第二十八話 決意
中庭に座るのは、私ひとり。昼下がりの風は柔らかいのに、石畳の温度は冷たく、背に伝う感覚がじわじわと骨まで滲み込んでくる。水音だけが響く噴水は、こんなにも澄んでいるのに、不穏の影をその底に隠しているかのよう。
――遺物はある。だが、きっと見つからない。
私は両手を膝に置き、俯いた。館長の言葉、ヴァレリウスの瞳、ライネルの死体。点と点が結ばれ、ひとつの像を形作ろうとしていた。もし遺物が学園に存在するのなら、誰もが血眼になって探しただろう。だが、見つからない。見つからないのに、確かにある。ならば答えは一つ――すでに「白」に奪われている。
――統一儀式。
耳の奥で囁くその言葉に、胸の奥がざわめいた。白が語る「剣士の未来」。その中心にあるのはただの思想や理念ではない。もっと肉体的で、もっと暴力的なものだ。統一とは、心や信条を一つにすることではなく、遺物を全ての剣士の体に埋め込むことなのではないか。
私は思わず拳を握った。白は「未来」と呼び、黒は「堕落」と呼ぶ。だがそのどちらにせよ、遺物が「力」であることは変わらない。力を配る儀式。それが彼らの統一だとしたら――学園そのものが、血と暴力に呑まれる。
「……どう動けばいい」
呟きは噴水に吸い込まれた。中庭に人影はなく、誰も私の声を拾わない。だからこそ、思考はどこまでも深く潜っていく。
白に潜入するか。ロゼルなら、講堂への道を開いてくれるかもしれない。あの冷たい笑みを浮かべながらも、彼は私を追い返すことはしないだろう。だが――入って、どうする。
奪うのか。遺物を。それを奪取したあと、私はどこへ持ち込む? ミレイユに差し出すのか? いや――あの視線を思い出す。彼女はすでに知っている。報告しても、手の中で転がされるだけだ。利用され、捨てられる。私が持ち帰ることに意味はない。
ならば誰に。思考の矢は、自然とひとりの名に突き刺さった。
――エダン・フロスト。
剣を持つ意味を教えた教官。森の試験場で、止まると死ぬことを教えてくれた人物。
「白はお前に向いていない」
あの一言が、ずっと心に刺さっている。なぜ彼はそう言ったのか。見抜いていたのか。私がいつか白に呑まれる可能性を。あるいは、私がその檻を壊そうとする性を。エダン教官なら――報告できる。彼は私を切り捨てるだろうか。それとも、剣士として受け止めるだろうか。
胸の奥に、かすかな道筋が見えた。白に潜入する。ロゼルを通じて、講堂に入る。遺物の所在を確かめ、奪取する。そして――それをエダン教官に渡す。その先に待つものは、分からない。だが、分からなくても構わなかった。足元が深い闇でも、一歩を踏み出さなければ光は見えない。
私は石畳から立ち上がった。噴水の水音が背後で途切れ、風が頬を撫でる。影に潜む囁きがまだ耳の奥に残っている。
――血を流せ。純白を裂け。
私は振り返らなかった。影を背に、歩みを前へ進める。探すのは――ロゼル。探すまでもなかった。中庭の回廊の奥、白い柱の影に、彼は立っていた。背筋を伸ばし、腕を組み、わずかに首を傾けて私を見ている。その仕草は、まるで最初から私がここに来るのを知っていたかのように――監視者の余裕を漂わせていた。
「……迷子かと思った」
冷笑まじりの声。相変わらず感情を削ぎ落とした声音なのに、刃物よりも鮮やかに心を抉ってくる。
「ロゼル。講堂に入りたい」
私の言葉に、彼はしばし瞳を細めた。光の加減で灰色に見えるその目は、底が見えない。
「理由は?」
「知るためだ。――白が何をしようとしているのか」
答えると、胸が熱くなる。嘘ではない。だがすべてでもない。ロゼルは薄く笑った。拒絶の気配はなかった。
「……なら、ついてくるといい。途中で逃げ出すなら、そこで終わるだけ」
彼は踵を返し、講堂へ続く回廊を歩き出す。足音が石畳に淡く反響する――いや、反響というよりも、音そのものが吸い込まれていくようだった。白の講堂。扉の向こうには、学園のざわめきが届かない、切り離された空気が待っている。そこに足を踏み入れることが、後戻りできない一線であることを、私は痛いほど理解していた。
それでも歩を進めた。心臓の鼓動と、背後に残る影の囁きが重なっている。
――血を流せ。純白を裂け。
私は、ロゼルの背を追った。




