第三話 仮初めの楽園
世界がまだ形を定めぬ時代、六人の英雄がいた。蛮族の青年、魔法使いの男、神官、エルフの精霊使い、棒の武人、そして女の戦士。彼らは魔王を討ち、終焉の時代に終止符を打った。ただ力を競い合ったのではない。言葉を交わし、異なる種族と思想の断層を越えて、希望という灯を繋いだ。その後、彼らの足跡はまるで夢のように散り、それぞれの神話へと分かれてゆく。
蛮族の青年は、征服ではなく集落の融和によって人の王国を築いた。その国はやがてローゼン帝国と呼ばれ、繁栄と衰退を繰り返す支配の中心となる。神官は、民の祈りを礎に神聖国セントリスを創り、聖典をもって大陸の西方に秩序をもたらした。魔法使いの男は世界の理に執着し、終わることなき旅の果てに「時の塔」へ至り、万象を記録する大賢者となった。精霊使いは、樹々に祝福されし北の聖域へ戻り、古の民とともに姿を消した。
棒の武人は、戦いの後もその姿を残すことなく、ただ人々の間に「技」として記憶された。彼の剣は国を望まず、信仰も持たなかった。ただ自らを鍛えるという思想だけが脈々と語り継がれ、それは「侍」と呼ばれる民へと結実する。火も車輪も術も持たぬ彼らはやがて、知を磨き、技を研ぎ、ついには雷を束ね、空を裂くほどの文明を咲かせた。侍たちは戦士であり、学者であり、道を持つ種であった。
そして、最後に残されたのは、異形の血を持つ女の戦士――その存在は歴史から抹消されている。彼女は蛮族の青年と恋に落ち、その子をもうけた。産まれたその命こそ、ローゼン王家の血脈の起源。美しき偽りと恐るべき真実を内包した『呪われた王樹の血』である。
長き眠りののち、その血は腐敗を呼ぶ瘴気となって帝国の芯に染み出していく。民は気づかない。ただ豊かさを享受し、神々の庇護に甘んじ、歪んだ繁栄を受け入れてゆく。侍たちは気づいていた。
英雄たちの名が忘れられ、時代が数千年を跨ぐころ、侍の一派に異質な者たちが現れた。術と剣を同時に操る彼らは魔法剣士と呼ばれた。雷と言葉、理論と構造を融合させるその力は、かつての魔王に匹敵する存在をすら穿ち得たが、やがて彼らは気づく――帝国が内部から腐っていることに。王家の血が、穢れの源であることに。
その真実を知った初代魔法剣士たちは、帝国から距離を取り、外の地に学び舎を築く。その後、帝国の地図にも記されぬ遥か辺境に、ひとつの学び舎が築かれる。後に『仮初めの楽園』と呼ばれる魔法剣士学園の始まりである。
それは学校ではなかった。教壇も制度もなかった。エンフィリアとは、世界の終端部に存在する「問い」の形。そこでは剣は教えられるのではなく、人格の構成要素として植え付けられる。魔法は「言葉を塗り直す行為」と定義され、剣技は「因果の干渉」とされ、精神は統制され、感情は数式化される。
夢と呼ばれるその空間は、学びの場ではなく、思想の温室。帝国の統制を壊すため、王家の呪われた血を絶やすために設計された戦場の前室だった。
そこに集められた孤児、棄民や拾われた才気の者たちは、黒装束の素材として育成され、やがて巣立っていく。彼らの中でも、力と精神の均衡に至った者たちが現れ始めた。その者たちは、白装束をまとう――白の魔法剣士と呼ばれる一派である。彼らはエンフィリアの中でもただ一握り。白の魔法剣士と呼ばれる彼らだけが、完全変化と呼ばれる適応進化を許され、人格さえも光の器に溶かし込む。
この白の存在もまた、先代の団長――レオス・アシュファルトの意志によるものだった。彼は棒の武人の血を引いていたとも噂されるが、真偽は知れない。確かなのは、彼が剣も魔法も超えた意志の兵器を望んでいたということ。夢を操り、神話を設計する、そうした者たちによって、エンフィリアは成立した。
そこに芽吹いたのは、楽園などではなかった。理想の器を装いながら、歪みを孕み、なお美しい。仮初であるがゆえに、夢は純粋だった。誰の夢だったのか、誰が夢を見せたのか、その真実さえ曖昧なまま、学園は今もなお存在している。