第二話 羽化する白影
帝都エルゼグラードから北北東、上空一万メルト。黒く澱んだ宵の帳が退き、空の端にうっすらと朱が混じる頃、蒼穹の遥か上、凪の領域にそれは集まっていた。風もなく、音もなく、ただ空気だけが僅かに緊張しながら震えている。
五つの影。それは人ではなく、獣でもない。黒の羽根を備えた有機構造体――まるで首のない鳥の亡骸が宙に浮かび、そこへ人が這って潜り込み、羽の中に沈んでいる。輪郭は霧のように揺れ、視覚が掠れる。そこには誰かがいるはずなのに、焦点が合わない。
機体は心臓を持たず、血も流さず、それでも羽は微かに蠢き、まるで夢の中の呼吸のように、その中の人影たちと同調していた。
沈黙のまま、朝を待っていた。空の端が赤くにじみ始める。冷たい光が機体に触れた瞬間、その中心――先端の機体から、微かな思念が放たれた。
「――隠密モード、反転」
魔導素振動が空気を介さず機体全体に伝播し、五つのヴェイラスが微細に震えた。それぞれの機体が羽根を緩やかに広げ、内部の構造が流動を始める。
羽の表面が音もなく裂け、黒が剥がれ落ちる。鱗のような魔導皮膜がほどけ、真珠の糸光がその下から滑り出す。闇色の羽は透過する薄白に変わり、繊維が朝の色を反射して揺れる。黒の質量が空に溶け、代わりに光が構造そのものを埋めていく。
白化――それは羽化のよう。そして羽根の中、仰向けに眠るように沈んでいた人影がゆっくりと動き出す。肌が白磁のように変わる。髪が滑るように銀白へと変色し、骨格が微かに調律されるように歪み、身体のラインすら変化していく。
性がほどけ、輪郭が滑り、構造が再調律される。朝の光と連動するように、ひとつの個がまったく異なる何かへと羽化していく。それは神聖にして静謐、祝詞のような変態。すべては定められていた。白の魔法剣士。魔法剣士学園最上位位階にのみ許される、完全変化という名の強制進化。
五機が同時に羽化を終えると、空の色が明らかに変わった。まるで光そのものが彼らの存在に順応したかのように、赤から銀へと遷ろうとしていた。
一人が口を開いた。
「……皇帝を仕留め損ねたわね」
声は女とも男ともつかない中性的な響きで、空間を歪ませることなく、ただ淡く漏れるように響いた。
「構わないわ。替えの首などいくらでも咲く。肝は根にある。あの血脈――呪われた王樹の苗床を焼き払うこと。それこそが、我らに課された任務」
他の者たちは応えない。ただ、全身から浮かぶ音のない肯定が、空に共鳴する。
「第二段階、開始。標的を北東遺構域に切り替え。接触者は既に動いている。次の殲滅対象は……蛮族の種」
まるで空気が決意という意思を孕んだように静止する。五体のヴェイラスが羽をすぼめ、次の軌道へと向けてゆっくりと加速を始めた。尾翼に浮かぶ白の文様が、夜明けの空に刻印のように伸びていく。
そして一拍遅れて、朝日が完全に昇る。五体の機影は、すでに光の中に融けていた。まるで最初からそこに存在しなかったかのように。空には何も残らなかった。