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星の織りなす物語 COCYTUS  作者: 白絹 羨
プロローグ
1/12

第一話 雷鳴より来たる者

 その雷は空を選ばなかった。沈黙を裂き、世界の奥底に隠された痛みを、容赦なくあぶり出した。電磁の震えが、鼓膜の奥でひび割れのように拡がる。

 帝都エルゼグラード――蒼銀(そうぎん)の光脈を纏い、層塔と水晶ドームが幾何学的なリズムで並ぶ構造体は、遠く軌道から俯瞰すれば、まるで生きた神経網そのもの。回路のように点滅する灯りが交差し、電子と魔導が交わる都市機構は、無機的な美と有機的な腐敗を同時に孕んでいた。

 蒼白い魔導信号が空中を(はし)り、冷気と磁力を含んだ風が建築の狭間を螺旋のように吹き抜ける。滑走する懸架型の脈導列車(みゃくどうれっしゃ)はほぼ無音で、残響だけが構造体の骨を伝い、都市そのものが意志を持ち移動しているかのような錯覚を残す。

 だが、目を凝らせばその動きには乱れがあり、点滅の間隔が揃わない標識灯、軋む支柱、あるいは、気づかぬふりで崩れかけた窓枠を修繕せずに放置する都市住民たちの無言の諦念――文明の表層には、微細で鈍い崩壊の粉塵が、静かに積もり続けていた。

 零時一分、帝都空域『上層Ⅳ域』。軌道監視塔(ヘキサ)が警鐘を鳴らす。


「気象干渉ではない。粒子密度、異常域に入っている」


 スクリーンに映る夜空の一角で、黒雲が内側から焼け裂ける。幾何学の刃のような光が放射状に(はし)り、それは気まぐれな自然ではなく、冷ややかな意志が空を刻んだ痕跡だった。次の瞬間、雷鳴ではなく音の欠如が空を貫いた。炸裂音の代わりに、大気が静止する。音という存在そのものが、瞬間ごと切除された。

 その沈黙の中心に、黒の塊が浮かぶ。

 その名を知る者は少ない。ヴェイラス――雷撃を制御する実体光遮断兵器。魔法剣士学園(エンフィリア)が秘匿のもと開発した、存在してはならぬ飛行体。

 帝国からすれば未確認兵装。市民観測網には記録されず、どの航宙台帳にも載らず、目撃情報すら追いつかない。現実と虚構の狭間に沈む幻影の兵器。その夜、確かにそれが存在した。高度八千二百、風なし、雲高静止。機体全体を包む漆黒の魔導膜が光の反射すら拒絶し、星々の間に沈む影そのもののように、空の一部と化していた。


 機体に、人影が動く。

 直後、蒼の閃光が放たれた。それは雷ではない。雷の形をした、明確な殺意。指向性を帯びた魔力が一点を貫き、空間ごと穿つ。迎賓館上層、皇帝の最側近アルヴェル・ド・ファルス。その胸部を閃光が貫通し、臓腑は蒸散し、背骨は融解した。壁には雷撃痕が(はし)り、痕跡は空間そのものを焼きつけたように残留していた。警報は鳴らなかった。魔導通信も魔力探知も、同時に消去されていた。防壁は展開すらできず、記録装置は蒸発していた。

 光が引いた後、そこに異物が遺されていた。

 刀剣。黒檀の柄に赤銅の術式が螺旋し、緻密な文様はまるで生体(せいたい)組織のように脈動していた。刀身は赤く、わずかに熱を宿したまま床を抉り、音もなく空気を拒んでいた。それは、空気すらも拒絶するかのような存在感を持ち、部屋の中央で、主を失った祈りの残滓のように静止していた。

 そのとき、空間が軋む。静かに、決定的に。

 床の奥で見えない折り目が捻じれ、現実の縫い目が解かれるようにして、そこに誰かが出現した。

 黒の装束。魔法剣士の典型的な装い。どの派閥にも属さず、階級章も所属紋もない。記録されない存在、証明されない身分。その姿は、意識の中でさえ曖昧にしか捉えられない。だが、確かにそこにいた。刀を引き抜き、赤く輝く刃をゆっくりと傾ける。

 近衛が反応するより早く、最初の一人が喉を裂かれた。次いで、もう一人が光に包まれ、視神経を焼かれて崩れ落ちる。剣の動きには一切の誇示がない。ただ、美しく、冷たい。空間そのものが動いたかのような、無音の連撃(れんげき)

 その人影は名を語らず、言葉すら発さなかった。ただ、刀を納めるという一動作だけが、儀式のように丁寧だった。刃が鞘に収まると同時に、その存在は霧のように解け、空気に溶けた。


 沈黙が戻る。

 夜の空は何事もなかったように閉じ、風すら吹かぬまま、焼け焦げた金属の匂いとわずかな血の残り香だけが、帝都の空気に残された。

 翌朝、帝都中枢はこの事件を偶発的雷災害として封印した。

 報告書には、局地的電気異常による設備障害、通信断絶、施設損壊。そして死因は『高熱由来の損壊蒸散』――意味不明な表現に置き換えられていた。どの文面にも、攻撃という単語は記されなかった。ヴェイラスの名も剣の所在も、どこにも記されていない。目撃者の存在は記録ごと欠落し、政務総監アルヴェル・ド・ファルスの名前は、以降一切の文書に現れることはなかった。

 そしてそれ以降、エルゼグラードの空に、雷は再び訪れることがなかった。まるであの夜だけが、世界の接合点から外れた特異点だったかのように。

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