第95話 :「《勇者編》その抗議は、生きる為の叫び。だから、私は彼らの声を聞き届ける」
思わず、隣にいる真白さんの手をぎゅっと握りしめてしまいました。心臓が、予想もしなかった光景に、どくんどくんと暴れるように跳ねております。彼らの視線は冷たく、鋭く、まるで私たちをこの連邦から追い出そうとする悪人のようでした。
「私たちには(勇者)なんて必要ない!」
「どうせ異邦人でしょ?特別でもなんでもないくせに、なんで連邦の恩恵を受けられるんだよ!」
怒号が次々と浴びせられます。けれども……目の前にいる抗議の人々は、決して暴徒ではありませんでした。みな普通の市民、いいえ――きっと連邦でも貧しい暮らしを強いられている方々なのでしょう。
服は擦り切れ、体も清潔とは言えず、恐らくはもう長くお風呂にも入れていないのだと分かります。その瞳の奥に宿るものは、怒りだけではなく……恐怖と不安でございました。
その中で、ひときわ大きな男の人が前に出てきました。彼の声は群衆の喧騒を打ち消すほど大きく、響き渡りました。
「勇者が来たからって何だって言うんだ!勇者は連邦のために戦えるかもしれん。だが――他のやつらはどうする!? 連邦は毎月百枚もの金貨を払って、こいつらを養うつもりなんだぞ? その損失を、誰が補填してくれるんだ!」
胸の奥を鈍器で殴られたように、どんっと響きました。背後からは、仲間たちが息を呑む気配が伝わってきます。そう……私は一人ではないのです。ここには二十四人の仲間がいるのです。
深く息を吸い込み、背筋をぴんと伸ばしました。そして、震える足を前に踏み出し、抗議する人々の前に立ちました。無数の視線が私に集まり、全身を緊張が覆います。ですが……皆さんの代表として、そして(勇者)である以上、私が口を開かなければなりません。
「みなさん……私は望月澪と申します」
声は震えてしまいました。けれども、続けなければなりません。ここで言葉を紡げなければ、私たちはこの連邦に居場所を失ってしまうのです。
「私は確かに勇者です。ご指摘の通り、私たちは異世界からやって来た異邦人でございます。でも、私たちは恩恵を受けるために来たのではありません。皆さまの食糧を奪うためでもございません」
人々は鼻で笑い、先ほどの男の人が冷ややかに目を細めました。
「口では何とでも言えるさ。勇者は戦えるかもしれんが、他のやつらは何ができる? 結局は連邦に養ってもらうんだろう!? 百枚の金貨がどういう額か分かっているのか? 普通の四人家族が一年暮らせる金額なんだぞ! 政治家どもは気でも狂ったか!」
私はぎゅっと歯を食いしばり、その怒りを宿す瞳を正面から受け止めました。
「いいえ! 私が保証いたします。ここにいる皆、一人残らず自分の居場所を見つけます。戦える人もいれば、道具を作る人、知識を研究する人もおります。必ず行動で示してみせます。私たちは負担ではありません。連邦に利益をもたらせるのです!」
胸に渦巻いていた恐怖が、熱となって全身に広がってゆきます。呼吸は落ち着き、声も次第に強くなっていきました。
「もし私たちがここに残れるのなら、私は必ず戦場に立ちます。連邦を脅かすものがあれば、私が前に立ち、皆さまの盾となりましょう! 私たちは皆さまの背後に隠れるために来たのではございません。一緒に未来を守るためにここにいるのです!」
一瞬だけ、沈黙が人々の間に広がりました。ですが――男の人は首を振り、冷ややかに言葉を続けました。
「綺麗ごとを並べ立てるだけだ……。俺たちの金は俺たちのために使われるべきなんだ! 食糧支援に、住宅補助……それが一番大事なんだよ! 知らないだろう? 最近の食料や家賃は倍近くに跳ね上がっているんだ! 三食食べられない家庭だってある! 住み慣れた家を追われてるやつらも山ほどいるんだぞ!!」
――その叫びは、鋭い刃のように私の胸に突き刺さりました。
胸の奥がぎゅっと締めつけられました。……別に、あの人の言葉に心を打たれたわけではありません。ただ――共鳴してしまったのです。
私の家も、父が失業した後に元の家を離れ、今の小さな家へと引っ越しました。六人家族なのに、住んでいるのは三LDK。
とても窮屈な暮らしです。父を責めたいわけではありません。これが現実であり、経済的な余裕がなければ良い生活は望めない……ただそれだけのことなのです。
「ですが、お前らがここに残ると決めれば、毎月の支援金は俺たちヒューマン族の税金から割かれるんだ! もともと支援は限られているのに、さらに耐えろというのか!?そんな訳ないだろう!不可能だ!」
――私は分かっていました。彼らの中に、かつての自分を見たから。だから、どう解決すべきかも。
「……大変なのは理解しています。」私は顎を上げ、彼らを見渡しました。
「ですが信じてください。私は決して、食べ物やお金を騙し取るために来たのではありません。私は勇者です。必ず役に立ちます! 仲間たちが自分で生きていけるよう、責任を持って導きます。ですから、どうか最初から私たちを拒まないでください。」
群衆からは嘲笑が返ってきました。私の言葉を幼稚だと笑っているのです。
「口先なら誰にでも言える! 仮に勇者だとしても、実績がなければどう信じられる? 議員どもだって同じだ!自分の利益のためだけに、俺たちとの約束を破って裏切ったんだ!初めて会ったお前のこと、一体どうやって信じろって言うんだよ?!」
「いいえ!」私は首を振り、腹の底から声を張り上げました。「私たちはもう証明しています! 決して守られているだけの飾りではありません!」
鋭い視線を浴び、心臓が跳ねました。男の目は、嘘や虚勢を一切許さぬように私を射抜いています。
「証明? お前が何を証明したというんだ? 今ここで言え! はっきり示してみろ!」
――ここだ。私は息を大きく吸い込み、意を決して異空間のインベントリへと手を差し入れました。そして取り出した戦利品を高々と掲げます。
粗削りの狼の毛皮、鋭い牙、オークや狼の肉片、そして冷たい水色に光る大小の魔石。
「これはすべて、連邦に向かう途中でオークキング率いる魔物の群れを討伐した成果です!」震える声を必死に押さえながら、しかし強く宣言しました。
「私だけではありません。真白さんも、梨花さんも、エミリアさんも、佐倉さんも……みんな必死に戦いました! 自分の命のために! だからこそ、私たちは連邦に素材を、資源をもたらすことができるのです!」
抗議の声がぴたりと止まり、呼吸音だけが空気を支配しました。男の目が一瞬揺らぎましたが、彼はまだ眉間に皺を寄せていました。
「……だが、それだけで何人の腹が満たされる? どうせ売るんだろう? 税収なんてほんのわずかで、俺たちの生活が良くなるわけがない!」
私は魔石をぎゅっと握りしめ、真っ直ぐに彼を見返しました。
「おっしゃる通りです。税収には大した影響はありません。ですから――この戦利品、全部あなた方に差し上げます。」
男は目を瞬かせ、口をつぐみました。群衆の中からざわめきが漏れ、戸惑いの気配が広がっていきます。私はその隙を逃さず、もう一度声を張りました。
「私は生活の苦しさを知っています。日本で……いや、異世界で、私は普通の学生で、特別裕福ではありませんでした。けれど、この世界で力を得た今、私は決して助けを惜しみません。これは私たちからのご挨拶です。どうか受け取ってください。そして……私たちがここに住むことを拒まないでほしいのです。支援金だって、必要以上にはいただきません。」
男の肩が少し落ちました。木札を握る手と、私の差し出した魔石を見比べ、しばし沈黙。そして小さく鼻を鳴らすと、顔を背けました。
「……もし本当にそうなら、証明してみせろ。俺たちを失望させるな。それと……ありがとう。」
その声には、初めの怒声とは違う色が混じっていました。認めたくないけれど、認めざるを得ない……そんな声音。彼は疲れをにじませた顔で、仲間たちを連れて立ち去っていきました。
私は大きく息を吸い込みました。背中のシャツが冷たい汗でびっしょりなのに気づき、少し震えそうになりながらも、背筋をまっすぐに伸ばします。まだ残る視線に応えるために。
「……必ずやってみせます。だって、せっかく異世界に来たのに、社会の足を引っ張るだけの無能者だなんて言われたくありませんから。」
最後に小さく自分へのツッコミを添えて――突発的に起こった抗議は、どうにかこうにか幕を下ろしたのでした。
皆さま、こんにちは。今回の更新では、連邦特有の《民主的な》歓迎をお楽しみいただけましたでしょうか。
澪はこれまでにも語っておりました通り、日本にいた頃は貧しい生活を送っておりました。ですので、彼女は自身の持つ全財産を差し出すこととなりましたが。
どうかご安心ください、澪さんはあくまでも強い共感力を持つ人物であり、決して一部の作品に見られるような、一切の境界線を持たない《聖母》というわけではございません。僕自身、そのようなキャラクターはあまり好ましく思っておりません。
また、なぜ連邦の人々の暮らしが困窮しているのかにつきましては、今後の物語の中で明らかになってまいります。どこか既視感を覚えられる方もいらっしゃるかもしれませんが、それはあくまでも錯覚にすぎません。本作は完全なるオリジナル作品でございますので、どうぞご安心のうえお楽しみください。
もし本作をお気に召していただけましたら、ぜひご評価やブックマークをしていただけますと、僕の大きな励みとなります。