第三十六話 燃えるエンフィリア
――シェルツが死んだ。
一瞬だった。黒い礫が白い蝶を弾いた、その瞬間で終わった。音もなく崩れ落ちた白の象徴を境に、戦場は形を変える。歓声は起こらない。勝利の実感もない。ただ炎と灰とが、声なき代わりに空を満たしていた。
講堂は燃え、居住区も資料館も、年月の証ごと崩れ落ちた。だが――ひとつだけ、炎に抗う棟がある。監査局。黒壁と鉄の塊。燃える材を持たぬその構造は、炎の海にあって異様な孤島のように浮かんでいた。ミレイユ・オルタス。あなたは、そこにいるのか。熱気に灼かれる視界の中で、私は監査局を凝視する。答えは返らない。だが視線だけが焼け残る。
白に、もはや力はなかった。それでも彼らは止まらない。感情を失った刃の群れ。己が斃れるその瞬間まで、ただ「排除」のために動き続ける。シェルツの死も関わりがない。もはや彼らは白でも人でもない。呪われた遺物を肉に埋め込まれた、止まらぬ殺戮の機械。
「ロゼル!」
名を呼ぶ。ノエラと私は炎の中で探す。煙が目を灼き、肺が焼ける。瓦礫の下からは呻き声と、すぐに途切れる息。立っていた影が、炎にのまれて倒れる。伸ばした手が届く前に、赤に包まれる。ロゼル――どこにいる。だが、黒は白を一人たりとも生かすまい。生かせぬ。白の血を絶やさねばならないと、彼らは信じている。たとえ少年であろうと、徒弟であろうと。
黒もまた、すでに形を失っていた。かつて千足いた兵は、今や百も残らぬだろう。長老の列も崩れ、鍛冶も研ぎも、知識を継ぐ者がどれほど残っているのか。一日で終わった。エンフィリアの繁栄は、火と血の中で断ち切られた。技術も塔の誇りも、師弟の誓いも、燃えながら灰になる。
炎の唸りが耳を塞ぐ。ノエラが腕を引く。私は振り返る。建物はすでに近づけない。残るものは焼け落ち、残らぬものも飲まれていく。探しても、探しきれない。私たちは――退くしかなかった。エンフィリアの外へ。炎の境を抜けたところで、黒の士官が待っていた。
「生きていたか」
ただ確認するだけの声。安堵も驚きもなく、瓦礫の数を数えるような調子。生死も兵の数も、同じ目盛りで数えている声だった。
「これだけか」
私は問う。
「あぁ。残りは、まだあの中だ」
士官は顎で示す。巨大な炎の柱が渦を巻き、学園を呑み込んでいた。ノエラがその場にしゃがみこむ。私はただ炎を見つめるしかできなかった。大火は翌日も続いた。近づくことさえ許されず、門扉は焼け崩れ、消火の列も中央へは届かない。やがて、雨が降り出した。炎が空を呼び、空が涙を返す。赤は灰に変わり、煙は大地へ縫い付けられていく。天がこの都市を覆い隠すように。
生き残った者たちと共に、私は遺体を運ぶ。黒く焼け焦げ、誰が誰かもわからない。けれど仲間だとわかる。仲間しか残されていないのだから。土を掘り、灰を抱え、ひとつひとつ埋めていく。抱きかかえると、灰は軽すぎて腕が震える。けれど心は重い。整理などできない。できる日が来るかもわからない。ただ今は、抱いて、埋めて、泣かないこと。それだけが私に残された役目だった。




