黒装束の少女が歩くたび、まわりの喧騒が少しだけ音をひそめた。

 声をかけてきたのは、クレナより二つ上の男の子。右頬に薄い古傷。饒舌なのは、沈黙を怖れているから。剣の才能はあまりないが、誰よりも仲間想いで、教官からは「緩衝材」と呼ばれていた。クレナは足を止めた。


「ロゼルに稽古の相手が務まったらいいのだけど。これから試験よ」


「……まぁ、いいけどさ。ちゃんと朝飯食えよ」


 ロゼルを見送った彼女は、わずかに肩をすくめ、頬に触れる風の向きを測るように首を傾げた。彼女は独りきりの訓練場に向かう。今日の課題は「反射と誘導」。教官たちによる冷徹な実技評価が始まるのだ。

 訓練場の脇を通れば、研究棟の入り口が見える。開発班の老人たちが、ヴェイラスの新型機体の外装を調整していた。彼らは教官の中でも、最も学園に貢献する知的戦力だ。エンフィリアは、技術による自立を旨とし、発電機や交易品の収入すら自前でまかなう。

 教官たちの多くは老齢で、片腕を失った者、魔導構造体に肉体を埋めた者が占めている。第一線から退いた者たち。現役の魔法剣士たちは、今この瞬間も外界で任務に従事している。交易、諜報、暗殺――そのいずれも、帝国に対する直接的な敵意ではなく、静かな攪乱であった。

 訓練場は石造りの露天――中央に魔法陣の痕跡が刻まれた古の空間。天蓋も遮蔽物もないこの場所は、曇天でもなお影を落とすことなく、生徒の技量と精神を剥き出しにする。そこに、すでに一人立っていた。

 背筋はゆるやかに反らされ、肩から腰へと流れる曲線は絵画のように均整がとれている。だが、その手にあるのは漆黒の木刀――重心に狂いのない殺気が潜む。黒い唇、彩度の高すぎる頬紅、整えられすぎた眉。白粉の香りが、風に乗ってクレナの鼻腔をくすぐった。

 ヴェルダ・ミュリス教官。性別も年齢も、誰にも分からない。ある者は彼と呼び、ある者は彼女と囁いた。誰一人として稽古で彼に勝った者はいない。


「おやぁ……?」


 ヴェルダは木刀を片手で立てたまま、(くび)を斜めに傾ける。まるで舞台俳優のような仕草で。


「感心ねぇ。さすが無口なダンピールちゃん。お目覚めの稽古かしら?」


 クレナは無言で一礼する。足を揃え、腰を落とし、正眼に構える。すでに汗は流れ始めていたが、それは緊張ではなかった。


「今日の課題は反射と誘導。……つまり、相手を見て動くのではない、自分の動きで相手を動かす。できる?」


 木刀の先が、かすかに揺れる。その動きに合わせるように、ヴェルダの目元の粉が剥がれ落ちた。だが彼は拭わない。


「かまえて?」


 その声と同時、空気が跳ねた。ヴェルダの一撃は、予告もなく、言葉の間に叩き込まれる。鋭い音を立てて、木刀がクレナの右肩を狙って唸った。クレナは、半身を滑らせ、腕ごと返すように剣を横に弾いた。木と木が噛み合い、(はじ)けた音が空に走った。


「いいわね……悪くない。感情のない刃ほど、よく切れる」


 ヴェルダは唇を歪め、まるで褒め言葉のように呟いた。次の瞬間、彼の脚が旋回するように地を蹴り、三手、四手と斬りかかる。スカートを思わせる袴の裾が翻り、踊るように回る。剣筋は優雅で流麗。その一挙手一投足は舞うようでありながら、奇妙に整いすぎていた。

 見惚れるよりも先に、背筋がひやりと冷える。そんな美しさだった。クレナはそれを受け、受け、そして一歩踏み込む。が、「だーめ」──ヴェルダの声が風と一緒に滑り込んだ。木刀がクレナの顎先に突きつけられていた。


「予測が、甘い。あなたは相手の動きではなく、相手の動きそうな形を待っている。それは、誘導ではなく『祈り』。……魔法剣士に祈りなんて、毒よ?」


 クレナは視線を落としたまま、木刀を握り直す。わずかに震えた指先が、呼吸とともに静まり返る。悔しさを飲み込むには、それがあまりに重かった。それでも、目は逸らさない。


「まあ、いいわ。顔は綺麗にしておいて損はない。貴族の任務に出されるとき、あなたの『仮面』は武器になる。可愛い子ほど、心を隠すのに苦労するの」


 ふっと視線を外した瞬間、クレナの木刀が動いた。渾身の踏み込み、肘をたたむ一撃——だが、ヴェルダの木刀は逆手でそれをいなす。


「──合格」


 その一言で、場の気が緩む。


「音を殺してた。足音も呼吸も、私の気配に紛れさせた。狡いわね。好きよ、そういうの」


 ヴェルダはくるりと踵を返すと、袖口から取り出した小さな鏡を覗き込みながら言った。


「次は重心と距離の応用。昼までに準備しておいて?」


 そう告げると、足音も残さず、どこかへと姿を消していった。石畳の中央に、クレナは一人残される。陽は高く昇り、汗は地に落ちる。だがその瞳には、微かな火が灯っていた。

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